鶏が鳴いて殺された一家7人、今も地域では鶏を飼わない風習…元寇から今年で750年
https://www.yomiuri.co.jp/national/20240130-OYT1T50033/

鎌倉時代に起きた最初の 元寇げんこう ・文永の役(1274年)から750年となる今年、歴史の舞台となった自治体などが連携し、史実を伝える取り組みに力を入れている。元寇は“神風”と呼ばれる暴風によって、国難が奇跡的に救われた印象が強いが、長崎県松浦市や壱岐市などには防戦で奮闘した武士の活躍や虐殺された住民の悲劇を伝える史跡が残っている。企画展やイベントなどを開催し、埋もれた史実に光を当てようとしている。(小松一郎)

島南部の山中には、「 開田ひらきだ の七人塚」の石碑があった。文永の役の際、山に隠れていたが、鶏が鳴いたために元軍に気づかれ、殺された一家7人の悲話を伝えていた。この地域では、今も鶏を飼わない風習があるという。

 島内には、弘安の役で 少弐しょうに景資かげすけ が構えた陣屋跡とされる「 龍面りゅうめん 庵」などの史跡もある。「鷹島は海底遺跡が注目されていますが、地上にも元寇の史跡が数多くあります」。市教育委員会文化財課の安木由美・主事は説明した。

 鷹島沖では弘安の役で、元寇船約4400隻が暴風に遭って壊滅したとされる。同島沖の鷹島海底遺跡では元寇船のほか、「てつはう」とみられる球状の土製品や、元の国字「パスパ文字」が刻まれた青銅印など4000点以上が出土した。