江戸の武士、街中で泥酔して刀振り回して引退させれていた😨厳しすぎやろ [118990258]
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江戸時代の盛岡藩の犯罪記録を紹介 盛岡市で展示会
1804年7月に同僚とそば屋で酒を飲んで泥酔した武士が街なかで刀を抜いて暴れた事件では、翌朝に全く記憶がなく、「武士にあるまじきこと」だとして隠居、武士を引退させられたとあります。
https://www3.nhk.or.jp/lnews/morioka/20230913/6040019139.html そら民主主義やからな
民のかわりを幕府がやるんだから木端権威に強く強権発動できる 死傷者出てたら切腹and取り潰しだから
隠居で済んだのは温情処分 >>7
武士狩りではないけど江戸の町人が武士を煽って刀を抜くか抜かないかのギリギリまで挑発する遊びはあった どこも財政逼迫してたからね
家臣の些細なミスを咎めて減俸召し上げしてた
ゆえに家臣等は筒がなく目立たずお役目を勤め上げることだけが大事だった
身分が低いからといって市井のモノを無礼討ちなどしようものなら
これぞとばかりにお上が難癖つけて領地や切米を取り上げるから実際切り捨てごめんなんて出来なかった 生まれながらの特権階級なんだから当たり前だろ
その程度の道徳すらない今の日本
バカ「士農工商は階級制度じゃない!」 >>7
あったよ
DQN町人が武士を煽って刀を抜かせる遊びなら
抜いたら絶対に殺さないと武士は切腹だし
町人はわかってるので全力ダッシュで逃げる遊び >>16
酔って持ってる仕事道具(料理人なら包丁とか)を振り回して暴れるようなアホは
現代でも普通にいるし 切り捨て御免
は事実だけど実際にやると乱心扱いで閉門蟄居になるとかいうやつか 江戸時代って幕末なら割と住んでみたい
居酒屋もあるし楽しそう 井上 正甫(いのうえ まさもと)は、江戸時代中期から後期にかけての大名。遠江国浜松藩3代藩主、陸奥国棚倉藩初代藩主。官位は従五位下・河内守。浜松藩井上家8代。
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文化13年(1816年)秋、正甫は同僚の信濃国高遠藩主・内藤頼以に招かれて、高遠藩下屋敷(現在の新宿御苑)で小鳥狩を楽しんだ。正甫は狩りに熱中し屋敷隣の千駄ヶ谷村に迷い込んだ。そこで偶然見つけた農家で留守番をしていた女房を正甫は押し倒した[1]が、そこへ帰宅してきた夫に見つかった。夫は天秤棒を振り上げ、女房の上に乗っていた正甫を殴りつけたため、正甫は抜刀して夫の片腕を切り落とした。後始末を家臣に任せ、農家夫婦は領地の浜松に移送して口封じをしたが、やがて噂は江戸市中に知れ渡り、正甫が登城する際は登城する他の大名の足軽らから「密夫大名!」「待ってました!強淫大名!」「百姓女のお味はいかがでござる」とからかわれた。
幕府の御膝元で大名家当主が起こしたこの事件は、やがて幕府中枢にも知れることとなった。同年12月23日、正甫は奏者番を免ぜられ、文化14年(1817年)9月14日に陸奥棚倉に処罰的な移封命令を受けることとなった[1]。しかし正甫は病気を理由に、棚倉に入ることは一度もなかった。棚倉藩主・小笠原長昌は九州の肥前国唐津藩に転封となり、浜松にはそれまでの唐津藩から江戸に近い位置への転封を目論んでいた水野忠邦が代わって入り、以降幕閣で出世していくこととなる[2](三方領知替え)。
転封後は病と称して一度も帰国していない。文政3年(1820年)4月16日、家督を長男・正春に譲って隠居する。正春の時代に井上家は浜松に復帰する。その正春よりも長生きし、安政5年(1858年)1月26日に死去。享年84 今でも公務員が飲酒運転で捕まって首になったりしてるやろ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています