https://friday.kodansha.co.jp/article/170233

時空旅行を続けていると、深掘りしたい欲求にかられながら、つい遠ざけてしまう出来事にぶつかる。「これに触れてはまずい」というブレーキがかかるのだ。例えば1977年の岡田奈々の例の事件がそうである。

長篇のノンフィクションをものすにあたって、その意識を出来うる限り取り払った。そんなこんなで、ある事件を追尾することにした。

しかし、知ろうとすればするほど判らない。理解し難い。そんな不気味な椿事が、今から45年前、麗らかな春の朝を切り裂いた。

1976年3月23日、世田谷区等々力の高級住宅街に建つ757平米鉄筋2階建ての邸宅に、米国パイパー社製の軽飛行機「パイパー28型チェロキー」が墜落、轟音とともに爆発、炎上した。2階の茶室、和室、バルコニー、寝室の一部が焼けたが、家政婦一人が火傷を負っただけで住人は難をのがれた。軽飛行機の操縦士は即死している。

邸宅の主は「戦後最大の黒幕」と畏怖されたフィクサーの児玉誉士夫。この頃は「ロッキード事件」で疑惑の渦中にあった。

調べを進めるうちに、操縦士は墜落したのではなく、意図的に邸宅に激突したことが判明する。そこから新聞報道も敬称から呼び捨て(当時)に変わった。

操縦していたのは前野光保という29歳の青年である。「前野霜一郎」という芸名で26本の映画、4本のテレビドラマに出演し、プロダクションに籍を置くれっきとした俳優だったから世間は騒然となる。曽根中生や長谷川和彦といった、付き合いのあった映画監督もコメント寄せている。

なぜ、前野は児玉邸に突入したのだろう。

そもそも、前野とはどんな人物だったのか。