スペインの新聞で「鳥山明は複数の言葉を守った偉人」として報じられていた!(クーリエ・ジャポン)
https://news.yahoo.co.jp/articles/7fc243583206672fbfcae4d7119f28a68e18771e

『ドラゴンボール』や『Dr.スランプ』などの作品で知られるマンガ家・鳥山明の死去を海外メディアは相次いで速報し、世界中で悲しみの声が広がった。

【画像】スペインの新聞で「鳥山明は複数の言葉を守った偉人」として報じられていた!

なかでも、スペイン・カタルーニャ州の現地メディアは「鳥山の死にカタルーニャは泣いている」(現地メディア「カタルーニャ・プレス」)などの見出しで、格別な思い入れを持ってこのニュースに反応した。いったい鳥山は、同州にどんな足跡を残したのだろう?

弾圧された言語の人気コンテンツに

スペインではフランコ独裁政権時代(1939~75年)、カタルーニャ語などの地方の固有言語は公的な場での使用が禁止されていた。1975年のフランコの死後に民主制に移行し、1978年に制定された憲法で各自治州がそれぞれの地域の言語をスペイン語とともに公用語にすることができるようになった。こうしてカタルーニャ語は復権したものの、現在でも読み書きが苦手な人が存在するなど、弾圧の影響は残っている。

『ドラゴンボール』は、こうした歴史的背景を持つカタルーニャ語の普及・使用促進において重要な役割を果たしたとされており、その功績を複数の現地メディアが鳥山の死を契機に振り返っている。

現地紙「ディアリ・アラ」の「鳥山明が偉大である五つの理由」という記事によると、同州では1990年2月、アニメ『ドラゴンボール』のカタルーニャ語吹き替え版のテレビ放送が始まった。そして「カタルーニャにおけるマンガの歴史は、その登場以前と以後に分けられる」ほどの大ヒットを記録。放送開始から数ヵ月後には、原作マンガの違法コピーが出回り始めたほどの人気ぶりだったという。

1992年にスペインで原作マンガが正規出版された際の初版部数は、カタルーニャ語版が10万部、スペイン語版が5万部だったと同紙は伝えており、当時のカタルーニャ州における突出した人気ぶりがうかがわれる。

ちなみに、スペイン紙「バングアルディア」によると、スペイン語版の『ドラゴンボール』が一般向けに放送されるようになったのは1997年だったという。

鳥山明は「勲章を贈られるべき!」

「カタルーニャ・プレス」は、放送開始当時の背景を「スペイン語が優位のなか、カタルーニャ語はその存在意義を維持するのに苦労していた」と説明。そうしたなかで『ドラゴンボール』の存在は、「カタルーニャ語にとって貴重な足場」だったそうだ。

同メディアは、「『ドラゴンボール』はカタルーニャ語の普及・使用促進のために、政治家よりも多くのことをしてくれた」という鳥山の死を受けて投稿されたSNSの意見も紹介している。

このようにして、「『ドラゴンボール』でカタルーニャ語を学んだ世代」(「バングアルディア」)が育ち、特に1980~90年代に州外から引っ越してきた子供たちにとっては、現地の言葉を学ぶ後押しになったという。

こうした子供たちは学校ではカタルーニャ語で教育を受けるが、家庭で話すのはスペイン語のみ、ということもある。だが、現地ラジオ「RAC1」の記者は、『ドラゴンボール』のおかげで、子供たちがその出身を問わず、カタルーニャ語を話しながら一緒に遊べるようになったと指摘。こうした功績を鑑みて、「鳥山には、少なくとも(同州政府が文化功労者に対する最高の栄誉として授与する)サン・ジョルディ十字勲章を贈られるべきだった」と記している。

「スペインの公用語を豊かにしてくれた」

『ドラゴンボール』はカタルーニャ語以外でも、バスク語やガリシア語、バレンシア語といったスペインの自治州の公用語に吹き替えられ「スペインの若者の間で公用語を広めた」と、同国のテレビ局「セクスタ」は伝えている。

同局によると、ガリシア州やバスク州では1991年に吹き替え版の放送が始まり、高視聴率を記録。「各地方の子供たちの文化の一部となり、悟空とその仲間たちの冒険を通じて、多くの人々にとってその地域の公用語を聞いて練習をする動機を与えた」という。

同局はスペインにおける『ドラゴンボール』の功績についてこうまとめている。

「日本のアニメを多数のスペインの世帯に紹介したばかりでなく、スペインの公用語をより豊かに、多様にしてくれた」