イチローも警鐘を鳴らした…「大人に叱ってもらえない」Z世代が直面する「やさしさという残酷」

抜粋

「責任を負う人」がいない時代

これは部活動にかぎった話ではなく、一般企業の教育・指導にも共通した問題だ。いまは上司や管理者が部下に厳しい指導をしようにも、
ハラスメントとして告発されてしまうリスクが高いし、あるいは厳しい指導をしたせいで心が折れたり気持ちが萎えたりして辞められてしまうのは、人手不足の状況では死活問題になってしまいかねないため、うかつに踏み込めない。

「厳しい大人」というのは、若者を「一定のラインまで引き上げる」ことを、責任をもって保証してくれる人でもあった。
その指導やフィードバックが厳しくても辛くてもしんどくても、とりあえず信じてついていけば、ある程度の高みにまでは自分を運んでくれる、そういう指導責任を頼もしく引き受けてくれる人でもあったのだ。

いまの時代は、そういう「厳しい大人」という存在を、子どもたちにとって加害的であり、抑圧したり心の傷を負う原因となってしまうリスクがあるということで排除してきた。
それによって、たしかに子ども時代に理不尽やトラウマを味わう機会がめっぽう減ったことは間違いないが、かつてそういう人たちによって保証されていた「高み」に上がって来れるかどうかは、完全に「自己責任」になってしまった。

自分で自分を厳しく管理して、「高み」にまで自分を押し上げられる若者はそう多くはない。結果として世の中は二極化が著しくなっている。
「勝ち組」はライバルが減った分だけその取り分が大きくなったが、「負け組」になると――負け組になってしまったのは自分の自主性の結果なので――救済の論理はなく、あっさり「自己責任」として突き放される。

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