今月1日午後4時すぎ、地震が起こった際、志賀町の中川叶逢さん(5)は同じ町内の親戚の家で母親の岬さん(26)と一緒に石油ストーブの上で餅を焼いていました。


岬さんによりますと、大きな揺れでストーブの上のやかんが倒れ、熱湯が叶逢さんにかかり、岬さんはすぐに救急車を呼ぼうとしましたが、震災直後の混乱で来てもらうことができなかったということです。

痛みを訴える叶逢さんを自分の車に乗せて病院を目指しましたが、地震により路面も損傷する中、たどり着くことができず、改めて救急車を呼んで、ようやく内灘町内の病院にたどり着きました。

叶逢さんは、お尻と足のあたりにやけどを負っていて医師からは「やけどは軽傷でもなく重傷でもない」と言われ、痛みが強いため入院を希望しましたが、入院はできなかったということです。

叶逢さんはその間も痛みを訴え続けたため途方に暮れた岬さんは駆けつけた家族とともに病院のロビーのソファーで一夜を明かしました。

その際の心境を、岬さんは「家も被災して帰れる状況ではないのにどうすればいいのだろうと感じました」と話していました。

その後、親戚の家に戻り、今月3日になって叶逢さんは容体が急変し、41度の高熱とめまい、ひどい吐き気の症状が出て別の医療機関を受診しましたが症状は改善せず、4日に再び内灘町の病院に行きました。

しかし、診察を待つ間に叶逢さんの呼吸が止まり、集中治療室で治療を受けましたが翌日、死亡が確認されました。

叶逢さんは優しい子だったということで、岬さんは「悔しいしさみしいです。何でこういう形になってしまったんだろうという残念な気持ちしかありません。戻ってきてほしいし、もっと遊んであげればよかった。後悔でいっぱいです」と話しました。

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