念のため解説

伊藤博文は>>274
> 欧州に於ては憲法政治の萌せる事千余年.
> 独り人民の此制度に習熟せるのみならず,
> 又た宗教なる者ありて之が機軸を為し,
> 深く人心に浸潤して人心此に帰一せり.

明治4(1871)~6年の岩倉使節団でヨーロッパを見て回り
そこで人々が自ら憲法を勝ち取った歴史を知るが
そんなヨーロッパの人たちを一つにまとめて動かしている仕組みを
民主主義へと至った市民革命ではなく「キリスト教」だとしたのがココ

だから伊藤は
日本もキリスト教のようなものを使えば
一つにまとまるぞと
> 我国に在て機軸とすべきは独り皇室あるのみ
つまり天皇をキリスト教の神のようにして国の中心に据えるとした

これを知っていると>>1の伊藤の話が
日本の宗教をまるで欠けたプラモデルの部品をこれでいいじゃんと
安直に付け足すように「自分たちに都合よくでっちあげる」中での話でしかなく
出来上がったのが
日本の歴史的にも天皇家の歴史的にもあり得ない
「現人神を頂点とした国家神道カルト」だったとわかる