恋多き男たち―日本の「男色」文化と性の多様性を考える(nippon.com)
https://news.yahoo.co.jp/articles/37caa1d0331997ef32cd795a52086387dd5d3bd4
佐伯 順子
江戸時代以前、男性同士の性愛「男色」は、男女の性愛より「高尚で芸術的」と考えられていた。歴史的「男色」文化の功罪を振り返り、現代のLGBTQへの不寛容や未成年者への性加害問題について考える。
(中略
「色道二つ」という表現もあり、恋は「女色」(女と男の恋)と「男色」(男と男の恋)の2種類からなると考えられていた。ゆえに、日本版のドン・ファンともいうべき、江戸時代の恋多き男たちは、「男色」にも「女色」にも精通していることが求められた。西鶴も両者を満遍なく描くため、「男色」に特化した『男色大鑑(なんしょくおおかがみ)』(1687年)という作品を残している。
「男色」と「女色」の優劣を競う議論も、文学のテーマの一つとなり、うどんと蕎麦(そば)、猫と犬のどちらが好きかという趣味を巡る争いのように、それぞれを好む人々の意見がユーモラスに描かれたのである。
しかも、こうした「男色」と「女色」の優劣論では、「男色」の方が高尚で芸術的であり、価値が高いという主張がみられた。男同士の恋を性倒錯、変態とみなすどころか、逆に男同士の恋を美的に評価する発想すら、江戸以前の日本には存在したのである。
(中略
こうした歴史的事実を根拠に、“日本は昔からLGBTQに寛容な社会だった”と言うことはできない。なぜなら、「男色」と近代の「男性同性愛」は似て非なるものだからである。まず、江戸時代以前の「男色」は、成人男性同士の恋というよりも、成人男性と未成年、つまり大人と少年との恋が主流であった。
「男色」で理想の恋の相手とされる少年は、元服前で、かつ女性のような美少年が理想とされ、少年が10代半ばの数年間だけの一時的な関係ともみなされていた。
(後略