【嫉妬】どうしたら人に優しくなれるんだろう【煽り】 [943688309]
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強い男は優しい いろいろな人生経験をし、いろいろな世の中を見て、人の痛みというものを理解すること、
自分自身の心や思考の特徴とその原因をよく知り、自分自身についてできる限り客観的視点から見ること、
落ち込まず、怒らず、焦らず、気持ちのよい野原や林など緑のあるところにいるような心持ちをなるべく保つようにすること そもそもあれは自分がきもちくなりたいからやってるだけ
公開オナニーみたいなもん
やらなくていい 嫌なやつをとことん追い詰めて抹殺したら全てから解放されて優しくなれるよ 心の善性みたいなものは
理解できる人間とできない人間に大きく分かれるから
優しさや配慮は尊いものでもそれが通じないどころか弱さとしてつけこまれたり侮られたり憎まれたりってことも実はおおいにあり得る ( ヽ´ん`)「まあいいじゃんそういうの」という心を持つこと 優しい人間は必ず社会的弱者になる
自分に巡ってきたチャンスや利益や資産何かを他人のために譲ることになるからな
そんなことを続ければ必ず底辺に行き着く
実際は優しさを上手くアピールして異性からモテたりビジネスを有利に進めたりした利己的な人間が社会的勝者になるし世間で優しいと評価されている人間はこっちの人種
こういう奴らは本当に不利益になるようなことは上手く他人に押し付け美味しい所は全て持っていく SEEDスレ乱立するのやめたら優しくして貰えると思う 世界は人間は所詮こうである的なペシミズムと同時に博愛精神をも持ち合わせてる人間こそ本当のセイントになりうる
大抵は明後日の方向に向かって権威主義拝金主義者になるから 「正しさ」とか「善性」みたいなものは
それと同じ価値観の人間からは敬意を受けて喜ばれ互いのためになるけど
それと対立する価値観の人間からは激しく嫌われ憎まれることになる
憎まれ嫌われつけこまれてもって覚悟が実は必要ないばらの道 他人に甘えてばかりや嫌なことから逃げてばっかりだと優しくなれないよ
優しい人は色々経験しても立ち向かってる強い人 自分の場合だと生活に余裕が出来たら優しくなったと思う
逆に厳しい人は金持ってても余裕が無いんだろうなって思える 河野太郎とか余裕がなさそうだもんな
自分のことで精一杯で
ああいうのは人にはやさしくできないでブロックするばかりになるわけだわ >"我々はビー玉である"
>(詩集KID RETURN/ビートたけし著,1986年)
>少年は作られたばかりのガラス玉
>透明で無垢、光輝で鋭利
>しかし、一日一日に、大人になるにつれ
>小さな傷を負って行く
>数えきれないほど多くの傷を
>やがてガスビーのように傷つき、淡い光しか発せなくなる
>大人になることは、濁りと丸み、汚れと狡さ
>決してそんなことがいいとはいわないけれど
>何十年も傷一つできなかったビー玉に大きな傷を入れて割ってしまうより
小さな傷を無数に負って淡い光を発することのほうがいいのではないか
>少しも傷のない生まれたばかりのビー玉であり続けることが
>素晴らしいことに間違いないけれど
>澄み切った少年であり続けるのは
>天才的才能の持ち主か世捨て人にしかできないことだ
>一日一日、いろいろなものにぶち当って生きていく我々に
>小さな傷は必ずできる
>かすり傷一つ負わないやつは
>よほど偏屈者か図々しいやつか
>ダイヤモンドのように優れたやつ
>所詮、我々はビー玉である
>>27
>ありふれたビー玉のくせして
>傷つかないようにしたり、人生にもまれないようにしたり
>純粋なままで生きたいなどと抜かすやつは
>とんでもない詐欺師か、とんでもなくイケ図々しいやつだ
>ダイヤモンドでないくせに
>自分が無傷であることを願うのは
>それ自体悪いことではないけれど
>しかし、自分を無傷の状態に保つために
>いかに多くの人を傷つけていることか
>それをわきまえない振る舞いだ
>柄にもなく無垢なガラス玉でありたいと願うやつが
>一度でも傷を負う立場に立つと
>とり返しのできない深手を負ってしまう
>一度も傷を負わないやつは、一度も他人と交わったことないやつ
>「私は汚いことが大嫌いだ」とか
>「不純なことは絶対許さない」とかいってるやつに限って
>意外にロクなもんではないんじゃないか
>ただ、所詮、ビー玉の我々だけれども
>少年時代に見た世界の ガスに曇っていない輝きを
>いつまでも忘れたくはない
>汚れた大人の世界を濁った光の中で見ているだけのていたらくだけれども
>かつてはオレも、外からの光をあるがままに感受し
>周りのものを輪郭そのままに見つめていた時代があったことを忘れまい
>光を純粋に受けとめて輝いていた時代があり
>それが不純になってきた道程を忘れなければそれでいい
>忘れるはずがない
>傷ひとつないガラスで見た世界を
>我々はビー玉なのだから
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敵を殴る人は殴ってる自分を、盗んでる人は盗む行為とそういう自分を、世の中の慣習に従ってる人はその慣習とそういう自分を肯定してるし他者にもそれを求める
で、「善性」とか「正しさ」ってのはやっかいで
誰もが自分をそのまま肯定しようとしてるのに
自分を批判して、そのままでない何か遠くの理想のようなものに向かって変えようとする 自分をそのまま肯定する人、他者をそのまま肯定する人は世の中の人たちに非常に喜ばれて親しく、自分も肯定してもらえる
でも自分のありかたを「善」とか「正しさ」みたいな基準で批判して変えてこうとする人間は 尊敬は受けてもやっぱり息苦しく感じられるし、場合によっては激しく憎まれ偽善者扱いされる 優しくあろうとするよりは
人に食ってかかろうとしなければいいだけだよ
電車で体当たりしたり店員に横柄な態度取ったりしなければいいだけだよ 世間の人間として、自分や他者をそのまま肯定してそこでの価値観に適応して生きていくのか
世間から離れた「善」とか「正しさ」みたいなものを求めて生きてくのかってのは
生き方が激しく分かれることになる
前者だと世間での幸せを得やすいけど
後者は、これはつまりは「善」みたいなワケのわからんもので世間を否定するに等しいから覚悟がいる マジレスすると金があれば心に余裕ができる
金もあんまないのに他人に本当の意味で優しくできるやつは狂人 大事なことなので
( ヽ´ん`)「まあいいじゃんそういうの」という心を持つこと 6億持ってても弱者に優しくできない人も居ますからそんなに卑下しなくていいよ もうなんにもしたくない人間だとわかったから無理だわ
優しくもしたくないし厳しくもしたくない触れ合いたくもない
ずっと寝ていたい 意地悪の方がめんどくさくね
そんなモチベーションあるなら他のことするわ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています