【東海アマ】
ジャニーは、CIA工作員だった
美空ひばり米国公演のマネジメントを行った縁で、日本芸能界に進出したジャニーは、1952年に再来日。
米大使館に陸軍犯罪捜査局 (USACIDC, CID) の情報員として勤務。
除隊後、再来日後はアメリカ合衆国大使館軍事顧問団に勤務。
その傍ら上智大学国際部に進学し、バンドを結成し芸能界へ参入した。
この間、本国CIAの指示によって、日本の芸能界における左傾化を阻止する指令を与えられ、
岡林信康・高田亘などの反戦フォーク運動を先鋭化させないための工作が依頼され、
代わりに、あたりさわりのないイルカや南こうせつらの恋愛歌にすり替えていったと書かれていた。
テレビ芸能そのものの魅力が薄れ、社会の思想的リーダーたちからも相手にされなくなった。
「個性」という魅力が排除され「組織の力」ばかりが表に出てきて、
男女ともジャニーズや、ナントカ46などのグループ活動が主体に変わっていった。
「部品が壊れたら、いつでも取り替え可能」が売りになった組織である。

これについては、詳細な当時の活動を記録したサイトがあったのだが、今は削除されている。
私の記憶では、例えば、反戦歌を歌う岡林信康らを芸能界から排除するため、
ジャニーの圧力によって、イルカやかぐや姫らの、当たり障りのない恋愛歌路線に切り替えていったことが書かれていた。

このようにして、1970年代から、日本の芸能界は、ジャニー喜多川を中心としたCIA工作によって、
社会を鋭く告発するような思想性の高い歌曲は排除され、平和ボケした、恋愛歌ばかりに変えられていった。
だから、1980年代以降は、社会派のフォークソングは、ほぼメディアに載ることが皆無になってしまい、若者たちは、
社会的告発や民主主義に対して著しく無関心となり、リングとか、バイオハザードとか、ハリウッドのアクション映画とか、
ジャッキー・チェンとかに夢中になることはあっても、社会問題を取り上げた映画には、無関心になってしまった。

今、YouTubeで、70年代の演劇、映画界を見られるようになって、当時のことを思い出すと、
時代劇などを見ていても、今とは比べものにならないほど、人情豊かで、考えさせるものがあり、人々を惹きつけてやまない。