>>69


・・・上記の定義を理解すれば、次の「真理」が必然的に抽出される。


(A)“コモン・ロー”=“法”の支配する自由主義国家には「主権」という概念は存在しえない。


�ネぜなら、「主権」とは「君主主権」を例に挙げれば、「君主が何ものにも制限されない絶対的な権力を有すること」を意味するから、いかなる権力をも制限する“法の支配”と明らかに二律背反する。
それでは、どちらが“正義”にかなっているのか。当然“法の支配”である。

 その理由は、第一に、コモン・ローの定義上、コモン・ローが唯一の道徳(正義)の基準だからである。それに反する権力の行使や立法は不正義であり、臣民の財産・生命・自由を必ず侵害するからである。

 第二に、コモン・ローとは定義上、過去のすべての時代のすべての祖先が積み重ねてきた成文法・裁判の判例・慣習の中から選び抜かれた神聖な叡智の集合体であり、一方、人定法とは、
ある時代のある一人の政治家(側近を併せても高々数人〜数十人の)の理性(軽薄で傲慢な知恵)に基づく絶対権力の行使のことである。どちらが正義であるか、大衆の権利を侵害しないか、歴然としているからである。

 ところで、君主の“地位と身体”自体は必然的にコモン・ローに含まれる。つまりコモン・ロー自体である。なぜならその“地位と身体”は過去のすべての時代のすべての祖先が受け入れ、子孫に承継してきた制度(慣習法)だからである。