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中国問題、「がきデカ」 活字の世界で活躍
「すごいやつがいた」と埼玉県立浦和高校(以下、浦高〈うらこう〉)時代を思い返すのは阿久津邦彦さん(78、1963年卒)だ。新聞部に所属。「60年安保と70年安保のはざまの世代で混沌(こんとん)としていた」と話す。
試験以外は学校に一度も姿を見せない男がいた、という。模範解答が廊下に張り出されると、彼はお尻に手ぬぐいをぶらさげてげた履きでやってきた。その模範解答の間違いを見つけては直して帰っていく。そんなことが1年ほど続いたら今度は教師が白紙を廊下に張り出した。彼はそこに模範解答をすべて書いて去っていった、というのだ。
本人は授業より読書に夢中になった。階段下の小部屋にこもって伊藤整、丹羽文雄、高見順らを次々と読んだ。
秋田書店入社後は週刊少年チャンピオン時代に、ギャグ漫画史に残る「がきデカ」(山上たつひこ)や「マカロニほうれん荘」(鴨川つばめ)などを世に送り出し、同誌編集長も務めた。
講談社現代新書編集長の青木肇さん(53、88年卒)は8ミリ製作委員会に所属。表向きは学校の行事などを撮るという活動内容だが、実際は映画の創作に明け暮れた。
将来の夢は映画監督。「ちょうど『ぴあフィルムフェスティバル』がはやっていて出品する人もいた」。同学年では自分しか在籍しておらず映画好きの仲間を誘って学園ものをテーマに映画を撮った。
浦高祭では名物の門づくりを担当、夜遅くまで校内に残って作業をした日々も懐かしい。「浦高祭の後夜祭で歌う『ともしび』は今もカラオケでたまに歌う」