――そもそも明治神宮外苑はなぜ造られたのでしょうか。

 「1912年7月に明治天皇が亡くなった後、当時の東京市長だった阪谷芳郎が中心となって、大日本帝国の中心である帝都・東京に、明治天皇を顕彰する施設を造る計画が立てられます。代々木御料地に明治神宮内苑、青山練兵場に外苑を造り、内苑は国費で、外苑は国民からの寄付を集めて造るという構想でした」

 「いわゆる『神宮の森』は、そのときにつくられた人工の森で、全国から約12万本の木が集められて植樹されたものです」

総力戦体制のため「スポーツの聖地」に
 ――明治天皇の顕彰のために造られた外苑が、なぜ近代日本のスポーツの中心地となったのですか。

 「計画の当初から、外苑に競技場を建設することが含まれていました」

 「第1次世界大戦で総力戦を…

この記事は有料記事です。残り2857文字有料会員になると続きをお読みいただけます。

https://www.asahi.com/articles/ASR9H4HNNR8TUPQJ00H.html