困窮と廃虚が続くなか、「広島平和復興祭」が46年8月6日を中心に行われる。広島赤十字病院や各校での無料診療、ヤミ市より安い食糧や雑貨などの展示即売会、映画招待、音楽会などが催された。
市町会連盟は5日、基町の旧広島護国神社跡で市民大会を開く。爆心地から約370㍍、鳥居だけが残っていた。市民は「世界平和は広島から」「郷土の復興は我等(われら)の手で」との横断幕を掲げ、連合国軍総司令部(GHQ)が派遣し、壇上にいた市復興顧問にも願いを訴えた。
6日午前8時15分、全市にサイレンが流れた。
そして翌7日、「戦災供養盆踊り大会」が旧護国神社跡で行われる。主催したのは中国新聞社。全焼した上流川町(中区胡町)の本社で前年11月に自力発行を再開して復興を訴え、町内会の復活からを報じていく。原爆1年を前に「ユートピア広島の建設」と題した懸賞論文も募っていた。
爆心地一帯を会場とする盆踊り大会の開催に当たり、「平和的古典文化の復興」と唱えた。
https://hiroshima-bon-dance.jp/history/index.html