「パワハラ」「異論封じ」「閉鎖的」「時代遅れ」――。中北氏は、わが党の民主集中制の原則に対して、雨あられのように批判の言葉を投げつけるが、どれも事実にもとづく批判とはいえない。どれもこれも独断的なレッテル貼りだけである。

“ゆがんだ「鋳型」にあてはめてすべてを裁断する”といった批判でいいのか

 こうして結局のところ、中北氏のわが党に対する批判は、“安保容認の党になれ”“民主集中制の放棄を”という“鋳型”が先にあり、そうしたゆがんだ“鋳型”にあてはめてすべてを裁断するというものになっている。民主主義の社会において、どのような批判ももとより自由だが、それは事実にもとづいたものであるべきだということを強調しておきたい。