北政所、豊臣ジャップが滅んだのほぼこいつのせいだろ [671744337]
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あれなに
こわい 秀吉の活躍みてると学歴なんか関係ないって思えるよな
重要なのは知識ではないと
まあ学校ってのはいい労働者を作るための施設だからな、しょせん 毛利が団結して秀頼担ぎ出して戦ってりゃ余裕で家康を関東に押し込めてた 関ヶ原で勝っていたとしても遠からず滅ぶよ
まともな後継者がいないんだから 秀頼って秀吉の子じゃなさそうだから求心力イマイチだったんだろうな。 >>67
だね
秀頼はおそらく秀吉との血縁じゃないし まあ徳川どうこうよりも豊臣側で自滅してないと
あそこまで没落はしないだろうな 1大名になって生き延びても、家康が死んだら潰されてたでしょ。 >>66
後継者はまともじゃなくていい
後継者がボンクラでも運用できる組織作りが肝要
その組織を作る前に秀吉が死んだのが痛かった 徳川が高家として残すっってんのに断らせた浪人衆が悪い 北政所は有能な方じゃないのか?
成り上がりが政権維持するには子沢山じゃなきゃ 旦那が死んだ後はもう知らんがなって感じで
なんか達観しててすごい人よね 関が原の隠れた戦犯だよな北政所
でも本人的には秀吉死んだらもうどうでも良くなっちゃってたのかもしれんな 関ヶ原も石田VS徳川ってより北政所派VS淀君派だからな なにわのことも夢のまた夢
ということで、さっさと身を引かれた高台院は偉いよ 高台院は実家の木下家の所領にめっちゃ拘って家康の怒りを買ったりしてるが豊臣家自体はどうでも良さそうな感じ 寧々は武家の娘で評判の美人で才色兼備。
それが、下人出身で猿か鼠に似た顔のチビと結婚するって、
レイプされたとしか思えない。 後継者の子供もいねーし旦那死んだら後付けの豊臣家とか他人やろって感覚は分からんではない 秀頼とねねは血縁関係ないしな
それよりか小早川秀秋のほうが血の繋がった可愛い甥なわけで >>76
その組織を叩き壊しちゃったのが秀次切腹事件 >>63
そら秀吉とかの有能+運を掴んだ奴見たらそうだろうけど
人類の9割はそうじゃ無いんだから学校は必要だろ
教育を受けてから才能開花させる例もあるし 例えば俺が戦国時代にタイムスリップして淀殿を暗殺すれば、豊臣滅亡は防げるのか? 夫も死んで、どこの誰の種とも知れぬ秀頼とか別にどうとでもよかったんやろ こいつとか木下長嘯子みたいなのは趣きがあって良いなぁと思うが戦国オタクみたいのからの興味は薄い 秀吉が唯一頭が上がらなかったからな
母親を大事にしていた証拠 豊臣家より血の繋がりのある甥とか実家のほうを大事に思ってそうな感じがする 言い掛かりをつけて後見人を失脚させようと追い込むから
家康がブチ切れただけ
忠義ヅラしたアホ共の自業自得 >>101
政権安定させるための関白切っちゃったらね…
秀長死亡、前田耄碌、5奉行はまだ若く戦場での功績が無い
ってなったらもうね >>100
徐々にフェードアウトしていくべきだったんだろうけど、海千山千の戦国大名を抑え込めるのも結局秀吉しかいなかったんだろうな >>63
結局は教養が欠如してたから一代で崩壊したんじゃないのか >>63
小卒ならみんな田中角栄になれると思ってそうだな
ほとんどヤクザか奴隷なんだけど、歴史に残る例外的な人をあげて平気というのは日本人はみんな大谷みたいに野球が上手いとか言ってるレベルだ 晩年にセックスしまくって急に子供できました
こんなの信じてるやつやべーよな
明らか秀頼って托卵やん 淀殿ってどの作品でも性格きつい高飛車なおばさんになってるけど
史実でもそうなの?歴史書になんかそういう記述でもあんの? >>104
淀殿の後に豊臣家中を速やかに掌握できる有能な執政者がいるなら回避できるんじゃないか?
居ないと思うけど。 秀吉が普通に家康に禅譲して秀頼は四国か奥羽あたり配置してたら豊臣家は継続してたはず
秀吉は欲張りすぎたな、あの状況で秀頼にすべてを残すのは無理だ >>124
家康居なくてもあの脆弱な体制だと誰かが専横始めて豊臣政権はすぐ崩壊してるよ
他に家康ぐらい実力ある奴は居ないからそこからまた権力争い起こって戦国に逆戻り 方広寺鐘銘事件ってあの時代の常識からしたら言い逃れできないくらい悪質な銘らしいな
豊臣家が時代が変わった事を認識できずにいつかまた天下を取るなんて野心をああいう形で表明するから滅んだんだろ >>77
ぶっちゃけ残すわけがない
豊臣から大坂城さえ取り上げてしまえばもう簡単に潰せるから追い出したかっただけ
あれで本当に存続させるようだったら江戸時代はもっと短かっただろう >>77
本気で残すわけない
退いたら数年後に難癖つけられて殺されてる 関東を守った北条政子のありがたさに
今でも関東民はありがたいあそこの部分を
政子様と呼んで称えているという 今川氏真が生きながらえてるぐらいだから豊臣家も残ったんじゃない? >>127
中国史みればよくわかる
家康がいかに偉大だったか >>124
大阪までの道程には恩顧の大名をびっしり配置してるし、周辺には秀吉と仲の良い大名で包囲してるから安心だから!
なお >>130
それってもはや豊臣家より大坂城のほうが重要だったということなのでは… 武将として優秀だったが豊臣家の当主として超絶無能だった秀吉の純然たる自爆
豊臣家滅亡の原因は秀吉自身 >>104
元々加藤や福島といった秀吉の古参部下が、秀吉が三成達を可愛がるんで嫉妬したってのがあるんで
戦が無くなった武官が平和な国で文官が出世するのが許せないってところを何とかせんと >>63
あの時代の必須パラメーターは運だろ
どんだけ能力値高くても病気なんかで割りとコロッと死ぬ 秀吉は譜代の家臣いないんだから、織田家時代の与力を優遇すれば良いのにめちゃくちゃ冷遇するか切腹させまくってるのがなぁ >>141
それ以上に朝鮮半島での戦後処理ほかが関係悪化の決定打だよね
まあ朝鮮攻めろと言いだしたのは秀吉なんだけどさ この時代の武家は、どれだけ裏切らないでその場その場で的確な判断下せる一門や部下沢山抱えられるかやぞ
半兵衛がアレだけ頼りにされたのも美濃の一族やその系列から優秀な若者沢山供給してたからだし
杉原も浅野もみんなねねの一族だからな 源頼朝 豊臣秀吉
親戚殺しまくると、本人が死んだ後、
子供の味方がいなくなって滅びる >>144
安倍晋三は運パラメータくそ高そう
最後に災いしたが 淀ギミの復讐つっても、本人死んじゃってるからなあ😅
明智光秀みたいな生存説あったりするのかな。 >>90
本人は豊臣より浅野やったんやろ
浅野家視点なら上手に立ち回った >>104
鶴松が死んで秀次が関白就任、後継者指名されてから秀頼が仕込まれるまでの間に秀吉を殺すほうが生存確率は上がりそう
具体的には1592年内に秀吉が消えればいい >>148
魏の曹操一族もこんな感じだね
曹丕の代で有力な親族が軒並み消えて司馬氏の専横を招き >>117
貧乏でも犯罪やらないやつが大半と同じ理屈だよな >>154
でも司馬は親戚に力与えすぎて内乱
難しいよね >>148
中国でも大昔からそこで悩んでるな
身内強くしすぎるとそいつらが反乱起こしたり派閥作るし
身内弱くしすぎると外戚や宦官が出張ってくる
バランス取るの難しい 拷問狂の秀吉にそもそも人望なんてあったか疑わしい
死後2年で家臣のほぼ半数に離叛されるなんて余程の事
秀吉自身のせいでは? 秀吉は中国で言うと五胡十六国時代とか五代十国時代の君主だな
勢いに乗って大国を築く所までは良いが軍事以外の能力が無いからちゃんとした政権が作れずに自分が死んだらすぐ滅亡する >>100
なんか最晩年の秀吉の奇行、特に唐入りから天竺まで侵略とかいう「誇大妄想」は、耄碌じゃなくスペインポルトガルのカトリック勢力への牽制だったって分析を本で読んだことがある
当時東アジアのカトリック統括してたのは、マニラだが、もし秀吉がマジで明から天竺まで勢力伸ばしたら大した兵力ない極東ではジリ貧になる
だから、秀吉の世界侵略構想の書状はマニラに効果覿面、ビビりまくって一時戒厳令まで敷かれ、スペイン公文書には日本を評し「皇帝秀吉による軍事帝国」とか書かれていたとか
スペインポルトガルでさえ「王国」で、欧州で「皇帝」といえばローマ帝国の後継たる神聖ローマ帝国皇帝だけなのを踏まえて見ると、スペインポルトガルの日本評価と警戒は相当なものと考えられるらしい >>158
仲良かった蜂須賀正勝も早々と隠居して秀吉と距離置いてる時点で秀吉の人柄が変わったのはあると思う >>101
秀次ってそもそも本当に乱行してたんかね
女好きっていうのであれば叔父と別に変わらんし
秀次本人にどの程度の能力があったのかがそもそもよくわからないけど
北政所との間に秀吉が死ぬ時30越えた実子がいて、秀長も元気だったらってのが豊臣家の一番いいパターンだけど、
この場合でも豊臣家って長続きしたのかな? >>156
徳川も御三家が潜在的な敵対勢力になっていたしね
一歩間違えたら八王まで行かなくても呉楚七国の乱まであったのかもしれない >>164
ふたりとも50前後までとりあえず生きてるじゃん
信玄の死因と言われてる結核やら癌なんて摂生してもなるからどうしようもないだろ
謙信はどう考えても飲みすぎだがw ttps://pbs.twimg.com/media/EUbkCxDUEAE-hD4.jpg
ttps://pbs.twimg.com/media/E48BdDJVoAEmW6k.jpg 秀吉は丹羽を冷遇したの謎すぎる
秀吉は譜代いねえんだからああいう卒なくこなせる味方は最大限使わなきゃ話にならねえ
丹羽は滝川みたいに敵対姿勢見せてねえのにビビリすぎなんだよ >>166
対立始めたあたりにはどこも軍事的な強さはないから内乱までは行かなそうな気はするわ
まあ幕末は微妙 >>160
カトリックだイエズスがどうだ以前に
部下をまとめ上げるには新たに獲得した土地が必要だったのが戦国時代でして
戦国時代自身が社会構造として戦争を求める巨大な殺人マシンですよ >>170
有能な奴は全部自分の死後に謀反起こすと思ってたんじゃないか
もうずっと猜疑心の塊みたいな奴だし 名人、堀久太郎とかが生きてて政権支えてくれてたらね >>173
最上級に有能な家康残したままだからなあ フロイス日本史だと秀吉とねねが一緒になって
大坂城をフロイスとヴァリニャーノに詳しく案内するところがあって、
そこでどうも必ず寝床は一緒にしているねねが、秀吉に色々吹き込む協力をしている
表現がある。ねねは当時キリスト教側の間諜として機能していた疑いが濃い。 >>170
丹羽家は旧柴田領の越前任されていたでしょ
越前任されたところはだいたい反乱起こすか内乱で首を取られるかいろんな意味で潜在的敵性勢力ということなのでは >>130
高家じゃなにもできんよ
秀吉も織田の家督に祭り上げた信雄から領土を取り上げた後に御伽衆として召し抱えてるし
御伽衆と高家は力的には似たようなもんだよ あれだけ全方位ありとあらゆる付き合いのある相手に好かれる人そうおらんだろ
日本史でも屈指の偉人だよ、秀吉より凄いぞねねは 家康には家臣との友情エピソードが様々あるけど
秀吉は前田利家とすら友情崩壊しかけてる奴なので
死ぬ前から離叛の兆候はあったと思われる >>175
だけど秀吉死亡時までは、ギリギリ前田利家生きてただろ
秀吉は利家には全幅の信頼置いてたし、実際秀吉生前に家康があまり好き勝手動けなかったのも、利家の睨み効いてたからじゃね?
その辺は拮抗状態でバランス取れてたような >>171
実情はともかく豊臣家同士の内紛という体裁で関ヶ原が始まったので
徳川家同士の内紛に乗じて伊達他外様の有力大名が参戦してくるケースはありえたかなとかね >>182
前田利家ってなんか過大評価されてる気がするわ
蒲生氏郷に通じるものがある
生涯辿ると激戦区で大名として生き残ってきた上にでかくなった家康と利家が拮抗するわけないんだけどな
利家に毛利元就クラスの戦績があるなら家康の抑えっていわれても違和感ないけど >>170
いや、長秀は優遇したし、当にもしてた
福井は畿内の北の守り口だし上杉への抑え
丹羽家を冷遇したのはその長秀が死んだから >>62
大坂に籠って決戦場に出てこねーとか有り得んわな
家康は常に戦場に来てるんやから勝てるわけない >>182
といったところで利家は実戦を知ってるから睨みがきいたのであって
加賀100万に対してすでに徳川は400万石と国力では圧倒的差がついてるからね なぜこのひとか寧々と茶々を差し置いて実権握ったの? >>148
秀長の系譜があっさり途絶えたのがねぇ
おまけに数少ない親族の木下一門衆が小牧長久手で家康に結構討ち取られちゃった
余り話題にならないけどこれが地味に痛いかったと思う
ドラマとかで触れたのは「独眼竜政宗」ぐらいじゃね、一門死なせたことに激怒した勝新が秀次殴ってた >>187
その辺難しいね
秀吉とねねに実子がいないからねねは預かった子供達をみんな大事に大事に育ててその関係で秀忠との縁も生まれてねねの実家の浅野家の繁栄にも繋がってるし 前田利家は良いタイミングで死んだよな
下手に長生きしてたら加賀100万石どころか西軍首脳に担ぎあげられて処刑されて前田家も改易処分食らってただろう >>185
そもそも上杉は外様だけど直江兼続を筆頭に全国でもいち早く豊臣に接近した豊臣にとって準譜代みたいなものだから
織田家の時代とはだいぶ様相が異なる 関ヶ原の戦い前の
前田利家も加藤清正も暗殺なんだよ。 豊臣は織田家から簒奪したんだから徳川に取って代わられても別に非難する言われはないな
てかその時代の人もそういう認識だろう、秀吉だっておんなじじゃんって >>194
利長があっさり東軍に寝返ってるあたり
利家の意向もあったろう
豊臣は秀吉時代から終わってたんだよ >>196
隆慶一郎にとって柳生と秀忠はかなりの便利キャラだと思うんだ 豊臣秀吉終わってた
朝鮮の役の失敗
秀次事件
大地震
当時の俺も「終わりだよこの政権」言ってたからね 木下家に関しては家康も関ヶ原で謎のムーヴしてるよね。
小早川秀秋は歴史改竄の一つである可能性がある。 >>184
元々信長時代から比較したら家康は軍団長クラスで利家は軍団長の与力クラスだしね
秀吉が天下を簒奪した過程で家康以外の軍団長はいなくなってしまったから利家を引き立てたんだろうけども >>199
利家はそうやって上手く権力者に取り入って地位を築いてきた奴だからな
裏で家康に味方しててもおかしくはない >>184
うーん、むしろ過小評価されがちだと思うけどな>利家
なんか柴田家の家来みたいな認識されたり
実際は、織田本家の命令で与力として加賀入りしてたんだから、要は本店(織田家)直属の目付役で、むしろ柴田家の勤務評定報告する立場だろ
武勲とかの家格なら確かに柴田>>>前田だけど、利家が黄母衣衆の織田直属だったこと考えると、それでただちに勝家>利家とはならないいうな ジャニーさんが死んだ後みたいな感じだったよ
タッキーとか東山とかの行動はまさにそれ 織田から簒奪した羽柴がまた簒奪されただけなのに大騒ぎする大阪人ほんと気持ち悪い >>194
戦のキャリアで家康とタメを張れたのは
前田利家くらいだったから前田利家が死んだ
時点で家康に対抗できる勢力は無かった >>160
この時代だと神聖ローマ皇帝はスペイン王フェリペ2世の弟
フェルディナント1世だからスペインのほうが本家って感じ >>206
重要なのは立場じゃなくて戦績な
別に立場低くても真田みたいに自身より圧倒的に格上に戦で勝ってたら抑えとして信頼される強さに疑いはない
立場高いだけじゃ意味ないのは毛利輝元見ててもよく分かる >>184
それだと実戦経験イマイチな上杉が家康の牽制として会津に行くはずもないけどな。上杉も謙信時代のベテランは死ぬか年寄りになっている状態だけど >>117
田中角栄は、東大卒の官僚がビックリするくらいに勉強家だったそうだね >>96
恋愛結婚説が有力だろ。
しかも当時の寧々は13-14歳の可愛さ絶頂時だしな。
それが年上の身分も下なサルのお嫁さんに喜んでなるという。青年マンガのご都合設定が霞むくらいの甘甘設定。
しかもその親友の少女も
やはりイノシシみたいな乱暴者と
11歳で結婚してるが
それぞれ後の高台院と芳春院で
この二人がしっかり結びつけた
豊臣前田家の関係は
秀吉の政権奪取に直接貢献し
それからずっと政権中枢を支える
屋台骨そのものにまでなった。何から何まで
秀吉は寧々に、信長に叱責されたように
アタマが上がるわけがない。
寧々が淀君のように何としても子がいれば
前田家を筆頭にした旧織田家臣団、
寧々が多くを育てたとも言える秀吉子飼いの家臣団は
個人的な結びつきで真の忠誠を誓っただろうから
徳川幕府なんて成立しなかったろうね。
豊臣家が滅んだのはやはり正妻に子がいなかったからだよ。
徳川秀忠が寧々との結びつきが強かったのは
徳川への親近感を豊臣家臣団に持たせちゃったかな。。 >>211
前田なら末森城の戦いかな名を上げたのは。
もっとも世間は戦いに消極的な利家をお松が「アンタが普段から金ばかり貯めて家臣団作ってこなかったからこんなザマになったんでしょ!その金に槍もたせたら?」とイヤミを
言われて仕方なく戦ったなんてオチがw まあ秀吉死後は家康があらゆる面で抜きん出てたとも言える
抑えに誰か置きたくても家康クラスがいなかった
家康は経験豊富な上に普通に戦強いし駆け引きもできるからな
やりあって抑え込めるのはそれこそ秀吉くらい >>96
秀吉と母の妹は武家に嫁いでるし、国の往来が厳しい時代に織田と今川行ったり来たりして、信長の側に仕えてんだからある程度の地位はあっただろ秀吉 >>210
フェルディナント一世はカール五世の弟だから、フェリペ二世から見て叔父じゃね?
そういやスペインハプスブルクは1700年まで続いたのに神聖ローマ皇位は
スペインとオーストリアで両統迭立しなかったんだろう 前田家は長男の利長が梅毒じゃなく長生きしていたら随分変わったんだろうな。利休の7哲と数えられるくらいの文化人兼武将だったのにな。
あの偏屈の利休の眼鏡にかなう弟子は7人だけでその1人に選ばれただけでも優秀 >>211
ただ利家も若い頃は相当傾きもので、どっちかといえば槍働きがメインだったろ
年取ってからは算盤弾いてる官僚みたいなイメージになっちゃったけど
まあ織田家切っての武闘派の柴田らと比べると見劣りするし派手な武勲もないけど、決して戦弱かったわけではなかったんじゃ? >>218
ねねの母親は身分違いを理由に終世秀吉との結婚反対してたそうだから身分違いの結婚だったのは事実 >>212
越後で内乱あったし佐渡平定とか小田原参戦とかしてるから1590年くらいまでは戦してるだろ
その後10年間目立った戦してないなんてのは渡海してない大名は誰も同じ
直江が戦上手かどうかは知らんが浪人募集もしたし本庄とか古参の生き残りもいたから、それなりにやれたんでないの? 自滅だろ
古参の四天王潰してるし、
味方になる可能性の高かった丹羽家も弱体化させてるし >>221
それだけ実戦経験は豊富と言える。
金に吝いのは若い時不始末して一時期織田家をクビにされてた時期が影響してる。
このとき長男利長産まれ養う家族や家来
いて大変だったから金に対してかなりシビア
になった模様。
そこから金をためて諸大名に貸し付けて、
息子の利長に「この証文元に大名味方にしたら天下狙えるぞ?」と言った話もあるように
ただの脳筋じゃないぞ。家康も細川忠興に
金貸して恩を売ったりしてるからな 三成が忍城攻めで秀吉の助け借りる事無く武功上げてればね >>224
羽柴四天王の戸田勝隆、神子田正治、尾藤知宣、宮田光次って実際のところどうなん?
これに準ずると思われる仙石なんかも九州でやらかしてるし、毛利勝永の親父くらいしか譜代っていなかったような >>226
賤ヶ岳では死体蹴りの七本槍より三成の方が活躍してた説なかったっけ? まーんどころwwwww
よく考えるとすげえ名前だよ >>223
上杉は渡海してるから大陸での実戦経験あるな。直江兼続が現地から大量に書籍を持って帰ってきた。逆に徳川は小牧・長久手の戦いを最後に鳥羽伏見の戦いまで本格的な実戦経験が無くなってしまってた。井伊や本多といった一部は実戦経験あったけど主力本隊は秀忠付だったから関ケ原にも間に合わず。 >>225
金の貸し借りうまい奴って、やっぱり戦も強いよね
マケドニアのエウメネスなんかは、逆に金借りまくって裏切り防止してるし >>143
秀頼の種が実は秀次だった
なら秀吉的には絶対に理由を開かせない上に乱心の理由も分かる気がする
淀君的には秀吉は両親(長政とお市の方)殺しの主犯だからその復讐 >>227
羽柴四天王が言われ出したのが江戸時代だから蜂須賀ら元豊臣恩顧で存続中の大名、旗本を挙げると
迷惑だから断絶済みの連中を挙げたんじゃね? >>224
秀次事件で古参の武将を粛清しまくったのがな。もし秀次が生きてたら家康が台頭なんてやれなかったぜ? >>232
カエサルも借金王と揶揄されるくらい金を借りまくった。ハゲなのにみんなから好かれた。大久保利通も自分名義で金借りまくって
政府の改革やりまくっていたから死んだ時
まったく財産ナシで慌てた政府が借金帳消しにして遺族が路頭に迷わないようにしたくらい。
>>181
実の娘を秀吉の愛人にされたり、北之庄攻めでは柴田勝家攻めの先鋒にして弾除けにされたり、娘婿の蒲生氏郷が死んだ後に蒲生家が
改易されそうになったりと利家はよく我慢しいたなあと >>63
必要なのは鳥取城を兵糧攻めを嬉々としてやれるサイコパスの能力 >>240
少し前に再放送してたおんな太閤記では滝田栄の前田利家がその辺の葛藤をうまく演じていたな >>242
柴田勝家裏切ったという後ろめたさがあっ
たから秀吉は裏切れなかったんだろうな。
若い頃から散々世話になった柴田勝家を
裏切ってしまったから当時前田は散々世間から非難されたはず。
逆に柴田勝家は裏切った前田利家の人質を
殺さず「俺が負けたからだから仕方ない」
と利家に返したりと男を最後まで上げた
のに 北政所が淀殿と一緒に大阪残って秀頼押せ押せしてたら違ったのかなあ?
それでも家康には敵わなかったか 高台院自体は京都の広大な邸宅住まい
万石超えの大名なみの化粧料で
従一位という誰もがひざまずく高位で
将軍秀忠もあいさつに来る貴人
親戚スジもいっぱい大名で
気ままに余生を全うした >>63
実家で豊臣の祭祀を引き継ぐことになった木下家の家督に口挟んで
おかしなことになってたような フロイスは「日本女王」とかメモ書きしてるから
もうこれ「悪役令嬢」だろ
文字通り破滅フラグやん
リアル乙女ゲーム
ねねって戦国時代なのに秀吉と恋愛結婚したんだって? 文禄2年に大阪城の女房衆と唱門師の醜行で男女が死刑になった(秀吉は名護屋城滞在中)
これ留守の大阪城で淀と女中が乱交パーティーやって秀頼仕込んだって事だよ 道端の知らない庶民にまで今度能か茶会があるからお前も見に来いよと気さくに声をかけたり
大茶会で身分無しにどんどん人を入れて自分から振る舞ってやったりと
オープンで気さくなところがあったのは確かだろう 織田家臣時代の与力をそのまま譜代化するつもりが微塵もなかった猿野郎の自業自得なんだよなあ
神子田や尾藤は処刑、戸田は無嗣断絶とか特別扱いはしないのは
天下人になっても唐入りの為には実力主義続ける必要があったんだろうけど
所詮は島国土人なんだから島国統一したらまずは守成に回れよって話だ >>252
上杉の最上領侵犯の惣無事令違反を黙認して
それではと秀次に娘を嫁がせたらあの結果 >>237
秀吉亡くなったの知った翌日に家康へ
天下人への道が開けましたな
って手紙送りそう >>63
組織には器の大きいリーダーと天才と秀才と凡人全て必要
将棋の駒のようにそれぞれの使い道があるため 何としてでも家康倒さないからだよ
やろうと思えば出来たのにしなかった
リスク取ってでも生きてる間に磐石にしなかったくせに子供に跡を任せるとか無能すぎる 豊臣秀吉 身長150cm
豊臣秀頼 身長190cm
あっ…(察し) >>259
むしろ息子を後見してくれる人が欲しかったから家康殺せなかった。秀吉もどうせ天下は
家康に取られるなら息子を臣従させてもいいから頼むと言いたかったんじゃないの? >>260
浅井の血筋でもあるからでかくておかしくない >>250
鶴松死亡 1591年8月上旬
秀次関白 1591年12月末
秀頼誕生 1593年8月上旬
だから1592年に秀吉が死んでいたら・・・って想像は面白いかも 若いころ神様と取引して子供を作る能力と引き換えに
才能を手に入れたっていう設定の小説があったわ >>136
>>251
でも淀殿ってかなり強者女性だったらしいし秀吉としても本望だったんじゃないか?
自分が愛する女のために全てを捧げたい貢ぎたいってのが男の本能だしさ
強者女性と結婚して浮気されたくないだなんてワガママは通らないよ >>160
それで明の実力を軽視して結局失敗ですか 北政所=親家康というのは間違いで、むしろ茶々よりも三成に近かったというのが最近の説だろ >>237
これ
家康クラスの知行にしておけば、秀吉の死後もうちょっと面白かったと思う 秀吉が死んだ時点で実質終了だから…攻め滅ぼされなくても北条に乗っ取られた鎌倉みたいになるのは目に見えてる 北政所は木下家がいればいいでしょぐらいのスタンスだったのに秀吉がクソムーヴかました時点で愛想が尽きてるでしょ 特にこれと言って考察する必要もなく
普通に豊臣秀吉が悪い >>265
淀は秀吉が数百もっていた側室のひとり
跡継ぎ産まなければどうでもいい存在
秀吉がもし托卵と打ち明けられていたら
秀次よりもむごい殺され方していたはず 淀殿と近江衆に好きにやられるくらいなら潰しちまってもいいくらいは思ってたかもな
おね派子飼いの尾張衆は結果ほとんど改易されて大失敗だったが 豊臣ジャップが滅んだのは淀のせいでもねねのせいでもない秀吉自身のせいだ
殺しすぎたんだよ
豊臣を支えるべき中枢を連座で殺しまくってしまったし大名の人心が離れてしまった
連座されそうになった最上や細川、伊達を救ったのは家康だよ >>63
信長→ウェーイ系陽キャ
秀吉→コミュ力抜群の体育会系
勝家→ど根性系脳筋
利家→人の良い秀吉の先輩
光秀→ちょっと理屈っぽいガリ勉
家康→若干コミュ障入った帰宅部 >>230
もともとは皇族や公卿の家の家政を行うのが政所
夫人が家政を仕切るのは普通なのでいつの間にか夫人の別称に >>251
淀君って浅井長政とお市の方の娘だから、いくら戦国の世だからって言って両方の両親殺しに関わってる秀吉に心開くっていのが
なんか無理があるんだよなぁ
かなり強引に側室にしたんじゃねーのって思うわ
乱交パーティーというか秀頼の種が秀次でそれを知った秀吉が発狂して一族根切りした説 秀吉×茶々(淀)ばっか言われてるけど
秀忠(家康の息子)の側室「江」も市の三女なのにな
こういうので泊付けていく封建社会&閨閥社会だってのを理解しないと >>279
家康(秀忠)の方は浅井長政や柴田勝家(お市の方)殺しにそこまで関わってないからまあ 転生したら北政所だったとか悪役令嬢モノにすればヒット間違いなし >>66
西軍が勝ったところで毛利が徳川のポジションにつくだけだろうしな
最悪のパターンだと五大老の権力争いが始まって上杉とかが東国で暴れ出して戦国時代に逆戻りとかだってあり得る
豊臣滅亡の戦犯は五大老最大の徳川と戦をしようとした石田三成だと思う >>76
粛清が足りなかったんだと思うよ
もしくは統一までもう少し時間かかっても
家康は潰しておくべきだった
野心があるかつ力もあるやつを残したらダメってことだよ
無能でもやれる組織作りっていうけど
それが大したことない室町だって江戸時代に負けないくらい長続きしてるしね >>179
徳川を倒す大義名分は存在するだけであるからな
直接簒奪された豊臣には
神輿としてだけでも価値がある >>281
だよな
歴史上の天下人で側室を一人も持たなかった極めて稀有な存在が秀忠
でも隠し子は何人かいたんだっけ >>176
そこまで仲の良かった二人に男児が数人居たら歴史は違っただろうな >>72
家柄だけで言えば松平だって乞食坊主が山奥の土豪を乗っ取っただけだし
近現代でも宮澤喜一なんかは実家は農家かどうかすら怪しい極貧の家だし
農家出身の秀吉の家柄レベルの権力者は何人かいるんじゃないか
総理にはならなかったけど野中広務なんかは被差別部落出身だし家柄とかなら秀吉よりもさらに下だろう
秀吉みたいに一代で一気に成り上がるのは大変だから何代かかけて偉くなるパターンのが多くはあるけど >>181
徳川政権も天下取った後は
友と言ってた男のお家おとり潰ししたりとか結局やってるし
家康は最晩年まで天下とらなかったから
直接手を汚さないですんだだけだよ
そこを秀忠がやっただけ 徳川家の始まりは
三河に流れて来た時宗の乞食坊主が
土豪の入婿になったのが始まりだろ 組織、ルールなんて力があればぶっ壊せる
この前提を理解してると
結局やり方が中華皇帝になるんだよなあ >>218
大政所の家系は加藤清正や福島正則がいるし身分は高くないにしても職人とかしながらそこそこ儲けてる富裕層ではあったのだろう
少年時代に家を出た秀吉はともかく秀長は教養もあるしそれなりの教育を受けさせる余裕があったことがうかがえるし >>124
五大老をはじめとして自分の死後に豊臣に取って代わる力のある大大名を作りすぎたのがそもそもダメなんじゃないか
その中で秀吉からしたら一番信用できそうなのが織田家の同盟者だった徳川だったんだろうけど
お友達枠の前田はともかく上杉や毛利からしたら豊臣なんて
どうでもいいだろうしな 当時不妊治療技術がなかったのが豊臣最大の敗因でしょ
秀吉が若くから子沢山になってたら一家は盤石なものになっていたはず 秀次が老年の秀吉をぶん殴って殺してたら、未来は変わったんだろうな >>296
2代目関白秀次は子だくさんだったから
秀吉がとっとと死ねば
豊臣政権は安泰だった 秀吉がとっとと死んでりゃ
秀次の子どもがどんどん親藩の大大名になる
秀長の大和大納言家100万石も秀保が死んでも
秀次の子どもが継いだろうし
家康が出てくるスキがない >>290
そんな貧農がよく教育を受けられたもんだな >>290
宮澤喜一って父親が海運会社づとめで、母親は大臣の娘なんだが >>300
宮澤喜一の父親は頭脳はとりわけ優秀だったらしく同郷の支援者がカネを出してくれて帝大まで行けたそうだ
歌人の斎藤茂吉なんかも貧しい農家の子だったのが後継者を探してる同郷の精神科医が秀才ぶりを聞いて婿養子にとることを前提に東大医学部に入ってドイツ留学までしたし
明治期には将来自分に役立ちそうな人間に投資感覚で教育を与えるようなことがあったんだろう
近代化のために国家が優秀な人材を必要としていた時代でもあるしな >>278
信長の娘とかまで手当たり次第に側室にしてる。秀次の女にまで手を出そうとして断った女を処分したりもしてる
出自の卑しさがそのまま出た絵に描いたようなゲス野郎だよ
全盛期は秀吉の力に逆らえなくて従ってただけで秀吉死期にあっという間に天下を奪われたのも納得のゲスさ >>305
家康含めて秀吉のまんこ好きを知っていた当時の武将も
秀頼はみんな托卵と思っていた説
淀は豊臣家滅ぼした悪女 >>306
信長や家康はバイセクシャルだっただけ
アナルのほうが締まりがいいのは事実だから
秀吉はセックスの快感よりも征服欲でまんこ選んでいた可能性高い あんだけ女好きでやりまくって子供出来なかったのに
淀殿に限って2人出来ましたってのはねぇ… >>307
まあ両親殺した豊臣家なんて滅べばいいと思ってても別に不思議じゃないな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています