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(ヽ´ん`)「我れ深く汝等を敬う、敢て軽慢せず。所以は何ん。汝等皆菩薩の道を行じて、当に作仏することを得べし」ネトウヨ「?」 [377482965]
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0001(ワッチョイW ded3-TqQ+)
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2023/09/28(木) 21:08:49.17ID:5/kzAXoR0?2BP(2223)

《宮沢賢治没後90年》土偶坊(デクノボー)という理想像 岡田文弘氏(1/2ページ):中外日報
https://www.chugainippoh.co.jp/article/ron-kikou/ron/20230913-001.html

宮沢賢治(1896〜1933)が『法華経』の篤信者であった事実は広く知られている。その篤信ぶりの中でも特に有名なエピソードは、かの名詩「雨ニモマケズ」を『法華経』、その中でも第20章にあたる常不軽菩薩品を下敷きにして書いた……という逸話だろう。

常不軽菩薩品の粗筋をまず見ておこう。昔々、仏法が形骸化してしまった「像法」の時代に、ひとりの小僧が現れた。この小僧は読経もせずに、ただ辻に立っては「私はあなたを深く尊敬し、けっして軽んじません。なぜなら、あなたは菩薩の道をあゆみ、いずれ仏と成られる方だからです(我れ深く汝等を敬う、敢て軽慢せず。所以は何ん。汝等皆菩薩の道を行じて、当に作仏することを得べし)」と誰彼なしに呼びかけて礼拝するのだった(但行礼拝)。この口癖から「常不軽菩薩」(常に軽んじない菩薩)とあだ名されるようになった彼は、評判がすこぶる悪かった。なんとなればその当時、仏法は形骸化していたわけで、誰も本気で成仏など目指していなかったのである。そんなところに「あなたもいずれ仏に成る」と唐突に言い迫ってくるものだから、「余計なお世話だ、不審者め!」と衆人は反発したのだ。

こうして疎んじられ、時には石まで投げつけられて追い払われた常不軽菩薩だったが、逃げのびながらも一向めげることなく礼拝行を続けた(「瓦石を以て之を打擲すれば、避け走り遠く住して、猶お高声に唱えて言わく《我敢て汝等を軽しめず、汝等皆当に作仏すべし》と」)。その甲斐あってか彼は、後に『法華経』を体得し、更に神通力も得て、寿命も延ばしたのだという。この常不軽菩薩こそ、釈尊の前世(の一つ)であったそうな……。まさに、全ての者の成仏を説く『法華経』の精神を体現したような菩薩、それが常不軽菩薩なのだ。

(後略
0002安倍晋三
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2023/09/28(木) 21:09:35.27ID:Q9Yvi1Tt0?2BP(1000)

お前のスレ立て履歴見たけど
学会員だろ
0003安倍晋三
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2023/09/28(木) 21:09:45.38ID:Q9Yvi1Tt0?2BP(1000)

ツイッターもやってるよなお前
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