朴烈事件

朴は朝鮮人の無政府主義団体である黒濤会を結成して中心となっていたが、
大正天皇の写真を壁に張り、ナイフで刺したのを尾行の刑事に見られたことから、
関東大震災後の1923年9月3日に金子とともに検挙され、上海から爆弾を入手し天皇暗殺を計画したとして1925年10月20日に起訴された。

関東大震災後、予防検束で逮捕され、治安警察法違反、
爆発物取締罰則違反、大逆罪での告訴となって、有罪となった。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%B4%E7%83%88%E4%BA%8B%E4%BB%B6