「利己的遺伝子」のスター科学者、ドーキンスが到達した「日本人みたいな宗教観」

「進化論を信じない人は、無知か、馬鹿か、狂っている」とまで言い放つ進化生物学者、リチャード・ドーキンスは、進化論を遺伝子レベルでとらえ、そこから宗教批判を展開した。
宗教が賞賛する「利他的行動」は、遺伝子の目線に立てば「自らのコピーを残す」という「利己的」なふるまいにすぎない。
そして、人間だけは利己的な遺伝子に反抗することができるが、そこに「神」が介在する余地はない。

ドーキンスの『神は妄想である』は30ヵ国語以上に翻訳され、300万部を売り上げた。
無神論者のスーパースターとなったドーキンスは、創造論者からは忌み嫌われ、「科学も信仰であることに気づいていない」「無神論の原理主義者」と批判される。

しかし、面白いことにドーキンスは、みずからを「文化的なキリスト教徒」と規定している。
キリスト教の伝統をなくしたいわけではないし、「クリスマス・キャロルを皆で一緒に歌うのが好き」で、若い世代があまりに聖書を知らず英文学を堪能できないことを嘆いてもいる。
そして「かけがえのない文化遺産との絆を失うことなしに、神への信仰を放棄することはできるのだ」(『神は妄想である』垂水雄二訳、第9章)という。つまり――、

〈信仰さえなければ、宗教の存続は大いに歓迎するのだ。拍子抜けする話だが、日本人には興味深い主張である。
100年に及ぶ戦いの果てに導かれた答えの一つが、いわゆる葬式仏教のような形で、すっかり日本社会に定着してきた宗教の形なのである。〉
(『創造論者vs.無神論者』p.250-251)

「ドーキンスのいう〈文化的キリスト教〉は、奇しくも日本人が無意識に持ってきた宗教との関わり方に重なっています。
日本では、こういう戦いや厳しい議論を経ることなく文化的仏教、文化的神道がすでに広がっている――これはなぜなんでしょうか。
仏教圏だから、というわけでもないでしょう。タイやチベットなどの仏教圏の信仰と比べても、非常に日本特有の宗教のありかたと思えますね」(岡本氏)

欧米での宗教論争は、日本人にとっての宗教を、逆に照らし出しているのだ。

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