安倍ちゃん「憲法は権力を縛るものだとは当然知っています。どうして私のやろうとしていることまで縛られるんですか?」 [533895477]
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王権主義・専制主義から民主主義国家に至るための必須項目として立憲主義があるんだから、
権力を縛るっていう立憲主義の根幹を蔑ろにして独自解釈持ちだそうしてる時点で民主主義を毀損してるだろ こんなのが議員に当選するんだから現行の選挙制度がいかにおかしいかわかるわな >>10
このガイジの答弁は全てそうだが
これも例外ではなく、言っている意味が何もわからない もう忘れられてると思うがこれで「憲法改正は私のライフワーク」だからな
本人もある程度したら言わなくなったんでどっかから吹き込まれたフレーズを言ってただけだったんだと思うが 私にも人権があります
表現の自由があるんです
みたいな発言もあったな 私は権力を超えいわばまさにザ・パワーなのであります >>58
日本国民として、最低限知っておくべき正統の政治哲学。
保守主義の哲学シリーズT−2 (5)‐‐‐ベンサム理論を抹殺す‐‐‐その参
(※5)米国建国と米国憲法について
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・・・問題は、政治権力(宰相や閣僚ら)が“法”“コモン・ロー”“憲法”に反した行為を行おうとした場合である。
例えば、不当な重税を課す法律やベンサムの言う、議会の正当な召集要求に応じないなど「自己の邪悪な利益」を阻止する法律が制定されないように妨害したり、
軍隊、司法機関、行政機関等に国民の「生命・私有財産・自由(道徳)」を剥奪するような緊急権力を下そうとする場合である。
ここで、注意すべき事項は、宰相は一人であり、宰相が何か拒絶しても一人では何も実行できない、ということである。実際に宰相の命令を行為として行うのは、上記の例の場合、議会や軍隊や政府の公職にある国民である、ということである。
ここが、非常に重要で、「人間の意志(理性)による統治」と「“法の支配”による統治」の差が結果を大きく左右するのである。
つまり、宰相の命令に対して、それが「善か悪か」を、あるいは、それを「実行すべきか否か」を公職者である国民が「人間の意志(理性)」を基準にして決定するのか、「法/コモン・ロー/憲法」を基準にして決定するのかということである。
●人間の意志(理性)は、その君主の存在する時代に、たまたま生きている世代の人間の智恵による道徳基準である。
●法/コモン・ロー/憲法は、過去数百年(英国)から二千年(日本)の祖先の叡智の集積による道徳基準である。
前者の場合、上記の邪悪宰相の命令を拒否する判断は、自己の意志(理性)の決定のみにかかっているが、後者の場合は自己の意志決定の根拠を先祖の叡智の集積が巨大な一枚岩のごとく支えている、という決定的な相違である。
�サの結果、後者の場合、公職者たる国民は、邪悪宰相の命令に対して自信を持ってはっきりと、
「閣下の命令は“法/コモン・ロー/憲法”に反しているので、承諾致しかねます」
と反論できるのである。 結論として、“法の支配”“コモン・ロー”“立憲主義”が、君主と全国民に周知された立憲君主制の下では、邪悪宰相の暴政・専制政治は最小化されるのである。または、起こり得ないのである。
今は民主主義の時代だから憲法の縛りは緩くしていいとかいうけど
民主主義のワイマール憲法からナチスが生まれたという歴史的事実についてどう思ってるのかね
やはり「ナチスの手口を学ぶべき」ってことなの? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています