「浄土宗の中に聖道門と浄土門がある」 [377482965]
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ただでさえ馬鹿にされる日本仏教の
その中でも更に念仏で馬鹿にされがちな浄土教だが
(日蓮は馬鹿にされでなく嫌われ者な)
法然はなんつうか固く守るところと融通無碍なところのバランスが素晴らしい
これが親鸞になると理が勝ち始めてしまう >>5
そもそも中国浄土教すらろくに踏襲してないからな
日本の浄土教は間違いだらけだよ 法然の浄土観、阿弥陀観って
イエスの「神の国はどこにあるとかは言えない。それはあなたがたの中にある。」に通ずるように思う
これが親鸞や法華の日蓮だと
あんだけ空、空うるさい仏教なのに外部への実体化に進んでる気が >>6
そういうレスなら嫌儲だけでももう十分間に合ってる
もちろんその手の本も読んでる >>10
宗教スレで業界雑誌画像貼ってくれるこのレスすき
これからも頼む 法然と頼朝と鴨長明が12世紀の中ごろの生まれ
やや遅れて親鸞や後鳥羽帝
同じ時代を生きてる
本来の浄土教は~とかより
こういう「歴史の一回性」の中で法然や鴨長明が何を考え表し行ったかがおもしろい 法然→まぁ、教義は教義として、世俗道徳や世俗権力との折り合いもうまくつけてね
親鸞→教義に合わない世間は修正してやる 余談だけど
こういう「歴史の一回性」を見つめたのが「史記」の司馬遷で
その司馬遷をデビュー作に選び「司馬遷は生き恥さらした男である。」と書き始めたのが
浄土宗の寺に生まれ僧籍も持った武田泰淳
浦和高から東京帝大に入り中国文学専攻
左翼活動に熱心だったが逮捕から挫折、中退
増上寺で得度ののち徴兵で中国大陸へ
女を買い、兵を殺す
中退後、出征中も魯迅翻訳で知られる竹内好などと「中国文学研究会」活動を続け
そして除隊後まだ戦争真っ只中に書いたのがこのデビュー作
「歴史の一回性」も「生き恥」も自ら体現するなかで
「救い」のことは考えただろうか
いずれにしろ「司馬遷」薦めとく、読んで間違いなし あと鴨長明つながりで「方丈記」はもちろんだが
堀田善衞(ほった・よしえ、男性)の「方丈記私記」もモメンなら絶対のお薦め
東京大空襲後に視察したヒロヒトに土下座して詫びるジャップ臣民を見て感じた強烈な憤りなど書いてる
堀田敗戦を上海で迎えてるが
その直前に共に南京を訪ねるなど泰淳と仕事もしていて戦後も対談など
ふたりの間には女絡みの話もある >>1
曲学阿世の徒とはこういうやつを言うwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww >>14で「兵を殺す」と書いたが日和って改めなければよかった
最初「人を殺す」と書いて改めたが泰淳は大陸で市井の人も殺めたはず 釈迦も自分の疑問のために求道を始めて
当時の宗教者、二仙人に師事してその教えのものを身に付けてさらには苦行もしたけどそれでは疑問が晴れなかったとして
今までの修行で得たものを全て捨ててそのまま死ぬつもりで坐ってそれで成道した
「教え」と「修行」による「成果」ってものじゃないってところがポイントなんだろね 自力の聖道門って言われるのは、釈迦の「教え」をそのまま受けて自分を良く変えてくことで成道しようってもの
でもこれは釈迦が二仙人と苦行の段階で捨てたやり方に陥る恐れが強い見方になってしまう
自力批判の浄土教、また大乗仏教自体がそもそも、それ(至るべき対象としての成道って見方)への対治っていう側面があるんだろね ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています