「お客様は神様です」👈これ言い出したの誰だよ死ねよ [394133584]
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最低限の接客すら出来ないゴミ発達ガイジとかいるからなぁ
マジで国が殺害しろ 本来は店側が言う言葉だろうな
お客さんは物を買ってくれて儲けさせてくれるからという意味で
でもなんとお客さん自らが言い出して威張りだしちゃった 徹子の部屋の昔の人特集で戦争辛かった旨言ってたな
ネトウヨはそれでも戦争したいらしいけど 自分は神様だと言い出す奴はキチガイ
これは経営者消費者に関係ない あれは神棚の前にたつときに身を正すくらいの意味らしい 言い出した方も言葉どおりに受け取るやつがいるとは思わなかっただろうな
呼び込みが社長って声かけるくらいなもんだろうに 客から金を受け取っているのであれば
労働者は雇用主の奴隷であると同時に
客の奴隷でもある
ただし提供するサービスは金と対価でなければならない
無報酬や、割に合わないサービスを要求する者は
客であるとみなす必要がない おそらく今までで最も有名な「誤って伝わってる名言」だよな
「神様が客として見ている」と思って手を抜くな、全力を尽くせ、って意味なんだよ 三波春夫オフィシャルサイト
三波春夫著『歌藝の天地』より
「お客様は神様です」の発端
https://www.minamiharuo.jp/profile/index2.html
> お客様は神様です」という言葉が流行ったのには、びっくりした。よく、この言葉の真意はどこにあるのかと聞かれるが、私も、その答えに困ることがある。テレビなどで、短い時間で喋るには、うまく説明が付かない。
>
> 皆さんのほうでは、面白がって、「お客様は仏様」だの「うちのカミサンは神様です」とか、「選挙民は神様じゃ」などといった言葉になって広まっていった。いやはやどうにも賑やかなこと。
> そのあげくに、「こんなふうに言われるのは、どう思います?」とくる。
> しかし、振り返って思うのは、人間尊重の心が薄れたこと、そうした背景があったからこそ、この言葉が流行ったのではないだろうか?
>
> 私が舞台に立つとき、敬虔な心で神に手を合わせたときと同様に、心を昇華しなければ真実の藝は出来ない―――と私は思っている。つまり、私がただ単に歌を唄うだけの歌手だったらならば、きっとこんな言葉は生まれなかったと思うのです。浪花節という語り物の世界を経てきたからではないだろうか。
>
> つまり、浪花節の台詞の部分は「瞬時のうちに一人で何人もの登場人物を的確に表現」しなくてはならない。そうしなければ、決してドラマは語れないのである。
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> われわれはいかに大衆の心を掴む努力をしなければいけないか、そしてお客様をいかに喜ばせなければいけないかを考えていなくてはなりません。お金を払い、楽しみを求めて、ご入場なさるお客様に、その代償を持ち帰っていただかなければならない。
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> お客様は、その意味で、絶対者の集まりなのです。天と地との間に、絶対者と呼べるもの、それは「神」であると私は教えられている。
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> あれはたしか、昭和三十六年の春ころ、ある地方都市の学校の体育館だった。
> 司会の宮尾たかし君と対談の際にこんなやりとりがあった。
>
> 「どうですか、三波座長。お客様のこの熱気、嬉しいですね」
> 「まったくです。僕はさっきから悔やんでいます」
> 「!?」
> 「こんないいところへ、何故もっと早く来なかったんたろう、と」
>
> ここで、お客様はどっと笑ってくれる。ここまでは、昨日通りの対談内容。
> すると、宮尾君はたたみかけて、
>
> 「三波さんは、お客様をどう思いますか?」
> 「うーむ、お客様は神様だと思いますね」
>
> ウワーッと客席が歓声の津波!私ははっとしたが、宮尾君もびっくり。客席と私の顔を見比べて、
>
> 「カミサマですか」
> 「そうです」
> 「なるほど、そう言われれば、お米を作る神様もいらっしゃる。ナスやキュウリを作る神様も、織物を作る織姫様も、あそこには子供を抱いてる慈母観音様、なかにゃうるさい山の神・・・・・・」
>
> 客席はいっそうの笑いの渦。その翌日から、毎日このパターンが続いて、どこもかしこも受けまくった。宮尾君は、お父さんが落語家であり、本人も研究熱心だから、司会者としても一流。漫談もうまい。
> こうして、このやりとりを続けて全国を廻るうちに、レッツゴー三匹が舞台を見て、おおいに流行らせたのである。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています