この戦いは、かつては日本国内では豊臣秀吉や加藤清正が「英雄扱い」されることも多かったが、朝鮮側としては「民間人、女性、子どもも大量に虐殺された悲劇」として歴史に深く刻まれている。

当時、日本には戦功を示すために首を持ち帰る習慣があった。しかし、外国から首を持ち帰るのは重くてかさばるので、耳や鼻を削いで、何万人もの耳と鼻を塩漬けにして日本に持ち帰った。

それを埋めた耳塚が、秀吉を祀る京都の豊国神社のすぐ傍にいまでもあるのを、ご存じであろうか。とくに悪名高いのが、秀吉軍が老若男女、赤子に至るまで大虐殺した「南原(ナムウォン)城の戦い」である。

当時、秀吉の軍の従軍僧として戦地に渡った慶念(きょうねん)が記した『朝鮮日々記』には、秀吉軍による略奪・殺人・焼き討ちが地獄のようであり、道が無数の死人で溢れ返り、二度と見るべきでない惨状だと記されている。
https://president.jp/articles/-/74100