ジャニーズ事務所の創設者ジャニー喜多川氏(2019年に87歳で死去)による性加害問題で、俳優の服部吉次さん(78)が都内で取材に応じ、小学生だった70年前に、喜多川氏から自宅で100回近く繰り返し性暴行を受けていたと証言した。
ジャニー喜多川氏による性加害について証言する服部吉次さん(右)と同級生の松崎基泰さん=15日、東京都内で

ジャニー喜多川氏による性加害について証言する服部吉次さん(右)と同級生の松崎基泰さん=15日、東京都内で
 ジャニーズ事務所は5月に再発防止チームの設置を発表したが、現在まで記者会見を開いていない。服部さんは「事務所はしたたかに表に出ず、嵐が過ぎるのを待っているように見える。国が調査して対応しなければこの問題はかたづかない。社会全体の問題としてもっと真剣に考えてほしい」と訴える。
◆渡米中に知り合った父親同士の交流が縁で
 吉次さんは「東京ブギウギ」や「青い山脈」など数々の名曲を編み出し、国民栄誉賞を受賞した作曲家服部良一さんの次男。
 ジャニー氏の父・喜多川諦道氏は、大分出身の日本の高野山真言宗の僧侶で、高野山米国別院第3代主監の布教師としてサンフランシスコに移住。現地でジャニー氏は生まれた。
父・服部良一氏の葬儀で献杯の音頭を取る吉次氏、左端がジャニー喜多川氏=1993年、服部吉次さん提供

父・服部良一氏の葬儀で献杯の音頭を取る吉次氏、左端がジャニー喜多川氏=1993年、服部吉次さん提供
 一方、良一氏も米国にわたり、笠置シズ子氏の日劇ショー「ブギ海を渡る」を持って巡業ツアーを開催、そこで良一氏と諦道氏との関係ができた。ツアーではジャニー氏と姉メリー氏(2021年93歳で死去)が、コンサート会場を接待役として回って裏方で支え、大活躍したという。
 1950年6月に朝鮮戦争が始まると、ジャニー氏は米軍関係者として従軍。日本では進駐軍宿舎「ワシントンハイツ」に住んでいたが、父親同士の交流が縁で新宿区若松町の服部家にも頻繁に出入りするようになり、出兵から一時帰還すると、10人家族の服部家の父や母と食事をしてマージャンをしたり、トランプに興じたりしていたという。
◆「楽しく優しいお兄さん」が一変した夜
 50年のある日、ジャニー氏は、カーキ色の軍服姿で現れたことがあった。父良一氏は、彼を見ると「ヒー坊(ジャニー氏の愛称)!!」と喜んだという。ある時、トランプゲームで遅くなるとジャニー氏は「今日は泊まって行こうかな」と言ったら、母親が「よっちゃん(吉次さんの名)の部屋に泊まればいいわ」と言った。
葬儀で服部家の遺族と会食するジャニー喜多川氏(左)と、服部さんの次男・有吉氏(右)=1993年、服部吉次さん提供

葬儀で服部家の遺族と会食するジャニー喜多川氏(左)と、服部さんの次男・有吉氏(右)=1993年、服部吉次さん提供
 ワシントンハイツからチョコレートやお菓子をたくさん持ってきてくれるジャニー氏は、吉次さんにとって「楽しく優しいお兄さん」だったのが、その夜、一変した。
 パジャマに着替えるとジャニー氏は「肩をもんであげるよ」と言いはじめ、肩のマッサージから全身、手足と伸び、陰部を触ってきた。
 翌朝、ジャニー氏が出かけた後、五つ上の姉が「楽しかった?」と尋ねるので「マッサージは気持ち良かったが、その後、体中を触ってきて陰部も触ってきた」と正直に言うと、姉が「やめなさい。そんな気持ち悪い話をしないで」と怒った。そこで「悪いことなんだ」と思考が止まり、結局、両親をはじめ、家族には一切話せなくなってしまった。
ジャニー喜多川氏による性加害について証言した服部吉次さん

ジャニー喜多川氏による性加害について証言した服部吉次さん
 その後も2年半ほどの間、週末に泊まりに来る度にジャニー氏は性加害を加えてきたといい、「100回程度は被害にあった」と語る。
◆今も心に傷…「告白できる最後のチャンス」
 今回、証言を決意したのは、元ジャニーズJr.のカウアン・オカモトさん(27)、橋田康さん(37)、二本樹顕理さん(39)が、児童虐待防止法の改正に向け署名を集めているのを知ってから。
 2004年にジャニー氏が、週刊文春の報道を巡り文芸春秋を提訴した訴訟で、性加害が認定された時も関心が持てなかったが「今回は違う」という。
 吉次さんは「自分が発言してこなかったことの重みが積み重なった。ジャニー氏の犯罪に自分はある意味、深く関わってしまったのではないか。もしかしたらこれが告白できる最後のチャンスになるかも」と明かした。
 性加害を受け70年経過したが、現在も苦しんでいる。悪夢を見ることが増え、眠れないことも。老化と共に心のバランスが崩れ「カウアンさんたちの話を聞いて居てもたっても居られなくなった」と話す。

https://www.tokyo-np.co.jp/article/263564