結騎 了 @slinky_dog_s11
若い頃にアラフォー辺りのオタクの作品感想に憤りを覚える場面が多々あった、という話をしたい。
というのも、感想において「これは〇〇のオマージュ」「いわゆる××的な演出」「△△のパターン」などと、
事あるごとに過去作を持ち出して類型化してしまうのだ。これが、昔の自分には疎ましく思えた。(続
結騎 了 @slinky_dog_s11
この場合の「若い頃」というのは、オタク筋が付き始めた十代後半あたりを指す。
まだ浴びた作品の絶対数(分母)も少ない頃。自分はひとつひとつの作品に真剣に向き合って
個々に感想を捻り出しているのに、おっさん達に分かったかのように
安易にパターンに押し込んで語られるのが癪だったのだ……。(続
結騎 了 @slinky_dog_s11
「あの演出にはこういう意図があるのではないか。あるいはこういう解釈か」と目の前の課題に
あーだこーだと取り組んでいるのに、ネットにいるおっさん達は「アレはこういうものですね。お馴染みのパターン」
などと分かったような口を効いてさっさと処理してしまうのだ。これを、苦く感じていた。(続
結騎 了 @slinky_dog_s11
「すぐパターン化して分かったような気になるおっさん達より自分の方が
よっぽどこの作品に深く向き合ってるゾッ!奴等はモチベが枯れてるんだ!」などと、阿呆なことを思っていたりもした。
時は経ち、そんな自分にもアラフォーの足音が聞こえるようになった。すると、どうだろう。(続
結騎 了 @slinky_dog_s11
あの頃の「すぐ類型化するおっさん」に、自分もすっかりなっていた。
いつの間にか、とてもシームレスにそれになっていた。発言(ツイート)だけでなく、思考がすぐに類型化しちゃう。
ここ最近、これに要因のようなものがあるとしたらそれは何か、ずっと考えていた。
それをぽつぽつと呟いてみたい…(続
結騎 了 @slinky_dog_s11
やっぱり単純に、接する作品数が減っていく。
ライフステージが変わったり(余暇の時間)、体力が落ちてきたりして(加齢)、
最もオタク筋を振るっていた十代後半~二十代の頃の感覚やバランスが、どこか全ての基準、
感想のスタート地点になってしまう感覚がある。
判定ライン(?)の更新が鈍い。(続
結騎 了 @slinky_dog_s11
最高も最低も平均も、およそ十代後半~二十代に摂取したものが自分の中にあって、
全ての新規(はじめましての作品)をついその頃の基準値で受け取って判定していまう。
これを思考や発言に落とし込むと、「すぐ類型化する」になる。
無意識に、一昔前の過去に縋って感想を出力してしまう。
https://togetter.com/li/2310902