【特集】「仕事がない、何もできない、学もない」元力士が引退後に直面する“セカンドキャリア”問題 次なる“土俵”は『介護職』から『お笑い芸人』『力士専門芸能プロ』まで…多様化する選択肢とそれぞれの挑戦を追う
2/17(土) 11:00

日本の国技とされる『相撲』。力士の多くは、30歳前後で引退します。そんな彼らを待ち受けるのは、“仕事がない”という現実です。しかし、困難を乗り越え、強靭な体と精神力で第二の人生を切り開く元力士たちも。クリーニング店や介護職から、お笑い芸人、力士専門の芸能プロダクションまで…多様化する引退力士たちのセカンドキャリアと、それぞれの思いを追いました。

宮崎大介さん(46)は、「戎浪」という四股名で相撲を取っていた元力士。現在は、父親が営むクリーニング店で働いています。 (宮崎大介さん) 「アイロンがけは、一日50~60枚ぐらいと違います?暑いです!」
朝7時には店に顔を出し、アイロンがけに始まって、午後は配達。遅いときには、夜9時まで働きづめです。 配達途中に食べる愛妻弁当 奥さん手作りのお弁当も、配達途中の車の中で取ります。
Q.意外に小食ですね? (宮崎さん) 「これでも多いほうです。食べられないようになりました。今で、85~87kgぐらい。現役のときは、最高で150kgぐらいありました。トレーニングしたわけではないけど、自然に痩せました」

“相撲人気”が野球少年の心を動かした もともと、野球少年だった宮崎さん。相撲に興味を持ったのは…。 (宮崎さん) 「ちょうど元若乃花関で、相撲人気があったじゃないですか。体力的には自信があったので、じゃあやってみようかなと」 親からの反対押し切り、相撲の世界へ 中学を卒業すると同時に、相撲の世界へ。親の反対を押し切っての決断でした。
(宮崎さんの母・節子さん) 「体が壊れる世界だし、相撲部屋に入ったら、自分の子どもであっても子どもでなくなるでしょ。息子が入ってくるとき、咳払いするんです。それでわかる、息子が通路にいるというのが。胸がドキドキするから見ることすらできなくて、あれがツラかったです」
23歳、相撲界を出て感じたギャップ 宮崎さんは9年間土俵に立ち続けましたが、ケガも多く、23歳のとき、骨折を機に引退を決意しました。 (宮崎さん) 「とりあえず、やめることが頭にあって、やめてから何をしようかというのは、全く頭になかったです」
Q.社会に出て、ギャップは感じましたか? (宮崎さん) 「そりゃあ感じますよ。相撲界の常識は、世間の非常識ですから。世間では23~24歳はまだ若造ですけど、相撲界では結構“兄弟子(あにでし)”なんです。洗い物やちゃんこの準備は下の子がやってくれるから、自分らみたいな兄弟子は、ほぼ何もしない。それで楽を覚えているから、社会を舐めていたというか、見下していたというか…」
高齢の親を想い、家業を継ぐ意思も 引退後、配送などいくつかの仕事をしましたが、いずれも長続きせず、母親の声掛けで家業を継ぐことにしました。 (宮崎さん) 「それを考えたら、自営業の息子で良かったなと思います。俺からしたら、こんな最強な親父おらんなって。親もええ年やから、継げたら継いで、長続きすれば良いなとは思っています」

以下ソース
https://news.yahoo.co.jp/articles/10a39850a81e0404ab274ec7045e2f649f2d3623