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“暇で高給取り”だった「窓際族」も、令和では“薄給で忙しい”……世相を反映する「窓際族」の変遷

〇〇族」という言葉が流行した昭和の時代には隔世の感がある。ビジネスシーンでは、当時一世を風靡したのが、「猛烈サラリーマン」と対峙する形で注目を集めた「窓際族」と呼ばれたサラリーマンの存在だった
バブル時代と呼ばれた経済成長期が生み出した窓際族だが、リアルにその存在をビジュアルで思い出せる世代は、もう現役世代から退いたか、もしくは還暦前後の中高年世代に限られるようになったのではないか。

陽当たりのいい窓際の席に座り、書類を読むふりをして居眠りをする。特に決まった責任や役割もなく、スケジュールもほとんど詰まっていない。

ただ、社歴は長く年齢も重ねているがゆえに、さまざまな人生訓はもっている。見た目も、同年代の部長や課長と同じだ。結構いいスーツを着ていて貫禄もある。業務時間中にヘアカットに行くような自由行動をとる人も少なからずいたものだ。

年功序列色の強い給与制度で、成果主義の反映がなかったおかげで、窓際族の多くは課長級、もしくは部長級に近い水準の給料をもらう高給取りもいたのである。

このような中高年社員が窓際にずらっと席を陣取っている光景、これを生で見ることができる会社は今の時代、まだどこかにあるだろうか。

令和の時代には、多くの職場で「窓際族」は異なる概念に変化を遂げている。世相を反映するその存在について、時代を追って見ていこう。

◆失われた30年の間に窓際族は消えてしまった?
窓際族が発生する原因は、管理職ポストが少ない中で、管理職へ登用されず、いわゆる出世競争から外れてしまった同世代の社員たちが大勢いるからだ。

この点は今も昔も変わりはないだろう。出世競争から外れたとしても、部長付、課長付という形で課長・部長の待遇に近い給料をもらえていた状況が、昭和の時代は多かった。

バブル時代が象徴的だが、それだけ会社が儲かっていたからだ。経済が上昇カーブの中で日本社会が沸いていた。

出世できなかったことには不幸を感じた人も少なくなかっただろうが、本人は納得していなくとも、給料が高いまま窓際の席に座り続けて退職の日を迎えられたのは恵まれた時代だったといえる。

時期的には1980年代から1990年代前半にかけてピークを迎え、以後失われた30年と呼ばれる時代に入り、窓際族はその言葉とともに表舞台からは少しずつ消えていく運命をたどる。

とはいえ出世競争がなくなったわけではなく、むしろ事業環境はグローバル化により競争も激化したため、窓際族は窓際の温かい席を奪われてしまっただけという見方が適切かもしれない。もはや窓のない部屋に集められてしまう人たちも出てきたのだ。

いわゆる追い出し部屋と呼ばれるような、快適さとは無縁な環境である。この“元窓際族”の給料も維持できなくなったのが、まさに平成の時代であった。

実際、オフィスフロアから窓際族が消えてしまい、今では窓際族の存在を知らない若手社員や中堅社員が増えていることだろう。窓際族は都市伝説化してしまった可能性もある。
て、体力的にもきつい思いをすることも少なくないのだ。

年功序列色が薄まるということは、若手社員にはチャンスだが、中高年世代のベテラン社員にとっては、給料相当の仕事をしなければならないということも意味している。

もちろん、自分が納得さえしていれば、年齢相応、経験相応の仕事をせず、それ相応の給料でそこそこに生活するという生き方もある。

職場の多様性が、ますます高まる時代を迎えている。正社員から派遣社員まで、さまざまな就労形態がある。人生100年時代、会社を定年した後、60~70代以上になって派遣社員として元気に仕事をしている人も増えてきた。

仕事をせずにのんびりと1日を過ごし、高給をもらっていた昭和時代の窓際族のような働き方は、もうほとんどなくなってしまったかもしれない。

しかし、代わりに多様な仕事内容や働き方がある。以前よりも下がった収入レベルを受け入れることも必要だ。

“現代版・窓際族”としては、かつてのように楽をして高給を稼ぐことはないが、身の丈に合った働き方、そして息の長い働き方を見つけ、社会に貢献する達成感を見つけることが肝になってきているのだろう。