時は戦国、秀吉は信長の命を受け、いまの兵庫県三木市にあった「三木城」を攻めていた。敵の食料の供給ルートを絶たせる兵糧攻めで敵を滅ぼした「三木合戦」だ。
その当時、秀吉が何をしたかというと…
兵庫県歴史博物館 前田徹学芸員:どうやら秀吉が、自分が三木の戦いでこれだけの手柄を上げたもしくは別所(三木城主)を完全に包囲して落城寸前だみたいな戦況報告を、信長の側近衆の一人や二人ではなくて、かなりたくさんの人間に手紙を送りつけていたらしい。
なんとも返信に困ってしまう「褒められ待ちメール」みたいな書状を、それほど親密ではない人たちにまでも送りつけていたという。 東京大学史料編さん所の村井祐樹准教授が2022年、インターネットのオークションで書状を見つけて落札し研究した結果、明らかになった。
■困った信長の側近たち『秀吉さんさすがですね』と返事か
自分の頑張りを自慢する内容を急に送りつけられ、困惑した信長の側近たちが連名で返信したとみられ、「さすがのお手柄で天下で大変な評判です」などと感想をつづっている。
https://news.yahoo.co.jp/articles/15dbd4e84d4c162ce6be06cfc5d21c572c557c07