【奈良】石室に銅鏡103面以上、国内最多。3世紀倭国王の絶大権力明らかに。桜井茶臼山古墳 [177316839]
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石室に銅鏡103面以上、国内最多 倭国王の絶大権力明らかに 桜井茶臼山古墳
2023/9/7 17:00 産経新聞
https://www.sankei.com/article/20230907-S3HPIEWGKNPNXPLWMFZUQNUTRA/
初期ヤマト王権の大王墓とされる奈良県桜井市の桜井茶臼山(ちゃうすやま)古墳(3世紀末、全長204メートル)で、石室内に銅鏡103面以上が納められていたと県立橿原考古学研究所が7日、発表した。同古墳では国内最多の81面が確認されていたが、精緻な3次元計測でさらに増加。担当者は「石室は徹底的に盗掘され、当初は200~300面の鏡があったのではないか」とし、倭国を統治した王の絶大な権力を示す一級の資料になりそうだ。
石室は長さ6・8メートル、幅1・1メートル、高さ1・7メートル。平成21年の発掘で、盗掘によりバラバラに割れた数センチ大の銅鏡の破片が出土し、今回すべての破片385点を3次元計測。光の照射で微細な凹凸が分かるため、本来の模様などを復元して種類を特定し、103面分が確認できたという。
内訳は、邪馬台国(やまたいこく)の女王・卑弥呼が中国・魏から与えられたともいわれる三角縁神獣鏡(さんかくぶちしんじゅうきょう)が26面、中国製の画文(がもん)帯(たい)神獣鏡19面などがあり、直径は20センチほどと推定。また、文様の特徴から日本製の内行花(ないこうか)文(もん)鏡も12面確認。銅鏡は弥生時代以来、中国から大半を輸入していたが、国内で本格的に製造を始めたとみている。
※全文はリンク先で
※桜井茶臼山古墳 昭和24、25年に石室が発掘され、権威の象徴とされる玉杖(ぎょくじょう)や大刀などが出土。平成21年の発掘では大量の銅鏡片のほかに石室を厳重に囲んだ柱列の跡が見つかった。邪馬台国の有力候補地とされる纒向(まきむく)遺跡から南に約4キロに位置。奈良から伊勢方面へ抜ける場所にあり、東国支配を目指した王の墓ともいわれる。国史跡。 国内最多(ほとんど中国製)
古墳時代からいいものはみんな中国製なんだよなあ 渡来人が現地民をジェノサイド・レイプしてできた国が日本
近畿周縁で話される関西弁に中国語と同じ声調があるのはその名残(中期まで朝鮮語にも声調があった説もある)
明治維新以降は欧米志向になったため、アクセントが欧米の言語に似ている東京弁が標準語とされるようになった >>62
さらっとアメリカのことディスるのやめろや
桜井茶臼山やメスリ山は被葬者情報も禄に伝世されてこなかった孤立墳で、バチ型でもないから大王墓とは言えんよ
「軍事王の墓」とする方が何もかも辻褄が合う よく思うけど
このころの日本列島って朝鮮の一部やろ 古墳作ってる時にとんでもない遠いところから盗掘用の穴掘るんだよな、司馬遼太郎の本で読んだ https://image.tnm.jp/image/1024/E0134036.jpg
埴輪 盾持人
はにわ たてもちびと
考古資料 / 古墳
出土地:群馬県太田市薮塚町若水塚出土
古墳時代・6世紀
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/560222
これは3世紀から6世紀、権力者の墓の上やまわりに立て並べられた土製品である埴輪(はにわ)です。6世紀にはこのように人物を象った埴輪が増えますが、
中でもこの盾持人(たてもちびと)は特別な役割を担っています。その役割とは、古墳を守るガードマンです。盾持人は全国で見つかっていますが、ほぼ例外なく古墳の中心から離れた縁(ふち)に置かれました。
古墳を背に盾を持って立ち、邪悪なものの侵入を防いでいたのでしょう。大きな耳で、周囲に異変がないか聞き耳を立てています。この埴輪のように笑顔のものが多いのですが、
中には目を見開いてびっくりしたような顔、相手を威嚇するような顔もあり、表情豊かなのが特徴です。笑いや怒りの表情には邪(じゃ)をはらう効果があると信じられていたのかもしれません。 >>71
短編の「朱盗」ってやつだったかなそれ
同じ本に入ってる「八咫烏」も日本神話の解釈としてなかなか面白い 中国製の鏡が出てきたー
当時の奈良すげー
なんかショボ過ぎね というかここから岡山や出雲にせめて
鬼と称して抹殺したんだろうに
大国主も鬼扱いだよ
岡山に至っては温羅を鬼として抹殺
吉備冠者の称号まで奪った 邪馬台国は九州から畿内に奠都したんでないの。
ニニギが天孫降臨した場所が宮崎県で子孫の神武が東征の出発点も九州なんだから
現実に九州から畿内に権力が移ったのを神話にしたのでは 光を反射する鏡をなぜ光の届かない墓に埋めるのだろうね 「出土している物で魏志倭人伝に記載されている物」(西暦300年以前弥生時代)
10種の魏晋鏡 福岡県398 奈良県4
鉄刀 福岡県17 奈良県0
素環頭大刀素環頭鉄剣 福岡県16 奈良県0
鉄剣 福岡県46 奈良県1
鉄矛 福岡県7 奈良県0
ほぼ福岡県だけで奈良県を完封、奈良県を口にする方がおかしい状況
奈良県から多く出土している物もあるにはある
(西暦300年以後古墳時代)
三角縁神獣鏡 福岡県49 奈良県100 ⇐ 古墳時代に次第に奈良も発展したのはもうわかっています >>78
1世紀に金印をもらった九州の王がいただろ
だから遷都はその後だと思うね 王権は九州北部から畿内に移動したんでしょ
日本神話の神武東征なんてのもそう示唆してるよね
ヤマト王朝の権力者であろう機内の巨大な古墳からは朝鮮様式(双龍)のつくりの刀剣が出土して
関東や地方の小さな古墳からは倭様式の簡素なつくりの刀剣が出土しているのを国立博物館で知った時
この国の支配層がどこの人間なのか推測せずにはいられなかったよね >邪馬台国(やまたいこく)の女王・卑弥呼が中国・魏から与えられたともいわれる三角縁神獣鏡(さんかくぶちしんじゅうきょう)が26面
強奪したの?
それとも天皇の祖は卑弥呼ってこと? >>66
まあ奈良盆地南部(今の桜井市)が当時の日本の最大の権力都市だったのは間違いない
文献上の誰かってのは知らんが >>83
倭人の故郷は朝鮮半島って学術的にも証明されてる
白村江の戦いは倭人が故地に残った同胞を支援してるし
日本人がやたら朝鮮半島に固執するのはそれが理由 >>59
いやこれ国内産みたいなんよ
同じも中国で見つかってない >>82
それは考古学的に否定不可能な事実だからな
紀元前後は九州北部沿岸域、三世紀以降は奈良盆地~大阪平野 関東にはアイヌ人がずっと住んでいて、アイヌ語と関西弁とで言語接触が起きた結果
アジアの言語にしては異質なイントネーションの東京弁ができた 昔からある意見だが日本書紀、古事記って二系統の伝承を強引にひとつにまとめた気がするわ
この巨大古墳は他の有象無象墳墓と比べ三角縁神獣鏡が少なく、代わりに中国製の画文帯神獣鏡や国産?の内行花文が多い
鏡にも序列があったということだな >>90
東京弁ってのは明治維新後に勝ち組(お前らの大好きな長州、土佐、薩摩、そして便乗してやってきた畿内勢)どもが江戸を支配して
そいつらの方言が江戸弁と混ざってできたものだぞ >>91
「スサノオ〜大国主」って出雲族の話は、出雲族征服した後に天孫の神話とくっつけた
いや知らんけどね 未だに邪馬台国と大和朝廷と倭国が同じ系統の国なのかすらわかってへんやん >>93
ごめん言い方が悪かった
関東の土着の言語が関西弁とアイヌ語との接触で東国語になったってのを表現したかった
もちろん今話されている東京弁が全国のちゃんぽんってことは分かってる >>95
現代に研究者達が喧々諤々まる1世紀やり続けて結論出ないってことは
もう明快な答えなど出るわけないってことだからなw >>59
大量に出てくるのは国産の値打ちの低い鏡
単なる葬式道具
価値の高い中国製鏡はほんの少数、大事に副葬される
黄金塚古墳の例だと、三十何枚かの三角縁神獣鏡は棺の外にごちゃっと置かれ、ただ一枚画文帯神獣鏡だけは棺の中、被葬者の頭の横に入れられていた
三角縁神獣鏡は大した価値のない国産の大量生産品で、本物の中国製(画文帯神獣鏡)との扱いの差がわかる例 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています