>>58

・・・ところでベンサムは、当時の憲法/法律の主導的権威である保守主義者のウィリアム・ブラックストーン卿の講義を聴講したことによって法曹界に幻滅しコモン・ロー(英国法典)をして“誤魔化しの悪魔”と呼んだという。

 しかし、私に言わせれば、これほどまでにコモン・ローを理解できなかったベンサムは、コモン・ローに幻滅するのではなく、コモン・ローを理解することのできなかった自己の能力に幻滅すべきであっただろう。


・・・英国はエリザベス女王(1558〜1603年)における繁栄と富をバネに近代へとまさに船出せんとする17世紀初頭、近代国家に欠くことのできない法体系を整備するに当たって、
マグナ・カルタ(1215年)など過去400年に及ぶ中世封建時代の法的遺産を、「時代錯誤の過去の遺物」として捨て去るのではなく、逆に「現在」と「未来」の英国の“自由の砦”とするために掘り起こし、磨き、再生させた。

この偉業をなした人物が、エドワード・コーク卿(1552〜1634年)であり、コモン・ローの、不世出の法律家であった。

 �Rークが中世の倉庫から取り出した巨大な宝石が、普遍的な憲法原理である「法の支配」であった。コークは、「国王も“法”の下にある」という法諺(法律格言)を取り出してきて、国王ジェームス一世らの君主絶対主権論を排撃した。

 現代日本が重点的に関心をもつべきことは、・・・英国の中世封建時代に発展していた「“法”こそが“主権者”」であり、国王をも“支配する”という「法の支配」という憲法原理の方である。

 「法の支配」とは“法”こそが“支配者”であり、「国王」も「国民」も「人民」も「立法府」も「行政府」も「司法府」も“法”に支配され、“法”の下にあるとする、「法・主権」の憲法原理である。