イエスは仏教徒だった?…全共闘にまで影響を与えた大論争「なぜその言説は仏陀の教えとされるものにこんなに近いのだろう」 [377482965]
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頭良い人間って大体同じ感覚で同じ結論に達するもんだからな ラッセルは彼の哲学史の中でブッダの後継者
をイエス・キリストだとみているのです これはまったく突飛な発想だと思われるかもしれませんが 必ずしも
そうではないのでして すでにキリスト教の初期においてアレキサンドリアの教父(古代の初期キリスト教において、
教会の指導者であり、聖書の解釈などで重要な著作を行った人々)の間ではブッダはイエス・キリストの先駆者だと
説いている人がいるんですね それはアレキサンドリアのクレメンスです 彼はイエス・キリストが現れる以前にも
宇宙の真理を体得した先駆者がいたというのです ギリシャ イスラエルの哲人の名前をいく人か並べ そのほか
インドではブッダがいると そのブッダはギリシャ語で「ブッタ」と書いてありますね イギリスの哲学者のジョンスチュアート・ミールが面白いことを言っているのですね
「イエス・キリストが現れる以前にもクリスチャンはいた ただ自分が誠に残念なのはイエス・キリスト以降に
クリスチャンが一人もいないことだ」
キリスト以降 教条主義者が出たり教団と教団との対立があったり殺し合いがあったり火やぶりにしたり そういう
ことになりますと そういうことをやった人はクリスチャンと言えないというんですね 仏教はバラモン教に対するカウンターカルチャー
キリスト教はユダヤ教に対するカウンターカルチャー
民族主義で差別が横行した宗教を否定するのが目的なんだから、そりゃ似通ったところはあるさ 単に紀元前とかそこまでキッチリ文化が分かれてるわけじゃないということ 偶像崇拝を否定するイエスが仏教徒なはずは
無いではないか ブッダが生まれて初めて発した言葉
天上天下唯我独尊
↑こんなやつおるか?
さすがにデタラメやろ >>13
それは釈迦伝説だから実際のことではない
それも教えなんだ
七歩の意味わかる? ブッダはインセルだったけどキリストは違うよね?
ブッダは愛を否定したけどキリストは愛至上主義だよね?
数段落ちるよやはり 次元が高くなってくると似通ってくるからな
ただ一番高いのはやっぱり法華経らしいけど なんでイスラム教にはあまり詳しくない人が多いの?昔あった悪魔の詩の影響? >>19
キリスト教の「愛」は2つある
アガペー(博愛)は慈悲
エロスは独占(仏教でいう執着) >>19
インセルにも優しいというか
弱者男性を救う教えなだけでインセルではないです そもそも仏教ってルーツを辿りにたどると大陸の騎馬民族というか遊牧民に繋がる
この人らはギリシャ神話に関係しているのでつまり西側諸国に流れがあると推測される
大元で繋がりはある可能性ある
またデュメジルの言うように似てくるのはある ブッダがインドでキリストはイスラエルだから間にペルシア挟まってるだけで大して遠くないし伝わっててもおかしくないな 聖典というものは基本的には高次元人が三次元の地球に転生してきて広めたものだからな
預言は時間の概念を超越した存在が見たことを記したり
ビジョンで見せてるだけだから 仏教的解釈では
何故そういうことをするのかと言うと
最終的には人間が如来から授記を貰って
その人も如来になって
最後には新たな宇宙を創造するためなんだよね >>28
イエスは単なる大工の息子だぞ
預言者としてそこそこ名が知れてから、故郷に帰った時
地元の友人に「大工の息子が何言ってやがる」とか言われて
「預言者は自分の生まれ故郷では尊敬されないものだ」
と捨てセリフを吐いて村から去っていった 良きサマリア人とか鳩を追い出せとか仏教的なんだよな 所謂シオニストとかの最終戦争強行派には
その視点が欠けているのでね
今の世界は上層部にその視点が無いので
こういう状況になっちゃってますよってこと
だからダビデ・ロスチャイルドとかジャック・アタリとか
ユヴァル・ノア・ハラリとかビル・ゲイツとか
こういう連中はもっと仏教を学ばなければいけないんだよね 釈迦が死んだあと仏教はタチの悪いスピリチャルファンタジー 日本には仏典を正しく読めてる人はほとんどいない
方便で書かれていることは知っているがほとんどいない 釈迦・孔子・ソクラテス・イエスの四聖のなかでは生年月日的にはイエスが一番格下っぽいね
釈迦
紀元前624年 - 紀元前595年
孔子
紀元前552年または紀元前551年 - 紀元前479年
ソクラテス
紀元前470年頃 – 紀元前399年
イエス
紀元前4年- 紀元後33年 問題は旧約聖書であり仏典であり新約聖書もかな
人間が読むとちゃんと伝わらないだけでなく
わざと破滅するように書かれている この中で仏典でも聖書でもちゃんと意味を理解できている人はいるのかな
それどころか世にある教団 仏教もキリスト教も本当に仏典や聖典を理解
できてるのか ディオニソス信仰がヨーロッパの宗教で
それは輪廻転生を信じる宗教だったので
仏教に似てると思うのかも 聖書や仏典は「方便」で書かれているから鵜呑みにしたらまったく違った
意味合いになってしまうんだけど
それを分かっているのかな まともに聖書や仏典を理解できない人が宗教についてああだこうだという >>37
新約聖書は神話的な部分を抜きにした道徳の書としてなら、
「人にこうしなさい」という親切的な事がたくさん書いてあって
とてもよい書物として読める
現代において『自由主義神学』と呼ばれる人達は
そういう聖書の読み方をする
死後の救済を求めて、それにすがった人が
聖書を読んでしまうと
「あわわ…私はこれをしないと地獄に落ちるんだぁーっ!」
という恐怖心に囚われてしまう
こういう人にとって聖書は毒になる
こういう人は『ヨハネの黙示録』を読んでおしっこ漏らしそうになる 釈迦からイエスまで600年くらいあるわけだから伝わってる可能性はむしろ高そう >>43
ではこれの意味わかりますか
「右のほほを打たれらた左のほほを出しなさい」 >>44
イエスとお釈迦様はモーセやムハマンドと違う
わかりますか 宇宙を創造するためには空の状態にならなきゃいけない
空の状態から全てが誕生して新たな宇宙が生まれるわけだから
だから仏教では空の状態になることを目指していくわけ >>49
一言だと自分を無くしていくってこと
無私って言うのかな 「教え」がまずあって、みたいな考え方だとこんな風に解釈することになるんだろね
そうではなく「教え」の上で云々するのではなく
自己探究、真理探究の結果としての「教え」って考えると
イエスも釈迦も示したのは「真理」なんだから語ることもにかよるのは当たり前なんよ 「真理」として示されるのは「私」がないこと
肉体としての「我」の上に認めて執着してる
そういう見方を迷いとか穢れとして
肉体以前の本来の「真我」っていう真理にありなさいよって風に教えがなるのは自然なんよ ユダヤ教の(理不尽な旧約の教えへの)アンチテーゼ=キリスト教
バラモン教の(理不尽なカースト制度への)アンチテーゼ=仏教 >>54
空というのは「無」ではないんです
見えないけど何かある 2500年前にお釈迦様が伝えたかった事
それは質量のない世界から見た人間界(物質世界)について教えたんです >>55
ユダヤ教に語られた、いつか現れる、全ての救いの真理を示す救世主がイエス
バラモン教の社会で語られた、いつか現れる梵我一如的な解脱の真理を実証したのが釈迦
こういう風にけっこう背景的には似てるのな アレクサンドロス大王の時代にヘレニズムによって仏教や仏像が西洋にも伝来して融合したからな
みんな知ってる有名なのだと、キリストの肖像とかで描かれる後光は仏教が起源だし キリスト教と大乗仏教はぜんぜん違うぞ
仏教では慈悲というのはあっても、キリスト教みたいな「愛と希望と信仰」みたいのはない。
キリスト教みたいな一神教でもない。
何らかの信仰によって大衆を救う、人を救うという観点である部分は同じだが、
それならイスラムもヒンズーも同じだからな 質量のない世界にある意志や喜怒哀楽を伝えたかったんです 救世主と仏陀、両方ともに共通してるのは「生死からの救い、解決」ってことだね 仏教が克服したはずのバラモン教を引き継いだヒンドゥー教でも
「生死の解決」的な真理を示す教えってのは後に出てはいるみたいだけどね
不二一元論のシャンカラが有名かな 西洋ではデカルト(1600年ー)「われ思うゆえにわれあり」が西洋思想の出発点になった
インドではシャンカラ(700年ー)「いくら自分を疑っても 自分を疑っている自分は存在する」
(西洋哲学では自己という言葉があまり使われていないのに対してインドではエゴという言葉があまり使われない)
両者は似ているのだがそこからの話の方向が西洋とインドではわかれるのである
西洋では「われ」が自己ではなく「エゴ」に
インドでは「自己」がアートマン そしてその奥にある絶対者ブラフマン 宇宙の真理になりそれが生き物の
すべての根源であり みなとつながっているというところに目を向けた
西洋では人が死んだからといってその人が神(ゴット)になったとは言わないが
東洋で庶民は仏になったという そこに仏を通して人々の一体感が生まれる
ここに「自己」というものにおいての東洋と西洋の違いを指摘する
東洋にも西洋にも他にもいろいろな思想はあったが傾向としてはこの両者が代表的だった この不二一元論のシャンカラの示す「真我」ってのが
西洋の現代思想や文化、ニューエイジ思想で信奉されてたりするから
そのニューエイジ思想がヒッピーとかサブカルとか反抗の文化とかで日本人に無自覚にも馴染み深く入ってきてるから
現代日本人にとってはむしろ仏教よりも自分らのものとして親しいものになってたりするのかも >>63
思いやりをもっと濃縮して純粋化したものだな 佐藤優が紹介するトンデモそのものでワロタ
キリスト教と仏教なんて全然違うわそもそも仏教宗教じゃねーしどっちかと言うと哲学だし 仏典を読んでも聖書を読んでも意味が分からなくては仕方ないし
間違った解釈したら「迷信」になってしまう
ではどういう風に読んだらいいのかという考察はしないのですかあ >>69
それはあなたが聖書も仏典もちゃんと理解できていないという7証拠です
ではこれを教えてください
創世記
第1章第1節
神は言われた。 「水の中に大空あれ。水と水をわけよ」
髪は大空を作り
大空の下と大空の上に水を分けさせられた。
そのようになった。 >>71
キリスト教の「愛」にエロスの意味はないよ
愛というとエロスの意味になっちゃうのがインドと周辺の文化で、
だから仏教には愛という考えでなく慈悲になる
そして仏教の慈悲はキリスト教の愛とは違う。慈悲という文字を見ても意味がわかる通りだな
ローマ帝国でキリスト教が弾圧されてたときも、地下の墓場で愛がどうの言ってる
エロ集団だと思われいてた部分もあるが、キリスト教の愛は>>68みたいなものだよ 仏典や聖書をちゃんと理解するにはどうしたらいいのいか キリスト教は、明らかにローマ帝国の思想や行動様式を超えた態度をめざそうという
意図が感じられるもの。そして一神教。
大乗仏教は、原始仏教のあとに教理が煩雑化して、一般人ほったらかしで難しい教理議論やるようになったので
一部信徒が一般人に布教すべきとして、土着のさまざまな宗教(拝まれていた神様)を吸収して
仏教と結合させたもの
まったく違うものだね 神は言われた。 「水の中に大空あれ。水と水をわけよ」
髪は大空を作り
大空の下と大空の上に水を分けさせられた。
そのようになった。
これわかりませんよね >>77
キリスト教で言う愛も仏教でいう慈悲も、分類なんてできないものだよ 結局聖書もちゃんと理解できないで
キリスト教とか仏教についてああだこうだ
言っているんですよ
皆さんは 復活とか輪廻とかシミュレーション世界に気がついたんだな この意味わかりますか
[そこで主なる神は人を深く眠らせ、眠った時に、そのあばら骨の一つを取って、その所を肉でふさがれた。 主なる神は人から取ったあばら骨でひとりの女を造り、人のところへ連れてこられた。 そのとき、人は言った。
「これこそ、ついにわたしの骨の骨、わたしの肉の肉。男から取ったものだから、これを女と名づけよう」。 天皇が戦国時代に洗礼受けていたら日本の歴史はどうなっていたか気になるな 要するに聖書であれ仏典であれ正しい理解がないと「迷信」になってしまうんです >>93
知らないのはお前だよ
そもそもお前が示してるのはギリシャの用語だから。
ギリシャの文化はキリスト教や仏教より前からあるもので、
キリスト教にも仏教にもまったく関係ない
それがわかってないってだけでしょ 全ては無常とする仏教と神以外全ては無常とするキリスト教は確かに相似する部分はある
にも関わらず救済の意味が正反対なのが面白いところだな
キリスト教的には死後の復活と神の王国入りが救済なんだけど仏教的にはそんな王国は御免被るという話で死後はきれいさっぱり無に還るつまり涅槃入りこそが仏教的な救済なのだ
しかしそれはキリスト教にとって堕地獄なのであった 聖書本文の箇所さえ知恵袋で知った気になってる奴がどの口で? >>91
それはね
異星人がバイオテクノロジーで
アダムの細胞からイブを作ったことを言っているだけ >>98
引用しただけです
探すのが面倒だったから
問題は中身を理解しているかどうかです >>100
それであなたのここまでの書き込みが意味がなくなりました >>101
もし聖書持ってれば1ページ目に出てくるんだから探すの面倒なんて読んだことない証拠だわ あと水と水にを分けよというのは
水が蒸発して雲になって雲が雨となって地上に降り注ぐ
つまり水の循環について言っているのでは?
よく知らんけど ・イエスは自分の能力や権威を疑われると怒り出す人だった
・磔にされて死んだときは『神に見放された』と自棄的に叫んでいた
・そうしたリアルな描写を後世の信者たちがどんどん書き直して、
非の打ち所がない人格者のように書き改めていった
・大工のヨセフを『父』と書いている箇所なども、
『イエスは神の子なんだから大工の子ではない』という理由で全部書き換えられた >>104
文章そのまま読めばいいだけだ、と書いてるのに、「違います」とはw
カルト脳だな >>42
嫌儲なんて島田裕巳をありがたがるレベルだから ちなみにアダムとイブを作ったのは
アヌンナキという異星人です よく分かんねえけど自分の中に神を見つけるか、自分の外に神を見つけるかの違いじゃねえの? >>110
その能力で聖書を理解したとは言えません >>107
>磔にされて死んだときは『神に見放された』と自棄的に叫んでいた
これはウソだな
新約聖書の一部にある、「なぜ私はお見捨てになったんですか」は、旧約聖書ある有名な一説の一部だ。
イエスが死ぬときに一説を言ったという話でしかない さあ
神は言われた。 「水の中に大空あれ。水と水をわけよ」
髪は大空を作り
大空の下と大空の上に水を分けさせられた。
そのようになった
[そこで主なる神は人を深く眠らせ、眠った時に、そのあばら骨の一つを取って、その所を肉でふさがれた。 主なる神は人から取ったあばら骨でひとりの女を造り、人のところへ連れてこられた。 そのとき、人は言った。
「これこそ、ついにわたしの骨の骨、わたしの肉の肉。男から取ったものだから、これを女と名づけよう」。
この意味を教えてください 水は水だろ
ユダヤ人にとって水(=海)は死の象徴だから、水で満ちたところに人間は生きられない
だから神が水のない空間を作った、と言う話 仏教の目的はまどかな心、穏やかで安らかな境地に至ることでしょうね >>114
キリスト教の理解に能力なんて必要ないよ
そもそもキリストの弟子たちは無学な人ばっかり、教えられてた人達も同様。
大乗仏教も同じで、煩雑な教理じゃなくて一般の農民が受け入れやすくしたもの。 いくら口で偉そうなことを言っても
他人を馬鹿にしても聖書を理解できないならただのうぬぼれ屋さんですよ ゼカリア・シッチンの本を読んでください
ヤハウェ=アヌンナキ=異星人
だというのは既に確定事項です >>119
まあその程度でしょう
聖書も仏典も「方便」で書かれていますからその通りの解釈では本当の意味は伝わらないんです
そういう風にできているんです >>122
でもあなたは理解できてないでキリスト教を語ってますよね >>123
>聖書も仏典も「方便」で書かれていますから
イエスも大乗仏教の人達も「方便で書いた」なんて言ってないからな。
理解がどうの言ってる人、仏典が全部方便だとか思ってるような理解なら
ただのカルト脳だな わかりませんよね
ノアの箱舟は三位一体について語られているんですよ >>126
まあそう思うならそれでいいでしょう
あなたはそこまでです あまりにも差があるんでここにいても無駄だと知りました 俺も実はブッダのパクリのユダヤ版なんじゃねとは思っているが
まぁいいじゃんそういうの 異星人アヌンナキが地球の鉱物採掘用の奴隷を作るために
地球の動物を遺伝子操作して作ったのが人間です
水と水を分けてどうのというのはどうでもよくて
環境を多少整備しただけで大したことではない
創世記では偉そうに神を名乗ったりしてるが
実際はそれほど高次元の存在ではありません >>129
>>127
ID:Ykjr0bD50って、要は、聖書や仏典のこの部分は実は言葉通りじゃなくてこういう意味なんです!とかいう
ヘンテコな陰謀論(たとえばキリスト教よりずっと以前ノアの箱舟の話に三位一体の話だとか)を「理解」だと
思ってる、よくいる陰謀論カルトってことだな
そんなの理解でもなんでもないよ 東大の世界史とかそういう問題すきそう
時系列地理横断する問題とか仏教とか 何度も書くけど、キリスト教と大乗仏教なんて、内容も成立過程もぜんぜん違うものだからな
キリスト教と大乗仏教が「近い」ってなら、イスラム教もヒンズー教もそこいらの新興宗教も
同じくらい「近い」わなw 現代にも繋がる「考え方」がなぜ2000年くらい前に集中して誕生したのか。
4000年くらい前に同じこと言ってる奴がいてもおかしくないのに。 >>106
神は言われた「水の中に大空あれ 水と水を分けよ」
神は大空を作り大空の下と大空の上に水を分けさせられた
神は大空を天と呼ばれた
夕べがあり朝があった
第二の日である
この意味は
大空とは神の霊力を意味しています
水とはその意識波動から生じる超次元的な質量の世界です
大空の上に分けられた水とは見えない命の次元霊界のことです
質量の下に分けられた水とは私たちの物質世界です >>121
ルドルフ・シュタイナーは読んだことありますか? まぁアレクサンダーの遠征でインド文化混じったからひょっとしたら影響受けてるかもね 仏教とキリスト教の共通性は昔から指摘されているだろ
大日=デウス
釈迦=イエス
摩耶=マリヤ
十大弟子=十二大弟子 どの辺が近いのか俺には理解できないけどたぶん多少は影響与えてるよ
宗教って結構「混じる」からね >>144
そもそも、ローマ帝国とインドの貿易でインドの商工業が発展したことから
仏教やジャイナ教が勃興したといいう経緯があるので、もともとヨーロッパとは
関係がある。
キリスト教に影響を与えたと言われるのはミトラ教で、これは
むしろインド・アフガニスタンにも影響を与えて、大乗仏教にも影響している。
だから、無理矢理言うとすれば、仏教がキリスト教に影響を与えるなんてことはないけど、
大乗仏教とキリスト教の両方に影響を与えた宗教や文化が複数あるってことはたしかだね >>140
当時の宗教は「学問」
2000〜3000年前って中国では黄河文明と長江文明が合流したりシルクロード伝ってハンムラビ法典が秦に伝わったり、西洋ではアレクサンダーが遠征したりして色んな考え方が混じってそれを整理する過程で宗教が生まれたんじゃないかな まぁ、一神教の発明はかなり画期的だったと思うよ
色んな文明に神様いるけど、神が一人なんて考えたのはユダヤ人くらいでしょ >>140
>>148
>現代にも繋がる「考え方」がなぜ2000年くらい前に集中して誕生したのか。
>4000年くらい前に同じこと言ってる奴がいてもおかしくないのに。
いつの時代も同じようなこと言ってる人達や宗教はあるよ
キリスト教はローマ帝国が国教にしたのが大きい。ローマ帝国崩壊後もそういう文化が
受け継がれた
仏教はもともとのものから大衆に広まりやすいようアレンジしたものだから、広まりやすい。
モンゴルの侵攻を食い止めるために遊牧民に仏教を流布させたりという政治的なことも絡んでるね
キリスト教世界ではそれ以外の宗教は反キリスト教であるとして弾圧されたから
2000年間広まらなかっただけ、
東洋では道教だのなんだの仏教以外の宗教もたくさんあって、
日本では神道とかもあるよね >>149
>神が一人なんて考えたのはユダヤ人くらいでしょ
一神教って考えは一時期の古代エジプトにもあった
むしろユダヤ人はそれに影響されたのではないかという話がある。 キリスト教は奇跡起こしたからすげーとか神は唯一最強だからすげーとか下級出身者ならではの頭の悪い勢いが流行った原因ぽいよないわばなろうのような
仏教はロジハラかましてくるから大多数の庶民からしたらムカつくわ >>66
仏教ではアートマンを否定する
自己とは色であり色は空である
ただその場の環境に反応するだけの存在が自己である
自己が選択しているようで実は環境に選ばされているに過ぎない >>155
キリスト教がローマ帝国に激しく弾圧されてるのにローマ帝国内の
主流勢力になった理由は、
教義にある「愛」が原因だと言われている
ローマ帝国は「強いもの勝つ」的な考えなので、
大流行する疫病とか精神的・肉体的悩みとか、経済的困窮とか
そういうものにはローマ風の考えは無力だった。
キリスト教はそういう人達を積極的に助けたので、災害や疫病や悩みが増えて
困った人たちが増えるたびにキリスト教が広まった
大乗仏教も、困った人たちを安堵させるようなことを主眼に置いてるので
同様な理由かもね >>153
宗教全部見て比べてみれば自ずと真理は分かるわな
どの宗教でも同じこと言ってるそれが真の理や >>25
仏教の源流はヒンドゥー、バラモン教、その先にヴェーダの聖典やぞ。騎馬民族とか交流ないよ、ヒマラヤ、エベレストの先だし 右の頬を打たれたら、左の頬をブッダね親父にも殴られたこと無いのに >>157
仏教も儒教も混沌とした世の中にそれぞれのやり方で秩序を求めた、
そこはキリスト教と同じだけど
キリスト教はそれにユダヤ教から受け継いだ神様で箔付けした
そこが新しかったんじゃないだろうか
哲学と宗教の両輪を持っていたという感じで シャカのほうがキリストより数段先の思想持ってたよ
まあキリストは30歳くらいで死んだから仕方ない面もあるが つか逆にマニ教とか日本に影響与えててもおかしくないしな あとプラトンからして転生の問題語ってるくらいだし、
キリスト教以前からもっと広いレベルで交流はあるよ 大乗仏教の方がキリスト教の影響を受けたんだよ。
法華経や浄土教や弥勒思想など。 創世記を含むモーセ五書が現在の形に編集された時期は、紀元前550年前後のバビロニア捕囚期とされる[7]。
釈迦の主な推定生没年は、
紀元前1029年 - 紀元前949年 : 「正法眼蔵」による説
紀元前624年 - 紀元前544年 : 南伝仏教による説
紀元前565年 - 紀元前486年 : 北伝仏教の『衆聖点記』による説 ※数え年で80歳、満年齢で79年間となる
紀元前466年 - 紀元前386年 : 宇井説
紀元前463年 - 紀元前383年 : 中村説 座禅組んで脳内麻薬出して同じ景色見てたんだろ
LSDも同じ景色見れるらしいぞ たしかにエルサレムからインドって海路でも陸路でもなんとかなりそうではあるね
商人経由で色々な文化が交換された可能性は高い 反出生主義とヴィーガンは必ず世界を統べるよ
これに勝てる思想は存在しない イエス←権威化した宗教家を否定して自分こそが神の使いだとした
仏陀←権威化した宗教家を否定して自分の解釈こそが正しいとした
似た者同士だな しかし、考えてみて欲しい。キリスト教が日本に伝わってからどれほど経っているか
聖書だって何種類もの日本語訳が出て、書店で簡単に入手できる。教会はわりとあちこちにある
で、日本人の考えにどれだけキリスト教の影響があるのだろうか? イエスに仏教の影響があったとして、その程度ではなかろうか >>167
キリスト教の中に仏教と同質の教えがあったからこそだよ
イエスが仏教に触れたであろう何よりの証拠 西洋と東洋ってイメージと違って案外距離近いからな
仏教とキリスト教の発祥の距離とか2000kmくらいのもん まあ、ソクラテスの影響はありそうだけどねえ。
仏教に関してはむしろ逆があるかもね
キリスト教の200年後くらいに大乗仏教はじまって
お釈迦様が救世主化したからね >>19
ブッダは女も出家させてるし
性犯罪や性行為に関して男に禁止事項多かったし
女が生まれて凹んでる王様を諌めたりしているのでインセルではない >>149
ユダヤ教は多神教の中の一神と民族が契約って概念だから元は多神教
だから他の神は悪魔に堕とす作業が必要
バール→ベルゼビュート、イシュタル→アスタロト
ユダヤの唯一神はシュメール神話のイール神って言われてる >>30
ヨセフの血統はヘブライの王ダビデの末裔とか割と設定が盛られてるんんじゃないか >>176
漢王朝とローマ帝国はお互い東西の両端に同規模の巨大帝国があるらしいと認識しあってるしな
キリスト教自体も唐の時代に東アジアにきてるし
仏陀から数百年も経ってればインドから西アジアや中東とか南ヨーロッパあたりまでならお互い影響し合っててもあんまり不思議はないよな キリスト教も仏教(バラモン教から派生した方)も、アーリア人から生まれたものだしね 仏教のが思想体系として優位な気がするけどね
ただ16世紀日本に宣教に来た理論武装したイエズス会士に当時の日本仏教会は
まったく歯が立たなかったって話を聞いたことがあるが
( ̄∀ ̄) 2000年頃にアポカリプス系外人に流行った説やんなキリストの失われた10代はインドにいたとか言う 人間の大脳辺縁系機能の機能不全を補う思考体系だから似か寄るのは仕方ない。 東方の3博士で匂わせてるからな
ベツレヘムの星に導かれて
イエスの教えは東方から来たんだよ どっちも元はメソポタミア文明のアーリア人が起点なので 仏教思想が伝わってたんだろ単に
パキスタンアフガニスタン当たりの、ギリシャ系の王様も仏教にハマってたそうじゃん 聖徳太子のエピソードってシルクロード経由で流れてきたキリストのエピソードだよね
あと神社の狛犬
アジアには生息しないライオンモチーフの像が日本で神社の守り神やってるとはロマンチック >>194
むしろアーリア人とは真逆だな
イエスはセム系アラブ人だし
仏陀やネパール系モンゴロイド イエス・キリストはローマ帝国の住人であった 当然ギリシャ哲学やユダヤ教以外の宗教も知っていたはず
もちろん仏教はローマ帝国ではない
しかし交易で交流はふつうにあったはずだ キリスト教は今の信仰が死後の極楽往生につながるというのは
仏教の要素もありそうだけど
前世の因縁もあるのか イエス・キリストはガリラヤ出身であった ここはユダヤ教からしたら辺境の地であってはっきり言ってしまえば異邦人がたくさん住んでいた土地であった
ガリラヤから預言者なんて出ないとはっきり言われている 毒箭の喩えがあるように諸法無我が理解出来ない人には天国とか極楽がある様に説明したほうがより安楽に死を迎えられるんじゃね もし本当に神や真理といった物が存在するなら
それに触れた者が同じ結論に到達するのは当然だからな >>199
ユダヤ人はシュメール時にイラクあたりに居た遊牧民が起点
インドのバラモン教はアーリア人がインドに移動して起こしてる
キリスト教はユダヤ教のアンチテーゼで仏教はバラモン教のアンチテーゼ
バラモン教
後期ヴェーダ時代(紀元前1000年頃〜紀元前600年頃)、バラモン司祭者のもとでヴェーダの神々を崇拝する宗教をバラモン教と呼ぶ。アーリア人が
インダス川上流地方に侵入し、先住民を征服してこの地方に定住、発展する間に次第に形成された信仰。これにインドの民間信仰を融合したヒンド
ゥー教に発展する。 誇りに思えます
だろうな
ほとんど家にいただけで年間674万件 >>197
想定だけど微妙だよね
朝起きたら布団のうえに蛇とかさ初めて倒れちゃったから、あいつらの非道さは良く知っている。
もう炭水化物抜くダイエットてのは年寄りがみてたからか
若者は興味持てねーだろ マニ教の創始者マーニーさんが自分はブッダの後継者でもあると称していた
キリスト教徒も仏教徒も取り込もうとしたのである ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています