>>40
リューリク朝は多数の国家があった
かつてロシアからルテニアまでのルーシ諸公は軒並みリューリク朝だった
これはノヴゴロドやキエフのリューリク朝の征服活動もあるけど、幾らかの諸公の来歴は謎で必ずしもキエフに起源があったり、宗主下にあったわけではない

確かにルーシの歴史としてみればノヴゴロドからキエフ、モスクワときてロシアが成立したように見えるが実際にはそれぞれが別個の存在
ありがちだけど、近代ロシアという民族国家成立の過程で民族史を体系的にするために連続性を強調しているだけ

当時にロシアという国家はないのだから、モンゴルがロシアに勝利したという事実はない
ロシア人の先祖であるルーシ人の、当時その筆頭国家であったキエフ大公国が敗北し、多くのルーシ人がモンゴルの間接支配を受けたという事実があるだけ