脅迫ファクス事件で男2人を逮捕 送信30万件超 「恒心教」を自称:朝日新聞デジタル
https://www.asahi.com/articles/ASR8Q6TZCR88UTIL011.html

(記事本文略

コメントプラス

塚田穂高
(上越教育大学大学院准教授=宗教社会学)
2023年8月31日13時34分 投稿

【視点】・・・「宗教性はない」、のでしょうか

「恒心教」の成立過程については、諸報道・記事や他コメントにもある通りです。ただし、本記事内「「恒心教」は、特定の複数の掲示板を利用する人たちの行動について、2010年代前半から使われている言葉。宗教性はない」の「宗教性はない」の6文字には、モヤっとしました。どうしてそんなにバッサリと判断できるのか、その根拠や基準はどこにあるのかな、と。
「宗教法人ではない」とか「特定の宗教団体と関わりがあるわけではない」とか言うのであれば、わかります。また、オウム真理教の例を参考に、そのメディア報道などを踏まえて、「〇〇教」だとか「尊師」だとか「ポア」とかいった語を用いるようになった、というのもわかります。
私は宗教社会学者なので、なんでもかんでも「宗教性」を見つけよう、関連づけようとしているのかもしれないという点は差し引いてもらいたいところではありますが、それでも「ネタ」「悪ふざけ」「いたずら」ではすまないようにも思うのです。
どうしてここまでのことをやってしまうのか。「恒心教(こうしんきょう)を広めたいと思った」との供述(本記事)、「高校の時、恒心教を知った。元々ネット犯罪に興味があり恒心教徒として犯行予告をしていた。アピールしたいという自己顕示欲があった」との供述、特定人物への異常なまでの執着(逆の「カリスマ」?)、嫌がらせに特定住居を訪れることを「聖地巡礼」と称し実際に行っていたこと、など。今回の逮捕者2人だけでなく、「ネット上で緩くつながるグループ」として、やり取りをするなかで盛り上がりを見せて実行にまで及んだのか。その「熱意」はどこから出てきて、どう育ったのでしょうか。わからないことばかりだと思うのです。
もちろん、「理解できないこと」を「宗教的」の語に押し込めてよしとしてしまうことも問題でしょうし、「従来は(新)宗教に若者が入っていたが、今はウェブ上で代わりにこうなっている」などと単純に言ってしまうこともできません。
それでも、「ネタ」や「冗談」のはずが「いたずらの域を大きく超えている」段階にまで至り、現実社会に実際の問題を引き起こしていることを重く受け止め、その「精神性」の問題をしっかりと分析・検討しなければならないと思うのです。