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「“料理にレシピが必要”は思い込み」自炊疲れしている人に、料理研究家・土井善晴が伝えたいこと

本日2月8日に67歳を迎える料理研究家の土井善晴さんは、「今の人は味付けをすることが料理だと思っており、そこに苦しみがあるのでは」と語る。客としてレストランを選ぶような美味しさの基準がいつの間にか一般家庭の中にも浸透し、複雑な料理が主となってしまったことが、自炊疲れや料理への苦手意識につながってしまっている可能性があるそうだ。では、誰もが負担なく気軽に作れるシンプルな料理とは何か、基本の「一汁一菜」について話を聞いた
昨今、料理をすることに疲れてしまっている人や苦手意識を持つ人も少なくありません。これにはどういった理由があると思いますか。

土井善晴: 今の人たちは味付けすることが料理だと思っていて、そこに苦しみがあるんだと思います。味付けをするとなると、うまい下手が生まれてくるじゃないですか。「私の味付けはこうだ」「あのときの味付けとこれは違う」と、何かにつけて比較してしまいますよね。

そうなると、料理する人が“表現者”になって、食べる人が“観客”になってしまう。この関係は特に西洋料理のレストランに存在するものでした。あそこのお店がいい、このお店がいいと、お客さんとしてレストランを選ぶための基準であって、一般家庭の食事には一切当てはまらなかった考え方です。なのに、いつの間にかそれが家庭の中に入ってきてしまって、日本人はそれがすべてのように思ってしまったんですね。

でも、西洋では、一般人が日常の食事作りで味付けに苦労するなんてことはないんですよ。それはプロであるレストランのシェフがすることであって、家で料理するなら、ただ肉を焼いたらいい。そしてプレート(皿)の上で、自分の食べやすいように切って、塩を付けたり、ソースを絡め、サラダや酢漬けのパプリカと一緒に、混ぜて味付けして食べる。自分で好きに味付けし、つまり、料理しながら食べているんです。

一方、日本ではお箸を使うので、肉を大きな塊のまま焼くような西洋風のシンプルな調理法は得意ではありません。肉はあらかじめ小さく切る必要がありますし、一口大の肉はどうしても硬くなりやすいので調理に工夫が必要。しかも、今の日本のおかずは、肉だけを食べるのではなく、肉じゃがのように少しのタンパク質と野菜を一緒に調理することが多い。それは主菜を兼ねた副菜、副菜を兼ねた主菜です。そうすると火の通り加減、味付けのタイミングが問題になって、料理が複雑になっていきます。それで今の人は「レシピを見なければ、料理はできないのだ」と思い込んでいるように見えます。そうなるとレシピに依存して、計量は料理じゃないから、楽しくないし、面倒なものになってしまう。

――昔の料理は、今の味付け重視の料理とは違っていたのでしょうか。

土井善晴: 昔は料理なんか習わなくても、誰もが料理できたと思います。日常は一汁一菜でいいわけで、それでまず栄養バランスは取れます。料理はそれ以上に時間や気持ちに余裕があればすれば良いことで、季節の食材が主役になるのです。和食に西洋のような肉や魚といったメインディッシュという概念はありません。和食に料理の名前はありません。つまり、一つの食材と調理法を組み合わせればいいわけです。和食は、炙る(焼く)、茹でる(煮る)、いる(揚げる)、蒸す、なます(生・塩)という5つの調理方法です。明治時代まで肉食を禁じられていましたから、和食には肉料理がなかった。とくに戦後は、日本人の体格改善のために、西洋式の栄養学を取り入れた指導が奨励されるわけです。和食の構造と栄養学には整合性がありませんから、一汁三菜という懐石料理の言葉を借りたんです。

日本人は肉料理なんて知らないから、開局当時からNHK「きょうの料理」では、中国料理と西洋料理を積極的に取り入れ、肉料理のレシピを発信したのです。今私たちが、和洋中の料理を家庭でも作るようになったのはそのためです。そんなわけで、レシピ依存になるのです。時間もないのに、料理は複雑になって、面倒なもの、したくないという苦手意識を持つ人が増えたというわけです。