日本にもかつて非常に景気の良い時期がありました。1986年12月から1991年2月にかけての「バブル景気」です。バブル(泡)とは、泡のように膨らみ、弾けて消えていくことを指します。

バブルが生まれたきっかけは1985年9月22日、先進5カ国の大蔵大臣・中央銀行総裁による「プラザ合意」でした。「プラザ」とは会合が行なわれたアメリカ・ニューヨークの高級ホテルの名前です。会合は秘密に行なわれました。当時の竹下登大蔵大臣は成田空港近くのゴルフ場にわざわざ赴き、ゴルフを楽しむのだと報道陣に思い込ませてニューヨークに向かいました。

会合が行なわれた目的はアメリカの対日赤字を緩和し、貿易の不均衡を解消して世界経済を安定させることでした。当時のアメリカでは日本製品がよく売れていた一方、輸出は伸び悩んでいました。アメリカの貿易赤字は1983年には670億ドルでしたが、84年には1120億ドルに倍増しました。その3分の1は日本に対する赤字です。

日本はこの状態を打開する対策を迫られ、プラザ合意でドル安(円高)を容認しました。ドル安というのは、ドルの価値が円に対して安くなることです。日本から見るとアメリカ製品を安く買えるようになり、アメリカから見ると日本に製品を輸出しやすくなります。

当時1ドルは約240円。たとえばアメリカで1万ドルのアメリカ製自動車は、日本では240万円です。1ドルが120円になれば、120万円に値下がりするため、よく売れるようになるだろうという理屈です。逆に、日本で240万円の日本車は、アメリカで1万ドルから2万ドルに値上がりするため売れなくなります。こうしてアメリカ製品が売れる環境をつくり、貿易の不均衡を解消しようという狙いです。

アメリカ経済が不調に陥ると世界経済に悪影響を及ぼすため、先進5カ国はドル安政策に協調することで合意しました。この「プラザ合意」が日本経済の大きな転機になりました。

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