徳川慶喜「すみません、大政奉還します。命だけは助けて下さい」⇐情けなすぎないか?家康泣いてるぞ? [882679842]
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信長なら死なないと譲らないぞ?
https://kenmo.jp 無血開城でほめられてるが、江戸時代自体が糞だからどうでもいい このあと軍国主義になってアジア人いっぱい殺したんだよね 水戸家の教育の賜物
将軍家と朝廷が対立したら朝廷に味方しろって教えられてきたんだから 武士階級を消滅させて余生を女遊びと趣味に費やした本当のバカ殿 言うてここでドロドロの内戦してもアホやろ
腹切れやとは思うけど 本気で戦えば泥沼の内戦にはできてただろ。バックにフランスもいたし、勝てたチャンスもある。 少し前の慶喜観だよな
保守論客も今はようやったやろ 慶喜「大政奉還するわ。これで全部終わりな。」
薩長「おのれ幕府許さん!」
慶喜「???大政奉還したやんけ!やっとれんわ!」
→大阪城から脱出 徳川幕府側は薩長と戦争しても勝てるだけの軍事力は持ってたという話もあるけど どの藩も借金まみれで持たなかったでしょ
借金踏み倒すための革命 慶喜は秀頼みたいなもんや
秀頼はキッチリ腹切ったけどな 徳川家でダントツのゴミって二代目って認識で合ってるよね? 物を知らない田舎者だな
徳川宗家を始め旧幕臣が、公武合体でむしろ家格を上げ、現代社会においても上級なのを知って、不思議に思わんのか?
山口県萩市は、三河の萩に由来する
三河の萩の南朝の末裔が、大江氏に連れられ長州に移り住み、三河の萩を忘れない為に萩と名づけた
徳川と毛利は裏で繋がっていた
源頼朝の側近が大江広元だったように、徳川の側近の酒井は大江広元の五男の家系、萩氏庶流ではないか
家康が生まれた岡崎の平安時代の領主、高階惟長の嫁は大江広元の娘だった
明治維新とは江戸の三河武士から、長州の三河武士への国譲り
実は明治政府というは三河国宝飯郡萩に隠れ住んだ南朝落人の政権で、同じく南朝系を称した徳川政権から禅譲されただけ
譲られただけだからこそ江戸城は無血開城され、今までどおり東京が首都になった
事実上現代社会において、徳川幕府は崩壊していない
三河国宝飯郡萩と大江広元(毛利氏の祖)
大江忠成(海東忠成)
・鎌倉幕府評定衆
・大江広元の五男
・三河の藤姓熱田大宮司家に養子入り
・熱田大宮司
藤原実範(三河守)→季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)→季範(初代藤姓熱田大宮司家、額田冠者(三河国額田郡))→範忠→忠季→忠兼→海東忠成(養子入り)→萩忠茂(三河国宝飯郡萩、萩大宮司)) 知らんけど
薩長しかり天皇は徳川の顔を立てたんじゃないの?
建前的には徳川幕府は薩長に討伐された訳じゃなくて天皇から預かった政権を天皇に返したって体だろ? 徳川慶喜「大政奉還します(どーせお前らには出来ないから、俺に委譲すんだろ)」
新政府「がんばります」 おかげで、薩長につく英国と徳川幕府につくフランスの武器商人の食い物にされる内戦の長期化を避けられた 擦り寄ってきたフランスの陰謀を見抜いてたんだろ
まあ薩長の背後にいたイギリスに手を貸した結果になったけど 徳川慶喜の玄孫が「家系の断絶」を決意した理由とは…120年以上続く名家の「家じまい」事情
今年1月、江戸幕府の最後の将軍・徳川慶喜の玄孫(やしゃご)である山岸美喜さんが、第5代当主として「絶家」することを発表し、大きな話題となりました。
https://bunshun.jp/articles/-/62681 攘夷もせなあかんし矢面から離れたかったんやろ
大政奉還も朝廷に押し付けたようなもんやし
なおそのまま実権握ろうとしてたらモロバレだった模樣 内戦になって民衆が苦しむのを避けた偉人という説が最近は流行っている 隠居してからの写真道楽が貴重な映像アーカイヴになってるんだよな 本格的な内戦を避けて軟着陸しようとしたけど当時の軍産複合体やらユダ金やら欧米やらがそれを許さなかった
そして傀儡となり朝鮮や中国相手に血みどろの間接統治をする事となる
あの時やらなきゃいけなかったのは一丸となって傀儡化を食い止める事だったけど今も欧米シオニストに絶対勝てない状況を見るに結果は変わらなかったんじゃねぇかと思う
目をつけられた時点で詰みだったんだ…
後世でまた東アジアが仲良く手を取り合う未来が来ることを切に願う、おそらくここのモメンらが生きている間は不可能だろうけど… 幕府が金欲しさに薩摩の密貿易を見て見ぬ振りしてたのが悪い 教科書のイメージと違って、意外と近代化に向けての改革進めてた有能だよな
倒幕起こらなくても言うほど歴史は違ってなかったんじゃないかと思う そのおかげで76歳まで生きれたんだし
戦略的には成功だよ
もし逆らって30代で処刑とかになったら
それこそ悲惨な最後 >>47
上の世代がみんな死んだのもあるけど
伊藤博文は普通に有能だぞ >>29
むしろ薩長は先手を打って大政奉還されてやられた側
そのあと徳川を首班とする連合政府に移行する予定だったけど、それが嫌だから武力で打ち倒す形が欲しくて戊辰戦争に雪崩れ込む >>50
小御所会議では徳川がうまいこと立ち回って骨抜きにしてしまったからな
勝つことは良いことだけど勝ち過ぎてしまうのもよくないってことだな 明治維新にはロシアとの代理戦争やらせるって目的があったからな
今のウクライナ並の扱いで借金背負わされて日露戦争やらされた揚げ句
三国干渉でロクな戦利を得られなかった
ロスチャイルドから借りた日露戦争の戦債完済したの20世紀の終わり頃だったっけ >>52
物を知らない田舎者か?
奪ってない、継承しただ
家康は当時の既得権益者側の人間で、守旧派のラスボス
そもそもノビナガ、猿吉サイドの人間ではない
江戸幕府の実態は、室町幕府を関東に移しただけだろう
織田が守護代家として慎ましく臣従するなら残すだろうが、尾張の田舎者たる猿吉一味は、中世の武家社会とは無縁なゴミだ
土下座しようが歴史から抹消されただろうし、史実、抹消された
何時になったら、三河幕府足利将軍期、三河幕府徳川将軍期
三河幕府は500年続いたと捉えられないんだ?
◆室町幕府(1338~1576年)◆
【勝者】足利尊氏:清和源氏、三河守護
・足利将軍家以外では、足利一門として吉良氏(本貫地/三河国幡豆郡吉良)、今川氏(本貫地/三河国幡豆郡今川)、石橋氏(本貫地/三河国設楽郡石橋)が将軍継承権を有した
・守護職は本貫地を三河国にする者が最大人数
・奉公衆(江戸幕府の旗本に相当)は、本貫地を三河国にする者が最大人数、又三河国の奉公衆も最大人数
◆応仁の乱(1467~1477年)◆
【勝者】細川政元:清和源氏、細川京兆家(本貫地/三河国額田郡細川)
・ ”東博本洛中洛外図”には当時の権力者として細川氏邸、額田氏邸(細川氏被官)が描かれている
◆明応の政変(1493年)◆
【勝者】細川政元:清和源氏、細川京兆家(本貫地/三河国額田郡細川)
・半将軍と呼ばれ、幕政を完全に掌握、事実上日本のトップに立つ
◆関ヶ原の戦い(1600年)◆
【勝者】徳川家康:清和源氏、本貫地/三河国加茂郡松平
◆江戸幕府(1603~1868年)◆
【勝者】徳川家康:清和源氏、本貫地/三河国加茂郡松平
・大名の5割が三河国出身
・附家老の8割が三河国出身
・旗本の4割が三河国出身、高家筆頭は吉良氏(本貫地/三河国幡豆郡吉良)
◆大坂の役(1614~1615年)◆
【勝者】徳川家康、徳川秀忠:清和源氏、本貫地/三河国加茂郡松平 戊辰戦争って今のウクライナ戦争みたいなもんだよな
大きく違うのは本国が負けた点だが 親父がキチガイなのを勘案したらトータルでプラス評価におさまる。 うち続く百姓一揆にええじゃないかの下剋上、
家老まで日中暗殺される始末なんだから、そらもう幕府もたないよ
どう見ても抗戦の先に未来がない。判断は正確やで 本人の意図とは違うけど結果的に内戦状態にならずに
外国勢力の侵略を防げた功績はあるだろ いくら欧米の支援があったとは言え、なんで薩長が勝てたんや
おかしいやろ >>58
大した事書いてねーのに”行間”空けんのやめてもらっていースか?
”うぜェ”んで… >>45
>倒幕起こらなくても言うほど歴史は違ってなかったんじゃないか
旧体制では秩禄処分や廃城令のような武士階級に不利な改革ができなかった
武士への俸給や城の維持費がある限りインフラ近代化するための整備費用が工面できないし
地租改正で収穫量に依存しない安定した歳入が確保できたことで
それまでのようないきあたりばったりではなく、計画的で安定的な国家予算を組めるようになった 結果的には開国して欧米の文明品が大量に入ってきて国民は満足したな 14代将軍であらかじめ手を打ててたらだったら
朝敵扱いを恐れなかったら
外国勢力を引き入れてでも幕府を守る気だったら
薩長に勝つだけだったらなんとでもなったろうよ
本人がそういう性格じゃなかった >>65
そこらは日露戦争の回避辺りでバーターになってたように思う
イギリスの思惑も変わってくるし
安定的な予算を組めるようになったことが軍事費80%とかいう凶気ってのが皮肉 >>63
江戸のお侍は旗本だけはいっぱいいたけど勉強もしなけりゃ兵法も知らない腰抜けばっかだったからな
粋とかにうつつを抜かして腑抜けになった
官軍は地方では苦戦してるし >>65
幕藩体制は米本位制だからなあ
江戸時代中期に既に経済発展の限界はきてたよね
経済発展すればするほど武家が貧しくなるっていう 近世以前の旧政権の人の最後て慶喜以外どれも悲惨だから
そうならないために回避したのは偉い >>63
幕府は財政難で全力が出せなかった
長州征伐は軍役金を負担させるかわりに軍役負担を免除しているけど
諸大名・旗本・御家人を本気で動員できていれば違ったろうね 薩摩が無理矢理でも戦争で倒幕したがるキチガイだったせいで やる気なかったんだろ政治
なんか必死こいてる奴ら要るなぁって思ってたんだろ 維新後にインタビュー受けて最初っから敵だった長州はしゃあないけど途中で寝返った薩摩は許せないと言ったとか
この辺りは維新の正当化教育を受ける前の世の中の空気全然違ったんじゃないかな 数の上でどんだけ軍事力があるように見えても、
もう幕府の権威は完全に崩れ去っていたからな
どう抗戦しても勝てやしないよ 最近テレビで実は名君だった!とかやってたわ、歴史学者なんてラノベ作家と変わらんなw 大政奉還は、
奉還します→え…出来ません…→じゃあ大統領制にしますね?
を狙った物であるってことは初等教育の教科書レベルの話。 大阪で踏ん張れてれば勝ってたよ
鳥羽伏見で幕府よえーなとなった瞬間、裏切りまくる各藩もジャップっぽいけど >>71
伊藤博文が優れていたのは太政官札と民部省札を廃止して
新貨条例で金本位制(実質金銀複本位制)にして海外から信用を失っていた通貨の価値を担保しつつ
いまいち信用されていない政府の信用で発行する不換紙幣と、金属の価値で信用される兌換硬貨の円・銭・厘を10進法で利用する方式にしたことだろうね
もっとも不換紙幣のほうは最初は民間銀行に管理させていたけど
どの銀行も兌換硬貨のストック以上に発行してしまったので中央銀行で管理するようになってしまったので伊藤博文の目論見は半分失敗しているけど 野田「じゃあいいですよ、解散しましょうよ、解散しましょう」 慶喜さん肩の荷が下りて、めでたしめでたしって話じゃん。
家康も子孫が幸せになって喜んでるよ。 大阪の陣で出陣しなかった秀頼と一緒だわな
慶喜のそれは政治的判断だったかもしれんが白けた御家人は多かったと思うよ 鳥羽伏見から江戸に逃げていくの「そのおかげで無駄な犠牲が増えずにすんだ」みたいな解釈も見るけど普通にクソだよね >>63
どこも借金まみれで藩を畳んでリセットしたがってた
大元の幕府ですらも火の車だったし 家康が自己弁護のために利用した尊王論を
子孫が徳川家より優先させるとは皮肉なもんだな 調べれば調べるほどクズが多い
→倒幕派
調べれば調べるほど立派な人が多い
→佐幕派 おかげで唯一アジアで列強国になったからいってこいだろ 島津久光「・・・で、ワシはいつ征夷大将軍になれるのじゃ?」←コイツ >>89
幕府の借金って概念がよくわからん
別に外国からお金借りたわけじゃないんでしょ? ドサクサでイギップに滅茶苦茶にされなかった、良かった こないだ飲んだけど「実はちょっと後悔してる」って言ってた >>89
版籍奉還や廃藩置県って本来なら諸大名の猛反対でうまくいくわけがない制度だけど
藩=いまの県のような印象だけどどちらかというと藩=大名家の私領であって藩の借金=大名家の借金
それを明治政府は大名家の資産はそのままに借金だけ肩代わりしてくれるという破格の条件だから
南部家のように大名家の方から廃藩置県に飛びついてしまう地域もあったんだよな
もっとも中井源左衛門みたいに仙台藩の借金が政府に肩代わりされず
踏み倒され大損した商人もいたが 大政奉還を判断できた有能やろ
倒幕の機運が高まってたけどバチバチやってたならまた武家政権のループだったんじゃないか? 尊皇の代表たる水戸の人間だったので錦の御旗がどストライクな弱点だった
ドラキュラの十字架みたいなもんだからなあ 以前読んだ本では、参勤交代で生まれたときから江戸ぐらしで、地元に全然愛のない大名も大勢いたって書かれてた でも楽しそうな人生だよな
サイクリングやカメラにハマったり趣味に生きた人生 >>91
倒幕派ってのは国のために頑張っているという印象で描かれること多いけど
一旗揚げる目的の人間とか復権を目論む人が多いのでゴロツキ率高いね
武田耕雲斎の孫の武田金次郎とか >>86
同じ臆病でも政治的決着を目指して結果しくじった慶喜と
やる気まんまんで喧嘩買った上でアレだった秀頼は流石に一緒くたに出来んでしょ
末路も両者それ相応って感じに分かれたし >>94
年貢予定の米を担保に商人からお金借りてたりした
石高自体も検地当初から各種改良でかなりズレが出てたり農家は米以外の作付けで収入を得ようとしたりでシステムとして壊れかけ 侍従「御所に攻め入り天子様をハイエースであります」
毛利敬親「そうせい」
侍従「薩摩めの妨害で我等が賊軍です。撤退します」
毛利敬親「そうせい」
侍従「藩内倒幕派を粛清し江戸に恭順します」
毛利敬親「そうせい」
侍従「幕府軍が攻めてきましたが芸州浅野が寝返りましたので倒幕します」
毛利敬親「そうせい」
侍従「幕府負けましたw 我等が世ですぞ」
毛利敬親「・・・で、ワシはいつ征夷大将軍になれるのじゃ?」←コイツ >>94
幕府を構成する旗本御家人が借金まみれ
札差に扶持米を借金の担保に取られてた
幕府が棄捐令で借金帳消しにしたんだけど
そしたら札差が金貸してくれなくなってもっと困窮
結局幕府が札差に金を払って貸してくれってお願いするほど無茶苦茶だった せっかく大坂城に入ったのだから
大坂の陣・幕末編やってほしかったよね?
大坂が完全に廃墟になるくらいやってれば。 ガチクズだけどそんなもんだよな
明治の連中もクソ野郎だしな >>103
倒幕派の数少ない立派な人も長生きしないし
それがやらかしを連発して第二次大戦の敗戦へと繋がったのは歴史のダイナミクスを感じる ご先祖様の光國が天皇を敬えって言ってたから思考がバグったんだよ 徳川家のことだけでなく日本のことを思ってのことだから 実際の所は日本の歴史に残る大英断
こいつが引かなかったら全面的な内戦になってた
まあその結果が太平洋戦争での亡国につながるのだが 幕府「きちんと外交して国力強化しないと侵略されるぞ」
天皇「外国人怖い😱外交なんてしたくないぞ」
幕府「まあ、天皇ちゃんがそういうなら従うしかないね…」
長州「うぉぉお、天皇たんを虐める幕府はクソだな!俺だけでも外人をぶっ殺す!まずは外国船を砲撃だ!😤」
長州「外国船にボコボコにされたよ…天皇に慰めて貰お」
天皇「こっちにくんなキチガイ」
長州「うぉぉ?どうして天皇に嫌われるの?ムカつくから京都を燃やすよ」
幕府「おまえ朝敵な」
長州「なんでみんな僕ちんを虐めるの?そうだ幕府が全部悪い👎だから外国人から武器弾薬を買い込んで幕府をむちゃくちゃにしてやるよ」
幕府「あーあ、内戦なんて起きたらクソ外人の思う壺じゃん。しゃーねーから大政奉還でことを納めるわ」
↑全部長州のせい 慶喜ってしつこさで、自分に有利に政局運ぶけど強引だから敵ばっか作るよな。
なんかアスペ感がするんだよね、腹芸ができないというか >>109
いちばんやりたがってたのが山内容堂
大坂商人が大嫌いだったらしい 久光騙して親兵ぶんどって廃藩置県の詔を出した時が本当の薩長クーデターかつ奇跡の無血革命が成った瞬間
それまでは所詮、幕藩体制内でのいざこざ >>118
名門一橋のエリートのはずなのに
火消しの新門辰五郎と懇意で娘を側室にもらったり
豚肉とか江戸城では禁忌だったうなぎやマグロが好物だったり
格式やルールより自分の好みを選ぶ気質があるよな 今も薩長の影響下にあること考えるともう少し頑張ってほしかった これぐらいやって欲しかったな
薩長を改易
睦仁を処刑
ついでに易姓革命
清朝に冊封
清朝、暹羅、緬甸を助ける
中華民国に朝鮮、琉球、越南、暹羅、緬甸などと共に合流 フランス側についた場合の世界線てどうなってたんだろうね
フランスも米英みたく権謀術数深謀遠慮の植民地政策が出来るのかね >>125
国家より英ロスチャイルドと仏ロスチャイルドの違いでしかない希ガス >>94
当時の武士階級はみな借金まみれだったのよ
江戸時代後期は完全に貨幣経済に移行してたのに、武士達の収入は値下がりし続ける米だったから 大政奉還の時点では、引き続き権力を握ろうとしてたぞ
勝海舟と西郷隆盛が江戸城無血開城決定できたからすごいのよ
明治から今に続く東京の発展はそこに原点があるんだよ
その戦争回避が出来なかったのが今のロシアとウクライナだからな >>34
晩年に土方歳三の事を訊かれたら悲しそうにしたらしい >>47
幕末汚れ仕事を沢山やってその貸しがあったから オクタウィアヌス「政治の実権返します」
徳川慶喜「政治の実権返します」 親父の水戸斉昭に徹底的に洗脳されてたからじゃないの >>63
指示しても傘下の藩が腰抜け揃いになって戦争してくれなかったんよ
それでどうしようも無くなった
昨今、レベルの高い大学出て一度公務員になった奴は独立してベンチャー企業やらないだろ?
それと同じ状況で幕府サイドは保身野郎だらけになってたんよ 大政奉還はまだ理解できるとして
夜中に咸臨丸に乗ってこっそり淀城から江戸へ逃げ帰ったのがまずかった
艦長の榎本武揚まで置いてけぼりなんだもの 全然違う
慶喜「大政奉還します。といっても朝廷にノウハウないから俺が外交とか全部やるぞ。討薩の表!薩摩討ちます」
敗北
慶喜「命だけは・・・助けてください」 負けるの分かってるからあえて戦わなかったんだぞ
内戦になってたら植民地だった 大政奉還しないで徳川がフランスの援助ありで勝ってたら、今頃日本はフランス領かもね 逆賊になることは絶対に避けたかった
これ以上幕府軍と薩長軍が戦えば日本の崩壊に繋がりイギリスとフランスが介入するきっかけになってしまうから身を引いた >>125
フランスってナポレオン以降はずっと無能ムーブやろ >>136
最期まで戦ってないぞ?
秀頼を関ヶ原に出陣させなかった
真田幸村の反対にも関わらず大阪城の掘りを徳川家康の要求通り埋めた
徳川家が滅亡したのは秀頼の母淀殿のせい そも第一次長州征伐で長州藩が降伏したら家老たちの切腹だけで許して撤退したのが意味不明
あれでもう幕府あかんやんけってなって諸藩がぽろぽろ寝返っていった >>27
合ってない
徳川将軍の有能ランキングだとベスト3には絶対入る >>136
豊臣は手遅れになるまで命乞いしなかっただけで戦ってないだろ
優勢な筈の徳川方は家康も秀忠も出てきて死にかけるまで戦っとるのに >>140
徳川が薩長とガチバトルになり、フランスが銃器を徳川に流して勝利したあとどさくさ紛れにアメリカが来てグチャグチャになってるかも 水戸史観に汚染されてたから天皇絶対で朝敵にされるの嫌だったのだろ
反日思想教育受けたまま年取った九条信者の左翼ジジババと同類 >>142
西郷隆盛が指揮とってたが、戦争の行く途中で勝海舟と話して、長州に寛大にするべきだなって心変わりした
慶喜はその頃、水戸藩から出てきた天狗党の征伐対応で長州方面全く関われなかった 仮に内戦になっていたらインドネシア、マレーシアみたいに列島の中に国境線が引かれてたのかね >>115
廃仏毀釈もね…
二束三文で売られてった芸術品や仏像を見るにつけ腹立たしくなる 馬謖と同じで口だけの人間だろ
体制側のトップがたいして戦わずに降参って聞いたことないよな 幕府のフランス人軍事顧問も「戦えば絶対勝てるのに何で降伏するのか意味分かんないんだけど😅」って日記に書いてんだよな 大政奉還は武力討幕を目指しててた薩長には刺さったんだろ
そんで徳川が最強という実を取った
それじゃ政権乗っ取りができないので挑発して戊辰戦争に持っていった
戦ったら勝てるんだけど
錦の御旗でウヨの慶喜がびっくらこいて江戸に逃亡して総崩れ ガチで戦争したら幕府が勝ってたやろ
たかが長州と薩摩ごときに徳川800万石が負けるわけない どんな言い訳しようが部下を置き去りにして
自分だけ逃げ出すのはトップオブクズ どうすれば安倍晋三が生まれなかったか
それを考えろ 物を知らない田舎者だな
皇室が所有した最大の荘園は何処か?
答えは三河国高橋荘、高橋新荘
その荘園の荘司は昇殿を許されていた
後醍醐天皇の世良親王養育者は亀山院の皇女たる昭慶門院であり、昭慶門院が死ぬと遺領は世良親王が受け継いだ
昭慶門院が有した御領で最大の荘園は三河国の荘園であり、その荘園内で松平は発祥した
基本、徳川は親皇の家だ
■三河国高橋荘・高橋新荘
豊田市ほぼ全域とみよし市は源頼朝の曽祖父が開発し、後に皇室に寄進された最大の皇室領荘園
高橋新荘から松平家が、高橋荘からはトヨタ自動車が発祥した
・開発者は源頼朝の曽祖父、藤原季兼か?
・寄進者は藤原季兼の妹の子供、高橋惟康(藤原伊周の孫)か?
・平安末期~戦国期に見える荘園名
・矢作川中流域の低地と山間部、豊田市(旧上郷町・高岡町を除く)・三好町・藤岡町・小原村にまたがる大荘園
・八条院領目録に院分御荘として「参河国高橋荘」「参河国高橋新荘」とあり、鳥羽院政期の院領寄進系荘園の一例とみられる
・寄進者は藤原(高橋)惟康か←藤原伊周の孫、源頼朝曽祖父の妹の息子
・八条院没後、春華門院昇子ー順徳天皇ー後高倉院→安嘉門院邦子ー亀山天皇ー後宇多天皇ー昭慶門院憙子と相伝される
・昭慶門院目録に、高橋荘は亀山院の時石清水八幡宮に寄進、新荘は冨小路前大納言(小倉実教)とあるのは領家職とみられる 逃げるは恥だが役に立つ
実際そこで逃げたことで今では皇室からの求婚要請を丁重にお断りできる地位になった。 >>128
公武合体派の坂本龍馬は大政奉還直後に暗殺されちゃったな 1番ダメなのは泥沼の内戦になって国力の低下を招くことだろ
そうなったら列強の植民地にされる
幕府はそこまで考えて引いたんだよ日本国のために 北条高時→お家滅亡で自害
足利義昭→追放されたけど本人も息子も助命
この二つの前例があってお前らならどっち選ぶよ >>35
血の繋がりだけ残ってなんの意味があるのよ >>138
そのルートだと日露以降の戦争もなかったので
どんな未来になったのかな 薩長田布施が絶対にスパイテロリストだったとは誰も言わないよね
ネトウヨの明治維新上げってやっぱり田布施カルトがいまだに存在する証拠なんだろうな >>111
やらかしの元凶は佐賀の左肩党だべ
左肩を突き出し、ヨタ者のようにあるく集団
佐賀の宇都宮太郎とか武藤信義が反長州を掲げる上原勇作(この人は薩摩閥で宮崎の都城出身)の元に集まって
それが皇道派の母体になった コイツと徳川家を守る為に散っていた沢山の武士達の事は本人も綺麗さっぱり忘れて楽しく余生過ごしてたのかもな 大政奉還して国力低下しないように
外国勢力に対する高度な政策とかなんとか 戦えば勝てるけど長期で見るとお互いにケツモチに食い物にされるだけだからな
幕府は列強のやり口よくわかってたと思うよ >>157
イギリスも後ろにいるぞ
なお君が代の作曲者はイギリス人 >>169
世襲ちゃうやろ
だいたい全ての王朝の最期はどっかから王族の男子を引っ張って来て滅んでるんで 子供20人以上いる勝組強者男性
特にオキニの妾2人にそれぞれ9人産ませてる >>162
坂本を殺したのは絶対倒幕側だったよなアレ >>178
慶喜が大阪から江戸に戻ったあと、フランスから支援の申し出あって、フランスは幕府が勝てるって見通し立ててたよ
勝海舟がフランスの申し出断ったんだよ
日本の為にならないから 西郷とか大久保とか割と下級武士の集まり多かったんでしょ?
そんな奴らが藩の殿様にもう殿様の時代は終わりです江戸にいや東京に来てくださいって言われたら
普通ブチ切れんか?
家老とかに言われるならまだしもさ 松下村塾跡地とかいうテロリスト育成施設に修学旅行に行く学校あるらしい >>20
数は有るんだけど、運用思想が古い
昔ながらの兵法に部分的にフランス式風を取り入れただけなんで、
張り合ってもいずれ負けてたと思う >>185
だから薩摩の殿様は大久保と西郷に騙されたとずーっと言ってたわけで 清王朝とやりとりしてた徳川と、東南アジアと密貿易してた島津だけは欧米のやり口を知ってた
武器を横流しして、内覧を煽り、傀儡政権を作って植民地化する
それに対抗するためには、強力な統一政権を作って分裂を防いだり、国際関連法を整備する必要があった
だから、公武合体だの日米修好通商条約だのを急いだ
で、そんなことを全く知らない長州だの西郷だのは、欧米の口車に乗せられて尊皇攘夷だの開国討幕だの支離滅裂なことを言って内戦に突き進んで徳川を妨害した あの時代にそんな事堂々と言ったらキチガイに殺される
吉田東洋も今読むと正論しか言ってないけど斬殺されとるからね >>129
側近の原市之進が殺された後
その後任に近藤勇を考えたという話もあるから
新選組には結構目をかけていたっぽい 江戸を戦火に巻き込まなかった
西側が勝ったのにその元首が東側の首都に遷った
明治維新のこの辺の手際は評価してる 思ってた以上に国家運営の主導権を渡してばたつく新政府に対して
幕府が擁する豊富な実務経験者を送り込む戦法
結果として表に出てる看板は大きく変わったが官僚はそのまま 明治維新とは下級藩士が起こした内戦とクーデターだからな
理想とかは後付け
鳥羽伏見の戦いとか幕府は政権返すと言ってるのに殴りかかってきたからな大義名分すらなかった
単に徳川家に主導権握られるから嫌だから攻撃しただけ
教科書だとその辺をぼやかしてるからな 新政府側がなるべく戦争にならないように政権変えるように仕向けた結果だぞ
幕府側も同じだし 悲しいなあ
秀忠の頃は秀吉派の連中を難癖つけて改易し放題の権力持ってたのに
たった二つの藩にいいようにやられてさ
他の藩に声かけて物量で潰せなかったのか 二代目からずっと勤王な尾張藩が真っ先に藩内の佐幕派始末して恭順したしな
御三家が離れたら他もついてこん >>198
逆に言うと維新は関ケ原以降の改易の恨みも出とるわけだからね
佐竹なんかも恨みを忘れなかったから奥羽越列藩同盟を早々に裏切った訳だし この人の評価の真実ほんとわからんよな
ほんとにただの命ごいだったのかもしれんし、後の評価みたいに戦乱を避けるための英断で名君だったのかもしれない
貶める評価は新政府が作ったもので、持ち上げる評価は元幕臣が作ったものかもしれない
将軍という立場が立場なだけにいろんな人と思惑と政治が複雑に絡みあっててどっちからの意見も言ったもの勝ち、世の中にそう思わせたほうの勝ち まあ写真撮ったり自転車乗ったりエンジョイしてそうではあるね
後年のこの人は >>200
佐竹は中立だったのに訳わからん理由で大幅に減封されたからな
単に関東に大大名がいるのは心中穏やかではなかったんだろうけど
水戸54万石から秋田20万石はエグい 「大政奉還します。その後は日本最大の一藩として君臨し続けます」
通るわけ無いやろこんなん 薩摩と長州を贔屓で大都市化して金掛けようとしなかったのはなんでだろ
幕府の時の借金返すのでそれどころじゃなかったのかな >>204
「薩長の下級藩士が主導権握るために内戦起こして国政牛耳ります薩長土肥以外の奴は冷や飯食わせます」
こっちの方が意味わからん >>205
日本国として見た場合、首都機能を全く持っていなかったから
ただ安全保障の拠点としては重要な港を周囲に持っていたりしたからそこそこ港界隈は開発されている >>205
マジレスすると維新で偉くなった奴らは地元になんか戻りたくない
何故なら元藩主や家老筋のお偉方がいるから
維新で成り上がった下級藩士は東京に居着いたから東京に投資するだけの話
地元には会いたくない古株の元上司がいるからな 西郷って言うほど温厚だったり平民よりかって疑問だけど
なんか世間はそう言うイメージあるよな
西郷どんも維新後みんなが豪勢な食事する中嫌味ったらしく一人握り飯とかさ >>207
政権交代はその政権の政策実行次第の問題で起きるのでそれを誰が担うかは実は結果がハッキリしているだけでそこを目指して現実が動く事はほぼない
その点で担当者が誰になるかにこだわった慶喜が負けたのは不思議ではない
何をするかにこだわった薩長土肥の方が適切な判断をした
歴史はそういうもの >>209
大久保以外はほぼ一度旧藩に呼び戻されて一時的に旧藩の行政改革やってるよ せごどんにとって維新はこんなはずじゃなかった感があったんだろ
だから征韓論の時も自分が使節として行って殺されるからそれが攻め込むチャンスとかキチガイみたいなこと言い出した >>211
結果論すぎ
仮に大阪城で徳川が籠城策取ってたら幕府陸軍が畿内に結集して新政府軍は中国地方に撤退して
長期の内戦になってた
新政府側が権力欲でガイジムーブしてたところ
同じく慶喜が情けないガイジムーブして大阪城撤退したから大勢は決したものの
マトモな奴だったらあそこで長期の内戦になってる >>201
大河ドラマだと鼻持ちならないエリートで融通が効かないキャラになりがちだけど
史実では新門辰五郎はじめ江戸火消し達と仲が良くて
部下たちにネギマ鍋やウナギをご馳走したという話が伝わってたり
おおよそ上級武士っぽくない庶民派な人物よね
武士の武士っぽい部分が嫌いな人だったように思う >>212
だから一時的にだろ
長州も奇兵隊を解体させるとかのゴタゴタで元家老の奴に怒られたり内紛起こしてるし
新政府で偉くなった奴らも地元戻ると出身母体の藩の上司に下手に出ないといけなくて苦労してんだよ 仮に全面戦争やってたら英仏の死の商人は大喜びするわ
消耗しきって影響力弱まった所をそれこそ薩摩とか切り取られて英国領にされてたと思うわ 明治維新って下級武士が革命起こしたたのではなくて
おっ始めたのは実は上級武士側なんだよね
下の者が楯突いたほうが
話的にはおもしろいから
下級武士ばかり取り上げられてるけど まあでも長く保った方よ
三代将軍の頃にはもう終わりだよこの幕府感すごかったんだし >>220
幕府「ギャハハ!あの大名この大名もお取り潰しじゃああwww」
↓
幕府「うわああああ全国に浪人が増えまくって治安が悪化した上にクーデター未遂まで発生した…何故だああ?!」
幕府初期のこれ自民党以上のガイジムーブだよな >>210
鳥羽伏見起こしたの実質西郷だしな江戸で子飼い使って焼き討ちしまくり >>216
中央政権と旧藩による地方自治の仕組みの整合性つけるために旧藩主の元で組織された軍事力の解体とそれを支える財源を取り上げて国策費に充てるのは当たり前でこの組み換えをやるのが改革だった
桂、西郷が中央で偉くなったからが原因ではない
根本的な見方がおかしいよ >>214
結果に至るまでの選択肢は色々あったのは事実だけどその時の状況と人物の見識、能力で実際に行われたのが事実
可能性だけで選択肢を挙げてそこで展開するIF論はただの空想に過ぎない
ロシアによるウクライナ侵攻に始まる戦争
ガザ地区での戦争
これを終わらせる可能性を持った選択肢は現在でもあるがそれが行われていない
それが事実
結果として史実、事実を動かさない選択肢は全て空想に過ぎない
全て結果が最重要でこれより優先されるものなど何もない >>225
お前の言ってる事は単に勝ったから正しいと言ってるだけに過ぎない
戦争起こした時にどの程度勝算があったのか検証するのは無意味と言ってるから議論にならない
鳥羽伏見の戦いとその後の徳川征伐は分の悪い賭けだったが吉と出たというだけなのに
分の悪い賭けではなく最適解だったというなら年号だけ覚えていればいいだろアンタは議論する価値もない
それならヒトラーの暴力を用いた政権掌握は正しかったし侵略戦争もソ連戦までは正しかったので
独ソ戦までは検証する必要がないと言う事になるが愚かしい限りだ 司馬遼太郎の最後の将軍で、大政奉還の時に幕臣たちに向けて言った、
「大権現様(家康)は天下安寧のために業を始められた。私は天下安寧のために業を終わらせる」って台詞好き
その後、幕臣たちを相手に3時間以上も一人で喋り続けたと描かれてる >>202
晩年、陸軍の演習場を見に行った時、兵隊や武器には興味を示さず、飯盒に興味を持って、
飯盒をもらってきて、死ぬまで自宅で飯盒で飯を炊いて食ったという話好き 凝り性で、若い頃、漁村を歩いていたら投網をしてる漁師がいて、俺にもやらせてくれと頼んでやらせてもらったがうまくできず、
漁師もまさか一橋家の偉い殿様とは思いも知らないから、「お侍さん、投網を会得するには10年かかります」と言った
その後、毎日屋敷の池で投網をしていたら、数ヶ月でできるようになって、
「なんだ、10年かかると言われたが数ヶ月でできるようになってはないか」と思ったという >>226
買ったから正しいとは一言も言ってない
結局が最重要
その結果を出す為により的確な条件を揃えた方が結果を出したという話しかしていない
そしてその結果が良かったかどうかにも言及していない
まともに文章読めないのなら仕方ない エピソードだけ聞くとアスペというかADHDというか発達障害おじさんの感じだよな
コミュ力抜群の家茂が長生きしてその副官みたいな立場でいたら幕府はうまく行ったのかな >>55
ユダ金ロビーの窓口の麻生がようやく日露戦争の借金還し終えたと発言してたらしいな >>63
てか戦国時代の時点で難攻不落の大坂城を落とせたのもオランダ協力による大砲を徳川が持ってたからだしな
やっぱり戦国あたりからキリシタンの魔の手が徐々にこの国を蝕み始めてたんだろうなあ スペインポルトガルからはじまりオランダそしてユダ金大拠点のフランスブリカスアメカスに完全に目をつけられた日本は傀儡に成り下がったと ヤクルトのcmだかに坂本龍馬風なのあるが普通の日本人さんはいまも悪しき江戸幕府を終わらせた維新がヒーローって扱いなんか FFのボスで超強敵だけど実は弱点突いたら一撃殺みたいなのあるじゃん
慶喜にとって「にしきのみはた」がそれだった >>238
江戸幕府のままだったら装備バラバラな軍閥の集まりのままだし清に滅ぼされる未来しかなさそうだけどな 坂本龍馬の大政奉還案に飛びついた所を見ると
もう投げ出したかったんだろうなと思う 北方謙三の本読んでるけど上様慶喜は不戦を貫こうとしてたらしいぞ。
だから大阪城二条城に入り朝廷公家薩長と交渉してたらしい
歴史上最後の征夷大将軍であり、江戸幕府歴代将軍の中で在職中に江戸城に入城しなかった唯一の将軍でもある。 >>242
そら自分が勧めた征討でボコボコにされたらそうもなるわな >>187
運用思想って?
薩長にもそんなたいしたもんないだろ >>213
江戸に火を放とうとしたりもしてるしなんで西郷が持ち上げられるかが本当理解に苦しむわ >>238
今の政治体制が根本から覆らん限り維新は永久に持ち上げられ続けられるよ
薩長とかそんな話じゃなく欧米の背乗りだって事実を綺麗に見せるにはそれしかないからね
教育だってメディアだって誰も本当の事なんか言えないさ ほんとにねえ
情けないさまを晒して、ヒロヒトまで真似したじゃないの
でも慶喜さんは現人神ではなかったものね >>201
頭は良く秀才ではあるけど筋を通しきる勇気と覚悟は持ってない位の人物だろな
日本の歴史でトップは常に天皇だからね
慶喜は絶対に天皇に弓は引かないって考えだったからすぐに敗戦決めたんだよ 錦旗にびびって撤退した臆病者とかいわれてるけどさぁ
別に慶喜が最前線で直接錦旗見たわけじゃないんだろ?
薩長の三倍の戦力で負けて大阪に逃げ帰ってきた会津桑名新撰組見て戦意喪失したってのが正しいと思う
てか御所を抑えてる相手が官軍アピールしてくることぐらい普通に想定してたやろ >>181
坂本は殺人犯の癖に大政奉還のあと幕府は警察権を失ったと思い
真っ昼間から見廻組の本部の近くに出没し見廻組に殺されただけです
歴史の流れにも全く影響しません >>249
号令だしてないのに会桑が勝手に始めた戦だし最初からぶつかる気がない >>209
>維新で偉くなった奴らは地元になんか戻りたくない
地元に厄介な負担をおしつけることが自分の功績になって明治政府内で発言力強化につながる
特に薩長の主導権争いで地元へ厳しく対応した大久保利通や木戸孝允はどちらも地元では嫌われている
その一方で西郷隆盛は地元の利権を守ろうとしたのでいまでも英雄扱い >>248
慶喜って普段は武力を背景に相手に大幅な譲歩を強いるタカ派だけど
いざ戦いになりそうになると避戦のために話し合いを試みている
圧倒的有利な禁門の変の前ですら禁裏守衛総督として長州側の家老に対して
朝廷の退去命令に従うように話し合いで収めようとしている 維新で日本ってものが亡くなったのは事実
その後確実なる死を遂げる1945 >>256
大奥の退職金に使ったあと榎本が軒並み盗んだっぽいし金庫空っぽやろ >>255
物を知らない田舎者か?
三河が最上層なのは、江戸期と何ら変わらんけど?
細川護煕墓参記念碑(三河県岡崎市)
http://sakuraoffice.com/hosokawamorihiro.html
現代社会における日本の由緒正しい支配層(金では買えないステイタス)
公家(No.1、No.2)
・近衛家←現当主は細川家(三河国額田郡細川、三河県岡崎市)からの養子
・鷹司家←現当主(伊勢神宮大宮司)は大給松平家(三河国加茂郡大給、三河県豊田市)からの養子
武家(No.1、No.2)
・足利家(喜連川家)←現当主は細川家(三河国額田郡細川、三河県岡崎市)からの養子
・細川家(三河国額田郡細川、三河県岡崎市)
細川家
菩提寺
・隣松寺(三河県豊田市幸町隣松寺126)
・蓮性院(三河県岡崎市細川町字権水56)
氏神
・村積神社(三河県岡崎市奥山田町字山田46)
大給松平家
菩提寺・墓所
・松明院(三河県岡崎市細川町字根古屋123)
・蓮性院(三河県岡崎市細川町字権水56)
・大給城(三河県豊田市大内町字城下)
氏神
・村積神社(三河県岡崎市奥山田町字山田46) 慶喜的には幕府潰したところで徳川が最大勢力なのは間違いないから
その後の政治でワイが実権握って総理大臣になれば一緒やろって算段じゃなかったんか? 徳川慶喜 江戸が戦場になる前に大政奉還
一方ヒロヒト >>255
それね
1945はちょっと戻したと考えたいけどね >>255
傀儡として飼っておいて戦争に突っ込ませて最終的に世界の敵のお化け役として最後の最後まで搾り取ったんやろな
戦争先導者は東條以外碌に死んでなくて戦後スパイとしてぬくぬく…なんのために東アジアは血を流したのやら😩 16代のいえたつが戦犯扱いしてて会うたびずっとネチネチやってたそうな >>128
西郷はぶち殺す気マンマンだったの英国とかが圧力かけて翻意させたのでしょ?
勝海舟が物わかりよかっただけでは? wikiより
徳川慶喜「長州は最初から敵対していたから許せるが、薩摩は裏切ってゆるせない」
ちょっとワロタ >>249
江戸開城後も旧幕府勢力は新政府に抵抗したように、慶喜は公武合体が破綻した時点で自分は幕府内では用済みになるから投降することにしただけ。
そもそも安政の大獄で将軍継承候補から失脚して終わりだったのに復活したのは孝明に引き立てられたからで幕府から必要とされたわけではない。 慶喜よりも彦根藩とか紀州藩とか越前とか津藩が情けない過ぎるだろ
どうしてそんな簡単に徳川を見捨てるんだよ
マジで頭おかしいわ むしろ260年以上徳川政権が続いたことに
家康がビックリするだろ 大政奉還の時は命の危険なんか慶喜になかったろ
大政奉還したから薩摩と長州が首狩りに動いたんじゃないのか? 薩摩が牙を向くだろうと予想してた家康はやっぱ賢いね
薩摩なんか信用した慶喜とは違う >>264
徳川家達内閣できたら面白かったよな
江戸時代が全否定されるような感じでは早期に無くなっただろうな >>268
彦根は桜田門で潰されかけてから隠れ反徳川だし紀州は全方位敵で無理
津藩は基本的に長いものに巻かれるで有名な藤堂家で越前は勝と懇意で家老が龍馬の親友だから幕府解体派 >>274
時勢の理屈なんか超越した
始祖への憚りってもんはねーのかよw
武士だろうが
家名を賭けて戦ってあとは死ねばいいんだよ 長州を追放した後の参与会議が破綻したのは痛かった。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています