江戸時代の公家ってなにしてたの(´・ω・`) [134367759]
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搾取した富で豪遊
いい加減気づけよ
今も変わってない 蹴鞠上手いやつは蹴鞠流行らせに各大名家を巡って指導料金で稼いでた
古今和歌に通じてる公家は大名家の姫様辺りに手ほどきのしに出張してた
立場的にそれすら出来ないのが皇族で稼げてる公家や有力大名の援助でギリ生活してた
ガチ能無しの貴族はほんとに可哀想な生活してた あ、江戸時代だったか
戦国時代と勘違いしてたすまん 公家にはそれぞれ何世紀もの間受け継がれた家業があるわけ
歌が上手とか書が上手とか
そういうのをやってお金をもらっていた
幕府からは禄をもらっていて、一番トップの五摂家でも2000石弱
ほか下級な奴等は50石とか
みんな今の京都御苑あたりに寄り添って、天皇の御所を囲むようにして生活してた 朝廷は領地もっていたし、領地管理もあったんじゃないの。後は歌とか笛とかの家業をほそぼそとつないだり、
各種儀式の執り行いだろう 殿上人なれば祭礼や行事や記録がかなり多いのでやる事は結構あるが
下っぱは貧乏旗本と同じような暮らし 公家が儀式的に御所に参内する様子は、京都の観光名物になっていて、周りに店とかが軒を連ね商売してた
ディズニーの着ぐるみパレードと同じ 天皇家はめちゃくちゃお金かかるのよ
多少の荘園じゃちと厳しい 朝廷自体が幕府からの歳費なかったら 少々大名クラスだし、
公家もあんまり生活豊かじゃない。
礼儀作法格式とか武家からの取次とかで副業 朝廷って実際3万石くらいの石高だけど、官職の斡旋関連で各種賄賂もらえるし、禁裏の修繕は幕府に抱えてもらっていて
さらに有事の備えしなくていいから生活水準的には10万石くらいの余裕あったんじゃないのという気はする。 天皇家の石高は1万石だったが幕中には3万石
他の公家軍団が合わせて1万くらいで朝廷全体で4万石というのはそのへんの雑魚大名くらい
しかも幕府が収入の管理してた
幕末頃には攘夷派懐柔の意味合いからのテロ対策で合わせて10万くらいに増えた
それでも大奥より予算的に安い >>25
金掛かる行事だらけだったからなぁ
京都の伝統職は軒並み朝廷にぶら下がって飯食ってたし ほんで足利があの様だからあのような結果になった訳で 有職故実とか官給とか...
家業があれば寄進もあるんじゃない?
でも公家諸法度で厳格化してからも高家に代表される武家が公家の生業を侵しつづけたし
公家らしい公家ってのは朝廷被官くらいじゃないかな
朝廷は江戸期に2万石弱の財政とは聞くけど
実際的は武家官位の発給でかなり付け届けがあったというし
実質で年間10万石の歳入があったとも聞く >>28
いっても、金のかかる大嘗祭とかは幕府持ち出し禁裏の造影も幕府持ち出しで、他の大名より財政は健全な気もするんだよね。
他の大名って臨時の土木工事とかもちろん自分もちだし。 幕末の長州藩の放火と遷都でほとんどの公家屋敷は消滅したが、唯一江戸時代の公家屋敷の様式を残すのは同志社大学横の冷泉家の住宅
藤原定家の家系で、今も和歌の奥義を継承している
貧乏でもなんとか定家直筆の古今和歌集の原本を多く散逸させず保存していた
和歌のイベントや儀式を今も司ってる ほながち底辺の公家はどうするかってえと娘がいない所は断絶の可能性大
娘がおれば有力公家の養女にして箔が欲しい大名家やその家臣の嫁に出す
ほんで嫁ぎ先から援助を貰い養女にしてくれた公家には援助の何割かを謝礼で払い続ける 海外モデルの律令は日本の実情と合わないから結局ずれて崩れて本来の姿が現れてくるんだよな。
この辺も中韓との違いだよな。
非中央集権で地方分権型。
中国や半島にはあそこまで独裁政治が成り立ってて日本はそうじゃないのも政治文化の違いだろうな。
分権的な封建制でむしろ遠くのヨーロッパに似てる。
アジアでは珍しく戦士階級の社会的地位が高かったのも 幕末の公家の今の御苑あたりの屋敷の配置図と石高
https://i.imgur.com/jr3RSj8.jpg
これを全て足して、天皇宮家の3万石のを足したら朝廷の戦闘力がわかるぞ 家業を武士なんかに教えて稼いでたんじゃなかったっけ >>27
だかは任天堂の本社は京都だったのか!
な訳ねえかw >>41
歌道とか笛とか琵琶など公家には代々伝わる家業があるからその分野では武士よりも長けてる うーん、たぶん言うほどハッキリ公家と武士が分かれていたわけじゃない
天皇の周りには上級公家がいただろうけど、ほとんどの公家は武家と結婚して普通に武士の仕事してたと思う まあ五摂家とか最上級の公家ともなれば娘を大大名とかそれこそ将軍の正室とかもあるしそっちからの援助もあるし
漁官の公家だの出入りで信用が欲しい商人とか賄賂もあるからな 形式的に官位を与えるのは朝廷
征夷大将軍も朝廷から任命されるお仕事 >>41
旗本とか字も書けないの結構居たらしいぞ
鬼平の後任の火盗改方やってた森山孝盛とか
小普請組の同僚の代書して感謝されてたらしい
その森山も和歌は権大納言冷泉為村に倣ってたそうな >>49
形式上はそうだけど
幕府は征夷大将軍以下の官位は勝手にだれかに与えてもいいわけでしょ
豊臣政権時代のような濡れ手に粟の官位ビジネスは出来んかったんじゃない? 武家官位は幕府が取りまとめて推挙して朝廷が除目
よっぽど極端な場合じゃなければ幕府のが力が強いから普通はそのまま通るけど朝廷がごねることも可能ではある
分不相応な望みは幕府ではじかれるし >>53
その通り。
だから形式的に江戸まで帝の勅を携えた使者を呼んでやらんとあかんかった 武家官位ってのは家格によって決められてるので余程のことがない限り上げ下げできないよ
メンツの問題は江戸時代には最も重要だったから >>32
大名は貨幣経済の発達とともに年貢米が価値を失ってきてるのに支出だけは同じだから生活がどんどん困窮したとこが多かったとよく聞くね
貿易とか年貢以外の収入源あれば話は別だけど 家格とかは喜連川藩なんかおもろいよね
家康が将軍家より格上と認めちゃったから後の扱いを見てると笑える
5000石しかないのに >>57
あとね、米の生産を無理やり伸ばしすぎて、米価格が下がる傾向にあったこともあるかもね
教科書では東北の飢饉やら、大坂の悪徳商人の買い占めばかり取り上げるけども
江戸時代の人が一日に一升の白米食ってたとかいうほどには
江戸の人たちはそういう意味で、町人でも恵まれた暮らしをしてると感じてたのかもしれない 経済が発達してインフレが起きまくってるのに支給は
江戸時代初期と大差ないから中下層は苦しくなる。
生活保護と同じで公務員は不況の時とかは強いが経済成長してる時バブルの時は給料安くてかわいそうとなることまである 秀吉が陰陽師大弾圧をした後に家康の天下になって逆に陰陽師重用されて復活してるんだよね >>63
インフレが起きてるなら米も高値で貨幣に交換出来るはずなので、そこまで苦しくならない
問題は、江戸時代通して、最初の百年でほぼ当時の技術で開墾出来るところは開墾して、生産高が頭打ちになってからも
無理やり生産高を引き上げようとして(無理やって農民一揆を誘発したりするほどに)
米ばかりアホみたいに作り過ぎたことで、米価格が下がり俸禄米制の武士が苦しくなったのだと思う
俸禄米制の武士は苦しくなったけど、町人は浴びるほど白い飯が食えた(米余りで米が安くなってるのだから)
しかし、幕末に日本を訪れた外国人が見た日本社会の描写に、武士階級はみな大きくて180pくらいは優にあり
町人は160pほどで体はガッシリしてるものの小さかったとある
それほど武士階級も困っていたようにも思えないのよな
時代劇で描写されるほど酷ければ、由井正雪の乱のときのような社会不安に繋がる兆候があったはずだけど
困ってるというわりに、それほど生活は貧しくなかったのでは? >>66
武士階級が180cmみんな超えてるみたいなのはありえないけどね
あと日本全体でみたら米をたらふく食ってて連中はごく一部、てか江戸や一部の都市だけ
依然として全国では雑穀や芋だけ食ってるようなやつが大半
戦時の物資不足に関係なく、戦後しばらくまで、白米なんか貴重品すぎて食えないような地域が日本中にあったわけで
幕末の全国3000万石なんてのも、なんとなく5割程度が米から得られていて、残りは他の産物
つまり米は人口の半分程度を養うくらいしか作られてなかった >>67
毎日道場に通う武士階級はみんなデカかったと外国人が手記に残してるようだよ
江戸時代は脚気が流行するほど白飯ばかり食ってたというし、一人一升もの米を毎日食べてたのは
それだけ米の生産が過大で流通も上手く行ってたから、といえる
当時の庶民は貧しかったのかというと、あの時代にお伊勢参りで何日も何週間も掛けて歩いて旅してるあたり
治安も良くて、それなりに庶民層も豊かであったことの証しではなかろうか
おかげ参りというお伊勢参りのブームが何回かあって、年間800万人もの参拝客が伊勢を訪問し
当時厳しかったことで有名な浜名湖のほとりの関所がパンクして事実上フリーパスで通すしかなかったという記録がある
あんな時代に、庶民がこれほど旅行しまくってた国が他にあろうか
昔から日本人は結構豊かだったんだよ
各地に今も残る名産品などもそういうことでしょ 徳川:新しい元号考えろコラァおじゃる丸!
公家:はいでおじゃる… >>52
幕府が倒れた後に旗本が士官学校の試験を受けに来たわけだけど簡単な漢字も読めないのいっぱいいたらしい
それを見たおエライさんがお前らが薩摩の田舎侍に勝てなかったの当然だと言ったとか >>70
そんな話は聞いたこともないな
作り話の類だろう
江戸時代の日記とかならいくらでも残ってるが、上流階級の武家のみならず
庶民に至るまで、当時は紙が貴重だったのだろう、すごく細かい字で漢文体で文章を綴ってる
もちろんひらがな主体の文章も普通だったようで
たとえば奥の細道の芭蕉さんは漢文体の難しい文章を書いてる一方で、お供の人がつけていた日記は今の日本語とさほど大差ないひらがな混じりの平易な文章
町人でさえ寺子屋通いが一般的で、識字率の高さは当時の世界で群を抜いていた
なんか江戸時代を変に腐したいひとは、事実と異なる内容を無理やりでっち上げるもんだから
話の前後や時代との整合性が取れないような話になっているように感じる
なんか変な地域にお住まいだったとか、隠れキリシタンみたいな連中の一派だったとか
なにかあるん? 下っ端の御家人はともかく旗本は家督継ぐのに素読吟味必須だから四書五経くらいは読めるよ 秀吉とベッタリだったぶん家康にはイジメられてたらしいなあ
家族いない秀吉とちがって天皇に頼る必要ないしねえ >>74
どうみても、家康と組んで豊臣の追い落とし、豊臣の抹消に加担してたようにしか見えないが
百姓が日の本を好き放題にすることが我慢ならなかったのだろうな
多分、秀吉一派以外、全員で豊臣の抹消に動いてるよ >>71
江戸時代をやたら豊かな時代だと宣伝するブームにうんざり
飢饉が何回も何回も続出してすぐ何十万人も餓死する時代
近代以前の都市は衛生状態が極めて悪く常に疫病が蔓延
平均寿命は農村より短い
江戸は人口増加率が常にマイナス
農村からの流入で維持してた >>76
朝廷にとって公家と武家の官位のすみ分けしなかった秀吉より江戸幕府の方がマシだったらしいな
豊臣は公家として生き残るべきだったというが、天下人でない豊臣に公家としてどれだけの家格が与えられたのやら 近代以前の農業生産力は極めて低い
近代化した明治時代の半分以下
天候によって常に飢饉すれすれ
江戸時代半ばから人口が3000万人から全く増えなくなったのは食料生産限界のため
さらに近代以前の都市は人口の蟻地獄
極めて不潔、衛生環境劣悪な疫病の巣窟 >>79
>江戸は人口増加率が常にマイナス
>農村からの流入で維持してた
今と変わらんよな。高度経済成長期やTOKYO2020(笑)じゃない方の東京オリンピックの
ドキュメンタリー見ても東京の課題をずっとほったらかしにしてきているように見えるわ
縄文ホルホル江戸ホルホル明治維新からの工業化ホルホルと異質なものを同士を無理やりつなぎ合わせてるよう 江戸東京の平均寿命が農村を上回ったのは大正時代半ば以降
明治時代ですら都市は衛生環境が劣悪で疫病が蔓延
近代以前の医療はほぼ無力だから
農村より寿命が短かった 戦国時代まではまだ荘園領主としての実権が残ってたしバリバリ政治を動かしてたんだけどね
特に三好政権時代の畿内では身分の垣根が低くなって庶民と交わって新文化を生み出していた >>68
白人の身長が160cm台の時代に日本人180cmは凄すぎやろ 江戸時代の端緒だけど、猪熊事件とかいうエロエロスキャンダル起こした公家とかいた
そのせいで禁中並公家諸法度なんて余計なお世話なもんを幕府に制定されてしまった |;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;ノ|
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ト、;;;;;;;;;;;;;;;` ` '' ー -- ‐ '' ";;;;;;;;;,:ィ;:;!
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l;:;:;:;:;:;:;ミ ` ` '' ー -‐ '" ,リ;:;:;:l
l;:;:;:;:;:;:;:ゝ く三) (三シ `ヾ;:t、 恐れ多くも帝より三位の位を賜わり
fミ{;:;:;:;:f'´ , ---_,, _,ィ 、_,,ィ,.--、 };f }
l トl;:;:;:;:l 、,ィ或tュ、゙:ミ {,'ィt或アチ l:l,/ 中納言まで勤めた麿の言うことを聞かなくば
゙i,tヾ:;:;:! `ヽ 二ノ ト ` ‐''"´ l:l:f
ヽ`ー};:l ,r'、 ヽ リ_) どのようなことになるのか分かっておるのか!
`"^l:l ,/゙ー、 ,r'ヽ l
゙i ,ノ `'" 丶. ,' 麿は画像一枚が欲しいのではない!zipじゃ!
゙l、 ′ ,, ィrェェzュ、,_ 〉 } /
',ヽ ヘヾ'zェェェッ',シ' //ヽ zipを出さねば朝敵じゃ!
} 丶、 ` ー--‐ '"'´,/ノ:.:.:ヽ
/l 丶、 ,.イ:.:.:.:.:.:.:.:丶、、謀反人!逆賊!と呼ばれても申し開きできまいが!
,r'"^l ! ` ー‐;オ´:.:.:.:.:.:.:.:.:.,ノ ,}、
,. -ァ=く(:.:.:.l l //:.:.:.:.:.:., - '" ,/ ヽ、
, - '"´ / ,/`>'t、_」___,ィ'゙,ィ,.: -‐ '" ,. -‐ '" \ 天皇すら3万石しかないので公家なんかは数千石で財政は超厳しい
マナー講師や着付けやら歌の指導で小銭稼いでた >>68
中列の真ん中に座ってるオランダ人宣教師フルベッキの身長が183cm
https://i.imgur.com/I3tsd1v.jpg
その周りの大量の武士が180cmあるように見えるか?
同じ中列の他の武器の誰一人フルベッキに遠く及んでくれない 役所仕事は幕府の武士がやってるよなあ
確かに何やってんだろ
儀式だけならヒマそう 宗教関係は公家が強かったが金中並びに公家諸法度で武家の管理下に置いてた
天明の大飢饉のあとから水戸学が大きくなって逆転が始まった 天皇に献上品があればおこぼれを取り合ったり
内職で百人一首を書いたり
柳生一族と戦ったりしてたらしい 鳥肉を食べる日があってその日は鳥がいっぱい届くから庶民にも炊き出しみたいなのがあったとかなんとな >>76
絶対に申の血は絶つ、そんな気迫さえ感じる
>>79
キミが東北出身者だからそう思うんだよ
そんな状況なら、人口百万人を超える世界最大クラスの都市として繁栄したりしてないだろ >>81
幕末の人口は最大で見積もって5400万人とも云われてる
初期の1800万人からすると約三倍になってる
明治に入って東京の街は急速に衰退した
混乱もあったからだろうけど >>84
平均寿命の統計なんてあったかな
病気関係は流石に当時と今を同等に並べて比較は出来ないが
東北などは昭和に入ってからも飢饉を起こしまくり
東京どころか名古屋や大阪圏にも人口流出しまくり
東北を日本の基準にしてものを語るのは違うと思うぞ >>86
三好や六角なんかが幅効かせてた背景に甲賀の存在が見え隠れしてるよな >>88
関ヶ原の1600年の時点で、オランダと日本の成人男子が160cmだったと覚えだけど習ったな
その後>>92くらいになってるわけだから、特に不思議でもない
>>92は武士というより百姓みたいな連中が刀差してるわけだから>>66にある多分イザベラ・バードの日記であろう内容と合致してる >>93
神職のようなもので、年中色んな行事やお祓いみたいな雑事もこなして案外忙しかったと想像 >>95
大人しかった公家が急に暴走を始めるんだよな 幕末の様子を教えて
それまで公家は幕府に庇護され生きながらえてたということだろうけど
薩長は尊王・大政奉還の流れで概念的には朝廷回帰とはいえ
公家達を経済的に支えることまではできていなかったように想像する
公家にとって倒幕は地位と収入を絶たれる恐れがあったのでは?
なのにその後 岩倉を担ぐところまでどう持って行ったのかな >>103
ホント無知って怖いな
この有名な写真に写ってる人たちが誰なのか?そんなことすら知らないレベルのやつがこんなところで私見を語ってるのが滑稽すぎる
その中で確実に判明してる個人名を知ってたら、その人たちが農民崩れだなんて口が裂けても言えないはずだがw
ちなみに更に恥ずかしいことに!日本史史上江戸時代が一番低身長だということすら知らない
https://i.imgur.com/qJu9YFM.jpg
なにか言ってりゃ反論した気になってるようだけど、知識もなければ調べる努力もしない
もう恥をかくだけだから黙ってたら? 戦国時代に吹き荒れた一向一揆、を支えた今風にいうと資金源?
兵糧や武具の類を供給してたのはどこの誰?と考えるとだな
西国の毛利が畿内中央の政局の混乱を目論んで行っていたのだということが見えてくる
絶頂期の織田家を苦しめるほどの勢力を西国から遠く離れた近畿東海一円に維持させるだけでどれだけ凄まじい工作資源が投入されていたことか
と考えると幕末の公家衆への工作などは屁でもないのかもしれぬな >>107
もちろん知ってるが、江戸の中央官庁に出入りしてたような上級武士でなないだろう
田舎の不平分子を焚き付けて反乱を起こさせて内乱に持っていく典型的なイギリスの手口を知らないのかな
つまり、そこに写っているのはそのような連中であって、江戸にいた武士とはまた違う
戦国期の藤堂高虎や前田慶次が190cm近い
藤堂などは身体がでかかったから大名になれたようなもの
周りが小さいのと武士が立派な体格をしてたことは相関しない
日本にやってくる欧米人はそれなりの階級の人でもあるわけだしな >>109
ゴールポストを動かしはじめたの?
イギリスがどうとか意味不明なこと言ってるけど、武士階級は「みな」180cm以上とか言う話は、いつから江戸城に入るの高級官僚に限定されるようになったの?
https://i.imgur.com/ZIhW27A.jpg
そのうち佐久間象山や、山岡鉄舟に限定しだしそう
ちなみに巨躯でしられた西郷隆盛は、江戸官僚ではないけど180cmと推計されてる
武士の平均が180cmなら、なぜことさら西郷隆盛は巨躯と言われるのかも謎になるな 変に書き込み多いと思ったら自称歴史通のキチガイがID変えて連投しているだけか、さすが嫌儲 >>109
ダメ出しも面倒だけど、江戸城に出入りどころか住んでいた、武家の棟梁の歴代身長
https://i.imgur.com/pSMo5RD.jpg
高身長の根拠が江戸城に出入りすることとかさ、言ってることが支離滅裂なんだよお前は
出入りてる武士が、全員江戸出身とか思ってそうなのも拍車をかけて馬鹿らしい >>110
おそらくイザベラ・バードクラスが江戸市中で見かける侍は、高級官僚ではないんじゃない?
江戸の街で悠長に暮らしてる侍と、田舎で不平不満溜め込んてる半農半士のような連中とをごっちゃにしていらっしゃるようにお見受けする >>112
江戸城に出入りしてるような高級侍とイザベラ・バードのような外国人がそうそう接触があったとは思えないがね
キミは出自がよほど卑しいのかして、武士に対して敵意を抱き過ぎだよ
もう少し冷静になりなさい >>113
>>114
では?では?と所感を語らず、なにかお前の説を補強する論拠やデータ、ソースを提示してみては?
お前はたしかに言ったんだよ
どの武士も180以上あると
すると今度は何?外国人は身長の高い武士を見ていない???
何が言いたいのこの人は?
自己矛盾と破綻をしてることに気が付かないのか?
このまま数日間粘着しそうだけど付き合ってやるよ 先週の歴史探偵では庶民の見せ物になってたと言ってた
御所に向かう貴族を出店が出て庶民が観光してたんだってさ 三国志の張飛が八百八屍将軍などと渾名が付いたのも
張飛が藤堂高虎くらいデカくて、周りがチビばかりだからという理由もあったかと
今も東京丸の内を行き交う人は明らかに普通の日本人より10cmばかり大きい人が多い
東京も下町を歩くとそんな人ばかりじゃない
それと同じことを当時の江戸の街を歩いた異国の人は見ていたのではないかな >>115
君が貼り付けた写真は田舎の下級武士
坂本龍馬でもやっていた上士下士の下士の人たちに当たるのではないかと
イザベラ・バードさんが江戸で見るような武士は旗本や大名御付き江戸駐在の暇を持て余した武士でしょう
旗本も長男はお城勤め、それ以外は暇してたはず
江戸の街をフラフラしてる武士層は武士の中でも上級に当たるかと >>106
公家も一枚岩ではなくて、公家vs公家で争ってたから明治維新起こす側について逆転狙う公家が多かった
公家は江戸時代には諸法度で権力も厳しく制限されてたけど
明治維新後は華族として貴族院の身分が保証されてて、他にも様々な高い地位につくことができて政治に関わることもできるようになった
宮中での身分もある程度温存され、世襲の地位を得て、財産も世襲可能で、財産が少ないならば国から補助までされた
更にかつて領地があって収入があったならば、それに応じた金が政府から支給されて収入も維持された
生活に関しては江戸時代より楽になったケースが多かった
逆に農民たちは倒幕で税金安くなるよーって言われて維新に命懸けで協力したのに逆に増税で締め付けられて悲惨なことになったけどね🤣 各大名も江戸参勤に同行させる武士はそれなりの見かけをした者を選別して連れて来てただろうしね
あと、お城の役職に就いていない旗本の次男以下の侍
イザベラ・バードの見聞録に出てくる江戸の武士ってそういう階層でしょう
田舎で不平不満溜め込んでるような階層を焚き付けて反乱を起こさせ政府転覆や内乱を起こしてそこに突け込むのがイギリスの手口と考えると、キミの写真とイザベラ・バードが見た江戸の侍は同じ武士と言ってもかなり異なるのではないかと >>119
でも、五摂家でさえ現代まで残ってる家って少ないよな
近衛さんとこは細川さんの御兄弟が継いでるし、鷹司さんは三河の松平家が継いでなんとか名前は残してるけども
室町時代から足利義昭まで、都を追われた上級が逃げ込む先が毛利だった
そういう縁で京都の政界にもツテがあったんだろう 江戸時代のお公家さんなんてみんなド貧乏だよな
漆塗りの立派なお椀で糸の引いたご飯食べてたらしい >>122
その割には立派な御屋敷跡とか、今でも少し残ってるし
幕末にはかなり広大な御屋敷を御所周辺に構えてたようだけどね
どうにもそのあたりの話は尾ひれはひれが付いていけませんな >>118
https://i.imgur.com/ZIhW27A.jpg
武士はみんな180cm以上なんだろ?
1.まずこれを撤回してみては?私はバカで間違ってましたと。江戸城に登城の武士限定だと。
2.で次に江戸城に登城いる武士の平均身長に関する研究などのソースを提示して、自分の説を補完してくれ。口からでまかせしか言ってないからな。
3.そしてなんでイザベラ・バードが江戸で見た武士は下級の暇を持てあました武士なのに、画像で言ってる外国人はどの武士も180cmはあると断定したのか?そこからなんで途中でデカい武士は姿の見えない御城勤めめだと変節したのか?その理由も知りたいな。
破綻してるから自信がなくなったのか?
あとついでに、なんで急にイザベラ・バードの話を出してきたのか?
俺は一言もイザベラ・バードについて言及してないが、その意図は?
まともな精神をしてたら、幕末の武士が180cmあるなんて主張はできない
嘘も100回つけば真実になる戦法なんだろうが、お前がちゃんとした根拠を出すまで聞き続けるからな 今川義元が麻呂はナントカでおじゃる、と本当に言っていたかどうかはおいておいて
やっぱり京都の公家は憧れられてたんじゃなかろうかね
公家が自由に旅したりした話とかは確かに聞いたことはないが、お公家さんも旅行とかしてたのかな >>120
その写真とイギリスに何の関係があるの?
本当ににその写真が何なのかお前は知ってるの?
ついでにどの武士も180cmあるはずなんだけどね、その写真の中の武士は武士ではないの? >>125
院政全盛期の上皇は熊野詣でに何十回行ってる >>124
多分ね、君の言ってる武士は、江戸で外国人の目に止まったような武士とは違う
江戸の街で外国人が見かけるような武士は“みな”大きかったと、外国人の印象に残ったということだね
>>120のような理由でね
>各大名も江戸参勤に同行させる武士はそれなりの見かけをした者を選別して連れて来てただろうしね
あと、お城の役職に就いていない旗本の次男以下の侍
田舎で不平不満溜め込んでいた武士はそうじゃなかったみんな小さかったんだとと強弁されても、それは外国人が江戸で見かけたような連中とは違うからであって
反論出来ないから、日本の武士全員じゃないじゃないかとか、それじゃ小学生の問答だよキミw
読解力の問題だね >>128
全武士180cmなんだろ?外国人は見てないのに、見たと書いた理由は? 摂関家レベルはともかく岩倉具視の先祖のような下っ端なんてマジ貧乏
武士と同様に内職でなんとか生き延びてたんだろうなあ >>126
もう少し歴史を勉強してね
>>127
いや、江戸時代のお公家さん達も旅行してたのかなと
やっぱり牛車なのかな、とか >>131
その写真が何なのか、その写真を撮ることを主催した人物は誰なのか?
答えてくれません? >>128
この人たちは
https://i.imgur.com/EbLJC02.jpg
江戸を徘徊してた暇な末端食いっぱぐれ武士なんでしたっけ? >>129
なんかもう反論に窮してイチャモンレベルの粘着になってきたなw
そりゃあ、田舎の藩の武士やお城の中の武士全員を外国人が見たわけではないでしょう
あくまでも、江戸の町で外国人が見た人々の印象はそうだったんじゃないかというお話ですから
で、当時江戸の街で外国人が見かけた武士たちってどんな連中かといえば
江戸参勤や江戸詰めの大名付の普段は暇を持て余してたような武士と
旗本の役職についてない次男坊三男坊たち
暇を持て余してた武士の話は釣り関係の歴史を紐解くと面白い
大名が江戸に連れて来る武士はそれなりに容姿をしてる者を選んでると思われるので
外国人から見た印象はそうなったのだろうねと >>119
なるほど公家も一枚岩ではなかったんですね
薩長は公家達の中で岩倉に目を付けて担ぎ上げたり
その他の公家達にも新政権の配下でてなづけたり逆に外様にしたり峻別も考えながら維新を行ったのかなとか想像しました 貴族はいい着物着て豪華な暮らしをしてた
一般大衆はボロボロの服にボロボロの家に住んでた >>134
江戸で見た武士は180cmあったという話はどうなったの?
外国人は彼らを見たの?見なかったの?
ここには武士はみんな180cmはあると書いてるけど?
https://i.imgur.com/ZIhW27A.jpg
あと世継ぎの長男ほど身長が高くなる研究とかあるの?世継ぎにだけいいもの食わせて20cmも兄弟間で身長差が江戸時代では生まれるの?
江戸城に登城する名門家庭なのに、長男以外には粟や稗でも食わせてたの?
徳川将軍は世継ぎは150cm台が多いけど、世継ぎになれない人たちは130cmくらい? >>130
そんなに汲々としてる暮らしを送ってる人は、あれほどの見識と文才は得られないだろ
>>136
田舎の農家とか、とんでもなくデカくて重厚な建物してたりするがな
やっぱり東北の人なの? そりゃ江戸時代の生活レベルなんて発展途上国より貧しくて不衛生で不健康だったろうけど
日本史上では現代の次に豊かで安定してた時代だろ
上流階級はいいもの食って楽しく暮らしてたんじゃね >>137
さぁ、外国人が江戸の街で見かけた武士たち
江戸詰めや参勤のお供でやってきた侍、旗本の次男坊や三男坊、
そんな連中が釣りに行ったり道場通いしてるのを見て、武士層は大きい印象を外国人が日記に書いた、ということだろ
全員がどうだとか、それは君が勝手にゴールポストを広げて広げて広げまくった話だから
武士や公家にやたらと敵意を持ってるよね
なんで? >>141
じゃあ武士の身長はみな180cmあるのはありえなく、極稀で一般的ではない特殊な事例というのを認めるんだな
それで良いよ
ここ>>66にあることは事実誤認ということを認めてくれてありがとう >>140
>そりゃ江戸時代の生活レベルなんて発展途上国より貧しくて不衛生で不健康だったろうけど
今、俺たちが日本文化と認識してるものの多くは江戸の町人文化発祥、由来のものが多い
そんなに貧しかったら、今でも日本の文化の中心は、或いは伝統文化の大半は、武家や公家のような上流階級のものしかなかっただろう
平安時代の和歌や貝合せのような
落語にしても歌舞伎にしても、寿司や天ぷら、うな重なんかも江戸の町人文化から生まれてきたものだよ
そして、今俺たちが使っている日本語でさえもそうだ
これは社会がそれだけ豊かで、治安も良く、安定してたという証なんだよ
関ヶ原から百年後、五代将軍綱吉公の時代
元禄時代に発する町人文化の勃興
武家の時代でありながら、文化の主役が武家公家のような上流から、町の町民たちへ移行していく時代
泰平の世がもたらした日本の素晴らしい財産はこのときに生まれたものが多いのな >>142
外国人が江戸の街で見かけたような武士は“みな”立派な体躯をしていた、と外国人の記録から推定されるというだけだね
キミが例に上げた田舎の不平不満を溜め込んだ武士が小さかったことは、この命題の反例にはならんと思う
喩えるならば、
WBCの野球日本代表は高身長が多く、サッカーの日本代表は最近マシになってるみたいだけど小さい人が多い
野球代表を見た外国人は日本のスポーツ選手は大きい印象を持った、というだけだね
同じスポーツ選手なのに、サッカーは小さいのばかりじゃないかと激昂されても、そりゃ別のスポーツじゃんっていう
例えば、俺とキミは同じ日本人かもしれないが、キミは教養もなくとてつもなく知能も低いだろ?
それと同じだよ >>144
ところでどうやって外国人は江戸城下の武士を記録したの?
なんで俺がそんなこと聞くかわかる?
答えれる知能はある? >>137
男の兄弟は、長男より次男や三男のほうが身体が大きくなる傾向はあるようだね
当時はインフルエンザのような風邪でも成人男子が亡くなったりする時代だから、長子だからそうでないからというのは無かったのじゃないかね
八代吉宗も井伊直弼も、七番目とか八番目の男の子のはずだよ >>145
江戸城下がどこかは知らんよ
外国人が歩いて見た日本の風景がそうだったんだろ
キミ春休みの中学生?
なかなか頑張るね
学校では武士や公家を敵視するような教育を今でもやってるのかな
1700年前後からは日本社会の主役は完全に武家公家から町人に移り始めてる
だからそんなに卑下しなくてもいいと思う >>144
つーかその記録、誰の何と言う記録?
イザベラ・バードは明治に来日してるけど、その時点で武士階級制度はかんげに廃止されてるけど、お前が言ってるイザベラ・バードが、見たらしい、武士ってなんのこと? >>148
じゃあイザベラ・バードじゃないんじゃないですかね
外国人の手記で有名なのがイザベラ・バードだったように思いましたが
明治になってもちょんまげして帯刀してた人はいたから、そのあたりの時代の前後まではわかりませんな
武士は明確に大きな身体をして町人は小さかったと >>151
生きてて恥ずかしくないの?
お前の脳内から生まれた架空の外国人記録かよ
こんなところにまで出羽守持ち込んでんじゃねーぞ?
てかよくここまで生き恥をさらせるな
このまま普通の精神してたら黙って去るんだけどな 俺に噛みついてるやつ、チビだったりする?
武家公家を異常なまでに敵視していたり、なんなんだろう
学校教育の偏向程度ではない、ヤバすぎる「恨」のような感情さえ抱いていそうな
東北が貧しかったのは今も昔も変わらない
昭和になっても飢饉の連続
お土地柄しょうがないとはいえ、武家や公家に敵意全開で挑まれてもね >>153
ただのホラ吹きをいじって遊んでるだけだぞ
歴史を改竄する修正主義者は潰さんといかんからな
てか、お前の中では高身長=尊崇なんだろ?俺が慎重の話すると何故かそれが武士を蔑んでる話になるからな
まさに身長コンプw キチガイ妄想小卒のID:pM+LsGkA0くんの楽しい戯言
1.江戸時代の武士はみんな180cmあったと外国人は記録してる→誰が記録したものかわからなかった脳内外国人
2.江戸城下の武士は180cmあった→外国人は江戸には入れない
3.イザベラ・バードが見た武士は小さい人たちだった→来日時武士はもういないのにそんな事も知らなかった
4.体躯の良い有力な長男や世継ぎだけ江戸城に登城してて、誰も姿を見てなかった→外国人が記録したらしい180cmの人は見たの見てないの?
5.武家の長男坊は他の兄弟より栄養が良く身長が20cmくらいは高い→www
6.武士を低身長と言うのは武士への恨みから→身長イコールその人の価値らしいチビらしい発想 >>152
其の辺のはっきりした詳細が知りたければ自分で調べてみてくれ
江戸時代に日本にやってきた外国人の記録ではそう記述されているものがあるはずだから
今でも東京丸の内を歩くと男は普通に180超の人が多い
それと同じことだよ
必死に否定しても仕方ない
イギリスなんかはもっと階級社会が色濃く残ってるから、上流階級と庶民では明確にガタイの大きさが違う
江戸の街もまた然り
キミがそこまで武家公家を悪し様に扱きおろしたい理由は何かな?
武家や公家のみならず、江戸時代は民百姓も割と豊かな生活を送っていたんじゃないかな
太平洋ベルトや瀬戸内なんかの今に残る農家の建物などは、それを裏付けているんじゃないかと思うがね
東北はダメだよ
でもそれは今も同じでしょう >>157
身長低いと武士は尊敬されないの?
誰がそんなこと言ってるの?
このスレに1人しかそんな奴いないみたいだけど? >>100
バカか?
江戸時代の飢饉はとうほぐだけでなく
西日本でも何度も何度も起きてる
小氷期だったからな
江戸時代後期の人口は3000万人
明治時代後期の人口は5000万人だ >>157
てかさ、お前ソース提示できないの?
主張する側が出すんだが証拠というものは?
存在しない証拠を自分で探せと俺に頼んでるの?
オメーが出すんだよ、言い出しっぺがな
イザベラ・バードが武器を見たとかキチガイみたいな嘘を垂れ流すレベルのカス野郎が人語を話すな >>151
イザベラ・バードが来た頃には帯刀禁止令が出て2年経ってるけど?
断髪令も知らない?
るろうに剣心ごソースなのかお前は?
何もかもがいい加減なんだよホラ吹き野郎 >>156
こじつけを積み重ねて、そこまで事実を捻じ曲げられる才能と執念にはほとほと脱帽する
江戸城下がどこまでを指しているかは正直知らない
ただ江戸時代に武士の体格は大きく、町人は小さかったと手記に記録してる外国人はかなりいるところからも
そうであったのだろうと推察される
田舎で不平不満溜め込んでる下級武士は小さかったという写真については、まぁそうだったんだろうねとしか言えないな
そもそも江戸の街で外国人が見かけるような武士は
大名が国元から連れて来るような他国に恥ずかしくないような容姿の武士だろうし
そのへんで釣りをしたり剣術の稽古をしてるのは旗本や大名の参勤付の侍だろうから
体格がそれなりでも不思議はないわけだ 江戸時代の武士が身長180cmあったww
というキチガイがいるスレはここですか? >>163
事実だと言うならその記録だせよキチガイ
それか首吊って死ね >>157
土方とか兵隊はガタイのいいやつが重宝されるだけで
欧米でも支配層や貴族は小さいやつも多いし
支配階級に小さいのが多いのはよく見られるところだろ。
統計的にでかいとは言い難いだろ。
ガタイでかい黒人も被支配の奴隷 江戸時代の大相撲の歴代横綱が180cmくらい
これが身体が信じられないくらい大きいと
見世物になるレベルが当時の日本
当時はヨーロッパ人も平均身長が170cmなかった >>161
じゃあイザベラ・バードじゃないんじゃない?
江戸時代に江戸の街を見た外国人の手記を当たってみてね
長男坊が次男三男より20cmもデカかったという話はどこから出てきたのか不明だが、
江戸時代だからって今とあまり変わらないと思うよ
長兄よりも弟の方が大きかったりするよね
外国人が記録したというのは、身長を計測したとでも思ってるのかもしれんが
例えば今でも東京の丸の内を歩けば、一般よりもガタイの大きな人が多いことは明確に分かることだし、
ロンドンやフランクフルトの金融街も同じでしょう
上流層が一般層よりもガタイも大きくなるのは古今東西変わらないのではないかと >>168
見つかりませんでした
あなたが出して下さい
言ってる人が出すのが主張を通すためには必要なことです
ないことの証明は悪魔の証明と言われます
私にはどうしようもない >>167
それよりデカい奴等は江戸城内にて秘匿されてるからね
誰も見てないんだわ
でもなぜか外国人だけは見たやつが居るらしいw >>168
江戸時代は外国人は開港後も
横浜、神戸、長崎、函館港の外国人居留地以外は行けない
江戸の街に行ったのは
13代将軍家持に謁見した使節団だけ
江戸の街を外国人が見物は歴史的にあり得ない
武士の身長180cmのキチガイくん
わかった? >>166
そうかい?
イギリスは今でもかなり明白な階級社会やってるけど、上流層と庶民では相当はっきりと体格からして違うように思うけどね
>>167
平均はそうだろうけど、上流層はかなり大型化してる
上流と言っても、今の政治家みたいな上流というのは当時の公家みたいなもんだろうか
丸の内を歩くデカいのは官僚や大企業の実働部隊みたいな連中で、江戸の武士を見た外国人が目にしたのもこの辺の階層だよね >>172
江戸時代の武士の上流層は身長がデカい
徳川将軍家の身長は150cm
キチガイくんの説によると庶民は130cmくらいかな? >>172
江戸に立ち入れないから次はどうする?
横浜で見たことにするか?
またポスト動かそうぜ? >>170
お城勤めをしてる連中を目に出来る外国人はかなり限られてるだろ
街中で暇そうにしてる、釣りしたり稽古したりしてる武士層を外国人が見てしっかりした体格をしてると書き残したのだろう
>>171
そうなのかい?
各地で外国人とトラブルになってるのは何かな
イギリス公使館の焼き討ちとかあったみたいだけど >>176
生麦事件も
イギリス公使館焼き討ちも横浜
日本史知識ゼロのくせに
ドヤ顔で武士の身長180cmのキチガイ >>93
目安箱考えた人、めっちゃ優秀だよね
徳川は印鑑押しただけえだろ >>176
城内で誰も見れないはずの高身長イケメン武士を記録した外国人はだれなの? 江戸時代の大名や武家の
人類学調査はかなり行われてて
身長はデータあるだろ
徳川家なんか将軍の大半は調査されてて
比較すれば江戸の上級武士は180cmというのは
データ的には完全にお笑い草だろ >>173
丸の内の大企業の社員や官僚たちはやたらとデカい
外国人の旅行者が目にする上流ってそのへんだろ
当時の外国人が江戸の街で見た武士というのも、そのへんの階層だろうな
相撲取りを並べたって話は知ってるが、日本にやってきてる外国人もまた、向こうさんのそのような階層の人たちだろうしね
外国の平均よりはかなり大きい人たちが日本にやって来てたんだろうね >>182
江戸時代は外国人は江戸に入れない
ウソ松がウソにウソを重ねる >>177
それは知らなかったな
品川宿の近くとか言うのは江戸城下からかなり離れていたわけか
俺は今の皇居のそばのイギリス大使館を思い浮かべてたから、かなりズレてるなw
>>179
外国人が見たのは、江戸の街で暇そうにしてる上流武家階級の御子息とかだろうね >>185
江戸に入れない外国人が
江戸の武士を見る
キチガイあらわる >>1
いつも思うけど両サイドのオプションは一体誰なんだろうな
アドンとサムソン? >>181
徳川家は武家だよね
江戸時代は建築の規格化が進み、武家屋敷も町人の町家も、建具の規格などは統一されたものであったらしい
当時の規格は洋の東西問わず、人の身体の大きさが基準であったので
1フィート=約30cmしかり、1間=薬180cmしかり、人の大きさを基準にしてたのではなかろうかと思うのだが
1間の梁と敷居の間では、180cmの人では頭がつかえる
イギリスでも6フィートから高身長といい
そこから察するに、確かに180cmはかなりの高身長にあたるわけだが
日本を見た外国人がわざわざ武士の体躯の大きさを書き記してるところから
武士はその程度あったのではなかろうかと
>>184
その江戸の範囲はどのくらいなの?
江戸の街じゃなければ、どのあたりで見たんだろうな
武士は明確に大きく、町人は小さかったと書き記してる以上、どこかで見てたはずだよね >>186
ちょっと調べたんだがね、そのへんの無知は済まない
1860年頃にすでに東京高輪にイギリスの公使が寺を借り
その後、品川にイギリス公使館が作られてる
ちょうど幕末の頃
なんで江戸の街の武士を外国人が大きいと書き記してること自体をなかったことにしたいのかしらないが
普通に外国人も江戸まで入って来てるようだよ 幕末だとイギリス人やフランス人の成人男性の平均身長は166cmくらいだからね
それが基準だよ >>181
今でも天皇や政治家はそんなに大きくないよね
で、そこらの外国人が、たとえ日本にやってくるような割と上級であっても、そのような人たちを直に拝めるわけじゃない
せいぜい丸の内のオフィス街周辺の日本人くらいだろう
当時の外国人から見て大きかった武士というのは、今のこの辺の階層の人たちのことだろう
小さかった町人というのは今でいう外国人の観光スポットになってる浅草のような下町で見かけた日本人でしょう
何も不思議じゃあないがな
何を必死になって、複数ID使い分けてまで、江戸時代の武士の体格が良かったことを否定したり、公家が貧乏暮らしをしていたことにしたいのだろうな
武士の体格が、外国人が記したように、大きかったら不都合でもあるの?
公家が教養深く雅な生活をしてたら困ることでもあるのかね?
意味が分からんな >>186
でも、江戸に在外公館作ってるくらいたから
江戸の街くらい普通に見てそうだけどね
確かにハリス来日か何かの際には、相撲取りを並べたという話があるくらいだから
日本にやってくるような外国の上流層に比べれば小さかったんだろうけど
少なくとも外国人が手記に書き記す程度には、武士のガタイはかなり大きくしっかりとしていたと考えて良いと思うな
高身長は6フィートからのイギリスの言葉から類推すると、武士も6尺くらいあってもまぁ不思議じゃない
6尺の男というと、落語なんかではかなりの大男の扱いにはなるけど、それは町人文化の落語だから、とも言える >>191
それは、おそらくだが、国民軍みたいなものを整備したときの計測を基にしてるのではないかと
幕末くらいの時期のヨーロッパの建築だと、主に上流階級が住むような今に残ってるような建物を見ると、かなり天井高もある大きなものになっている
一方で、それよりは若干時期は前になるものの、ボンにあるベートーヴェンの家などは、天井も低くドアも小さい
日本にやってくるような上流階層はデカく、町人は比較的小さかった、ということなのではなかろうかと
それと比較すると、武家屋敷も町人の家も、同一の統一規格が存在したという江戸の街では、そこまでの格差はなかったのかもしれない
外国人目線では武士は大きく、町人は小さかったというだけで
これは今の丸の内と浅草周辺を歩けば、当時の来日外国人が受けた印象とほぼ同じ印象を受けることになるのだろうと推察出来る 180cmの男と170cmの女を掛け合わせるとして、何世代くらいあれば平均身長180cmの大和民族ができあがるのかな
江戸時代はせいぜい10世代だからちょっと厳しそう >>195
今の若い子たちって男の子は普通に185くらいあるよ
手足もスラリと長くてスタイルも良くて高身長
平均は伸びてないみたいだけどね
もう既にそうなってる >>196
普通に185くらいあるのに平均は伸びてないって日本語おかしいだろ
ちょっと笑っちゃったよ
面白いなお前 >>197
うちの地域では若い子たちはすごく大きくなってるんだけど、他で縮んでるのかもしれんな
若い子が185くらいあるよねって話すると、なぜか必死に否定してくる奴らがいるしね
ここでも武士の身長が小さかったことにしようと必死に歴史を捏造しようと頑張っておられる人がいるけども >>171
開港以前1700年代からオランダ商館長が代替わり事に江戸参府に江戸の街を訪れていたようだ
キミも知ってるであろうシーボルトなども何度か江戸の街を訪れている
シーボルトが何年の人か、調べて見れば、江戸の街に外国人が入れなかったなどという荒唐無稽な嘘八百を唱えていたのがどちらだったのが思い出すことになるだろう
その時の誰かの手記のはずなので、俺は見たことがあるので探したら教えて上げるよ
あとさ、ID換えても下品な文章で誰か分かるんだから、正体隠して自作自演の罵倒レスばかり並べたてるのは控えたほうがいいぜ? >>202
それは平均の話だろ
一部の地域では185cmの若者がウヨウヨ歩いてるし他の地域ではホビット化してるんだ
人を嘘つき呼ばわりするのは良くないぞ ウヨウヨなんか歩いてねえよ
平均通りの実感しかないわ >>172
いやいや低いのも多い。
世界的にリーダー格は小さいのが多い >>87
この出で立ちで、農民に「不穏な輩が来ました、こちらの畑へと隠れください」とか言われて匿われてるの? 幕府「お前ら向けにルール作ったから、余計なことすんじゃねぇぞ、皇族お前らもだからな」の中で暮らしてた おっ面白そうなスレだな
開いたらキチガイが延々喚き散らしてるゴミスレ
こればっか
死ねよゴミ >>172
英国とは事情が違う
日本の上級階級は生臭物避けたりするし ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています