下敷きの父「助けられずごめん」 救助の矢先に大津波警報で避難

石川県珠洲(すず)市三崎町の漁師、前田進さん(74)は、新年のあいさつで訪れた友人宅で、崩れた家屋の下敷きになった。現場へ駆け付けた息子ががれきの中から父を助け出そうとした矢先、海沿いの町に大津波警報のサイレンが響いた。「助けてあげられなくてごめん」。父を残したまま避難せざるを得なかった息子の心には、今も悔いが残る。

【写真】能登半島地震で知人宅を訪問中、倒壊した家屋の下敷きになって亡くなった漁師、前田進さん

元日の夕方、長男の洋一さん(44)は自宅でゆったりと過ごしていた。突然、内臓が突き動かされるような激しい揺れに襲われ、家の外へと飛び出した。

進さんが出かけた近くの友人宅を見ると、地震で完全に倒壊していた。走り寄って何度も声をかけたが、返事はない。生きているのか、それとも−。間もなく大津波警報が発令され、サイレンが鳴り始めた。逡巡(しゅんじゅん)した揚げ句、その場を離れる決断をした。

「待っとれよ」

叫ぶことしかできない現実が歯がゆく、無力感が募った。大津波警報から切り替わった津波警報も未明まで続き、父がいるはずの友人宅に戻ることができないまま避難先で一夜を越した。気が狂いそうになりながら過ごしたその夜の記憶は、今でもはっきりしない。

漁師だった進さんは、手先が器用で、海を愛する「自慢の父」だった。段ボールや菓子の空き箱などを利用し、精巧な「宝船」の模型も作ってくれた。昨年3月に体調を崩し、漁に出られなくなった際には、医師に泣きながら「俺はもう1回釣りに行きたい。治してくれ」と訴えていた。

地震翌日、倒壊した友人宅まで戻った。進さんはその居間で亡くなっているのが見つかった。地震で崩れてきたものを押し返そうとしたのか、腕を突き上げた姿だった。「(最期まで)一生懸命生きていた。本当に悔しかったと思う」。

進さんの火葬をとり行うことができたのは、地震から2週間余りたった15日。「今までありがとう」「助けてあげられなくてごめん」。父への感謝、そして後悔の思いが一気にあふれ出した。

崩れた家から父を見つけ出す際、重機を持ち出した地元の人たちは「進さんを助けるんや」と口々に言っていた。「父のために、たくさんの人が動いてくれた。それだけ人望の厚い人だった」。洋一さんは今、父への誇りを胸に前を向こうとしている。(花輪理徳)

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