米軍が日本軍を「三流の兵隊」呼ばわりした理由…米軍が日本兵捕虜から得ていた情報
米軍報告書は語る

「日本兵たちは天皇のために死ぬことが最高の名誉だと教えられている。彼らはヤスクニ神社に祀られ、一階級進められる。
しかし大きな戦闘だと兵は二階級進められる(戦死すれば)。
田舎者はたいへん素晴らしいことだと思っているが、教育を受けた都会の者はだまされない。

多くの者が「Little Willie」を切実に求めている〔44年3月、独ベルリン空襲で
高射砲に撃破されつつもかろうじて生還した米軍B−17爆撃機「Little Willie」号になぞらえ「帰還」を意味するか〕と言う。」

「だが一方で皆降伏したり捕虜になったら祖国には戻れないと信じている。
もしそうなれば殺されると言っており、もっとも教育のある者ですらも同じく信じている。
この信念が、彼らを強敵たらしめている基本的要素の一つである。
体罰への恐怖もまた、戦場での働きの重要な要素である。

個人的には、日本兵は頭脳と自分で考える力を考慮に入れる限り、三流の兵隊だと思う。
私は数人の、どの陸軍でも通用する兵隊に出会ったが、それはあくまで数人に過ぎない。」

天皇や靖国のためではなく、味方の虐待や体罰が怖いから戦っているに過ぎないという軍曹の指摘を踏まえるならば、
日本軍兵士は敵アメリカと戦うための明確な大義を「自分で考え」、敵を激しく憎むことができなかったことになる。

このことが米軍側から「三流の兵隊」呼ばわりされるに至った根本理由だったのかもしれない。

ところで軍曹は「日本兵は互いに愛情を持たない。例えばあるトラック中隊は上級将校の命令がない限りよその中隊を手伝おうとしない。
トラックの仕事がないとのらくらしている」とも述べて、日本兵たちの態度に奇異な印象を示していた。

これは法社会学者・川島武宜が日本の「非近代的=非民主的社会関係」を支配する原理のひとつに挙げた
「親分子分的結合の家族的雰囲気と、その外に対する敵対的意識との対立」
すなわち「セクショナリズム」そのものである(前掲『日本社会の家族的構成』)。
https://gendai.media/articles/-/114766?page=2