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「具体的に可能な自由を行使していくというプロセスが1番大事」

 授業中に鍋をやりたいと学生から連絡があったのは、12月5日の授業の前日だった。「他の受講者にちゃんと配慮してやってね」と伝えたという。授業当日、増田さんが教室に到着する前に、その学生は受講生にアナウンスした上で、迷惑に感じる学生がいないことも確認した。

 臭いが出ないように水炊きで鍋をやったり、換気できるように窓の近くの席を選んだりするような配慮もあったという。増田さんは「鍋があることで、学生とのコミュニケーションが出来て、私としては大変教育効果が上がったと考えています」と振り返った。

 批判には、「教員が授業中に鍋を食べることを許可したことに、学生は従っただけで本当の自由ではない」という声があった。こうした意見に対し、次のような見解を示す。

「自由というのは 0%か100%ではなく、常に具体的な場において、『これぐらいの範囲や程度なら良いけどそれを上回るとダメだ』ということを測りながら、見えないルールや周りの人との交渉によって、具体的に可能な自由を行使していくというプロセスが1番大事だと思います」

 自由は100%の自由でなければ意味がないという考え方に対し、増田さんは「自由に対する見方が貧しい」とも述べる。「今自分が置かれた環境の中で、どこまでの範囲や程度で自由は可能なのかということや、どこまで自律的に考えて行動することは可能なのかということは、実際に具体的に行動に起こしてみないと分かりません」

「大学という場は、単に教師が言うことを学習するだけの場ではなく、色んな試行錯誤を自律的に行い、『ここまでの範囲であれば自分の能力や周囲の人との共同作業で可能だ』と理解していけるような、自由の具体的なあり方を測れる空間なのではないかなと考えています」

 大学の本質的な機能として「何が出来るのかということを実際に学生が試すことができる場所」だと指摘する増田さんは、「大学には、個別具体的な状況に配慮しながら色んなことができる余地があるし、そういう試行錯誤が可能な空間でなければならないんじゃないかと思います」と話している。