【画像】奈良時代の大阪あたりの地図がこれ。河内湖がすごい [455830913]
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昔の航空写真と比較すると古代時代に川だった名残が見れたりするから楽しい そんなこと言ったら琵琶湖なんて大昔は今の滋賀三重県境あたりにあったんだろ? 香取海は地名に残ってるから面白い
龍ケ崎 神崎 花崎町 下総松崎などは陸だけど岬だし
陸だけど浮島もある
潮来はもはや説明不要 >>5
関東平野なんて言うが埋め立てたんだな
もう全国埋め立てて平野作れよ 摂津国はそう呼ばれるようになる遥か以前かつて多数の津があることから津ノ国と呼ばれ
汽水湖の河内湖は芦原が広がってたので芦原の中の津ノ国とも呼ばれてた
海との境界にあたる上町の岬付近は狭くなってて大雨が降ると淀川と大和川の排水が追いつかずよく洪水が起きてた
そこで仁徳天皇が運河の難波の堀江と堤防の茨田の堤を作り発展の礎とした
淀川の河口は堆積で無数の島ができててその様子から八十島の国生み神話が生まれ歴代天皇の即位時に行う八十島祭の始まりとなった
日本国始まりの地なのよな 塩分が多いから稲作は難しかったのかなるほど(´・ω・`) 現在淀川に生息してる鵜殿の葦原はこの時代の生き残り
雅楽はこれじゃないと音が出ない あるぇー?ってね
国生みが先ずあって、それから天孫降臨だのあれこれ色々あって神武東征になるんじゃないの?ってね
もしかして時系列バラバラ?って
いくつかの部族の神話を統合した?ってね
キサマ御国の神話を腐すつもりか?
御上に言いつけてやるから覚悟しとけよ! 奈良時代以降か。
大阪城は石山本願寺の跡に建てられた事は裏付けがあるんだけど、本願寺ができる前は何だったのかが不明になっている。
そこで、卑弥呼の墓であったという説が出てくる。
天皇家が保護しなかったばかりか、邪教の本拠地にすることを黙認したことから、大和王朝系の人物の墓では無いが、あの場所にあれだけの規模の墓を作れた人物というと、他に居ない。 秀吉が結構埋めたからな
この頃から大阪は土地の不足気味だった >>43
旧外より下に住んでるやつ馬鹿だわまじで、歴史地理を学んでたら山手に住まないと海面上昇で終わるのわかってない
神武東征から生駒上がろうとしたら負けて敗走したとこに住んでるわ(笑) 上町台地最北端のあたりは古くは高津という地名
その通り空港の意味で天磐船が降臨した神話の残る所
だから仁徳天皇期の難波宮は難波高津宮と呼ぶ
その頃には創建が不明な生國魂神社が難波宮と同時にあったとされ本願寺と大坂城が建設されるまで続いた
大阪城生國魂神社御旅所跡
https://viva-kansai.com/photo/matsuri/27_ikutamasai_160711/1-1219.jpg 生國魂神社は全国で同じ祭神とする社が二社しかない非常に不思議な神社
祭神と神体は日本列島のそのものの生島大神と足島大神
タケミナカタとタケミカヅチの葦原中つ国の国譲り神話に関連があるらしく
諏訪近くの上田市に同様の祭神とする生島足島神社がある 逆に海の神様は住吉三神、宗像三神、ワタツミ三神いるんだよな >>123
生國魂神社か
デリヘル街にあって一回デリヘル行く前にお参りしたわ >>126
そこのは大阪城建設時に移転した所
だから生國魂神社の陸渡御は本来の場所である大阪城まで行進を行う 石山本願寺の石山とは交野市の磐船神社同様に
天乃磐船とされた巨石があったのが由来ではないかと思われる すごーい(,,´ ・∀・)(・∀・`,,)ブラタモリみたーい >>2
上町台地さいっきょ
谷町筋より西に住んでる奴全員馬鹿ですw
トンキンを笑えないよ? 大阪には五色に輝く石を持つえべっさんが降臨し五色の石を埋め磐山を作った話がある
播磨風土記の暴風を起こした五色の玉を持つ石神や兵主の伊和大神、スサノオと同じでしょ
磐やね
スサノオなら胸形や諏訪と縁があってもおかしくない この高低差がブラマヨのM1優勝時のネタの一部ボウリング球が坂を一気に下るを生んだってのが感慨深いね >>2
1000年以上ここまで土地を埋め立てて拡張し続けた大阪人の凄さが目立つな 大阪四大夏祭り
天神祭
住吉祭
愛染祭
いくたま祭
生國魂神社の陸渡御は最近復活した
戦災で中断 悲願の陸渡御 夏祭り、昔の姿に(3)
https://www.nikkei.com/article/DGXNASHC3001X_S4A700C1AA1P00/ えべっさんは三柱らしいよ
祇園と今宮は事代主、西宮と堺はひるこ、正月に門付でやってくるのが大黒さんのえべっさん 古代の豪族もあの辺りにはいない
枚岡神社近くの中臣、弓削神社近くの物部ぐらい >>128
毎年7月にやってんね
谷町筋行脚してる
神輿がトラックの荷台に乗ってるがw >>141
あれはかなり南の堺近辺で海沿いにいたから… >>123
その当時の大阪平野は海水が残ってて稲作できなかったんだよな
それを治水土木工事して農地改革して稲作できるようにしたのが仁徳
土木工事したから大量の土砂が余って、それで古墳が巨大になった
稲作ができるようになって、民が米を食べられるようになったときのエピソードが「民のかまど」やね 仁徳天皇陵の堀が田端の用水路になってるのもおもろい >>9
JRA京都競馬場のコース内にある池は、現在は干拓化された巨椋池が湖沼だった貴重な証拠。
福岡も明治の最初の頃は全然今と違ってるからな。 >>51
上本町より更に北の台地名にもなっている上町あたりが本来、大坂で最もハイソな街。上方
落語では大店の旦那さん(だんさん)が上町に住んでいる設定の噺が、ままある。 >>62
太閤さんが大坂城を建てる前に、浄土真宗の蓮如さんがこの場所に石山本願寺を建てたんやで。
その後、織田信長と石山合戦の激戦の後、明け渡し消失した跡地に秀吉が大坂城を建てたんや。 >>139
現在の大阪市域をほぼ二分して領地化していた古代豪族が、北の渡辺氏と南の津守氏。 堺って昔は海辺で平地じゃなかったんかな?
20代の頃堺の工場に営業行って帰りが眠すぎて車路駐して寝たら、夢で海の崖沿いに建ってる神社に参拝して中に居たお面被った神主さんが踊り?ながら榊を向けて7777の詩を吟じて?くれたわ
目が覚めて変な夢だな、ってちょっと車走らせて住吉大社の隣で昼寝してたことに気付いて、今住吉大社はかなり内陸だけど昔はここらへん崖だったのかな?て思った
?ばっかり 大阪の埋め立て島って俯瞰地図で見たら世界一ブサイクだと思うわ >>156
その住吉大社(神仏習合期は住吉大神宮)の宮司(住吉神主)を創建時から明治の近代社格制度(1871)
まで世襲したのが、>152で挙げた津守氏。日本書紀記述の神宮皇后の三韓征伐等の一連のエピ
ソードと住吉大社の"挿話"を書紀に入れるよう働きかけたのも、津守氏と見る向きが多い。 津守も渡辺と海に関する名前だよな
ワタ=海
津=海 >>89
梅田が最後のフロンティアになったのも土地が悪い(湿地帯で地盤沈下が激しい)からだしなぁ 住吉大社神代記に住吉の神が
吾が名は向匱男聞襲大歴五御魂速狭騰尊なり
と名乗ったと書かれている
大きな歴史の5つ御魂は五色ってことじゃないのかな? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています