誰もわかってないけど、江戸時代って武道やっても学問やっても給料は上がらないから。 [134367759]
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中国経由で伝来・進化した日本仏教は「ガラ仏」だ! しかし、そこにこそ「仏教の本質」が見えている。
https://news.yahoo.co.jp/articles/f8de5e19ad4b78995846a373a671034f4d2e1896
今はお金の為にスポーツや勉強やる人間しかいないけど。 意味不明
江戸時代にも成功物語なんていくらでもあるだろ
地位や名誉や金のためにしか努力しない現代人には
わからないだろうけど、江戸時代までは武芸も学問も
やればやるほどお金が掛かるだけで別に得はないからな。
>>2
おまえは大谷じゃないんだよ。
悪しき平等主義に染まって嫉妬まるだしの人間には
わからないのだろうけど。
いまの企業が賃上げできねえってレベルじゃないから。
全国の大名が借金地獄だからな。 階級社会だし学問しても身分が変わるわけじゃないし学問で身を立てるなんて社会じゃないもんな
そういう環境で学問に打ち込んでた人は偉いよな
だから江戸時代に学問やった人達って
本当に好きだからやってたんだよ。
学問やっても別に誰も褒めないからな。
給料も上がらない。
むしろ金使ってご苦労なことだなあと
呆れられたりもしただろうな。
なんかけんもーに自己顕示しかしない自称博士の
奇形児がいるみたいだけど。 一応江戸時代でも大出世した例はあるぞ
そういう能力で成り上がった身分は一代限りで相続不可だったようだが
だから江戸時代の人はこっそり禁制の欧米の思想書とか
手に入れて喜びに震えたりしてたんだよきっと。 >>13
長崎からのコネ無いと入手すら出来ない時代なわけで
その辺は入手できる時点で上級なんじゃないかな
いまは自分の地位や金のためにしか勉強もスポーツも
やらない卑しい乞食しかいない世の中になっちゃったね。
俺は違うけど。 一応江戸末期には、昌平坂学問所や各藩校から学問の才あれば推薦され、下級でも幕府の官僚へ登用される武士もいたはず
>>15
密貿易で入ってたっぽいけど基本は禁止だから
そうだろうな。とある禁書だからな。 大学を卒業することで高給な仕事につけるようになることで学歴社会になるのって、大正時代くらいには都市部で始まってるんだよな
それまでは家業を継ぐのが前提だった
オランダ語辞典を片手にオランダの文書を手に入れて
うひうひうきうき勉強してたんだよ。福沢諭吉先生とか。 >>19
幕末は普通に名前の知られた、のちに高い身分になる人達が
普通の農村出身とかあるからな
大村益次郎とか新選組の連中とか
江戸時代に、いくら世の中が色々変化しそうだな
って雰囲気はあったとしても、百姓や下級武士が
学問やろう武芸やろうとおもうか。
現代人の感覚だとあり得ない。
いま東大受かるよりも江戸時代学問や武芸で身を立てる
ほうが無理。 >>25
寺子屋ってものがあってだな
学問の初歩はそれなりの割合で庶民までちゃんと普及してて、その中で才能発揮するようなケースもあったようだよ >>25
武芸で身を立てた人はいるでしょ
薩摩の半次郎さんとか土佐の以蔵さんとか牙突の五郎さんとか あいつらは暇だから好きでやってたんだろ
それこそ学問の本質だよ その代わり収賄がとても発達してるから御役目に就く事で増収出来る
御役目を得るには上役に賄賂付け届けを欠かさない上で剣と学問も必要だからな
結局全ては人脈なんで道場にも塾にも行ってそこで認めらコネを作って行かなきゃならんのよ 身分が低くても優秀な人材が登用された例はいくらでもあるし
牢人は秀でるものがないと仕官もままならなかったよ
あと本草学の延長で割と蘭学も普及してて
田舎でも武士から農民まで集う蘭学同好会みたいなのあったらしいぞ
ソース:『在村蘭学の研究』 青木歳幸、思文閣出版、1998年 >>7
階級社会っても階級が付いてるのは家だから
個人については当人の才覚でどうとでもなった
才能ある下級連中が上の階級の家の養子に入って本人の階級が上がる事なんぞいくらでもあったし
例えば町人から武士になるような
今だと絶対だと思われがちな、江戸時代の身分制度を越える事さえできた >>31
二ノ宮の「報徳思想」に藩ごと入れ込んでた相馬中村は
明治時代に大日本報徳社の呼びかけに応じて旧藩主から家臣から北海道の屯田兵になってしまった
二ノ宮恐るべし 勉強しても褒められないどころか
南蛮渡来の学問とか本の所持は禁止されてたんでしょ? 一万石の大名より八千石の旗本のほうが裕福な感じがするよね >>38
普通の江戸時代の勉学は古文漢文ソロバンだと思う
ヨーロッパ由来のも基本禁止だけど、例えば解体新書みたいに翻訳本が出た場合はそれは禁止ではない
勉学のコンテンツを禁止するような思想は無かった よほどのことが無い限り100年前の先祖と100年後の子孫が同じ仕事に就く でも無能だと同僚の小栗上野介忠順あたりから
「うんこ製造マシーンw」って呼ばれて馬鹿にされちゃう 無能で済めば良いんだけどこの時代は「家」が全てで家がお取り潰しになるとか家を守る為に本人は自決とかあるからな
仕事の失敗を死で償う事も結構あるし無能ですいませんで済まない場合も多い
あと大概の家には先祖伝来で代々膨らみ続けて来た普通じゃもう返済出来ない借金が付いてるからやらかした当主は死んで代替わりした方が楽だったりもする 伊能忠敬は地図作る前も家に婿入りして厚遇受けてたよ
結局、自分の家の格を上回る才覚があればいつの時代も成り上がれるのよ >>9
武芸学芸に励めば召し出されて役がついて役禄がもらえる、出世すれば加増も期待できる、という金や出世目当てでやってたんだぞ。何も能がないやつは小普請入りでジリ貧になるばかり
学問吟味は,幕 府の旗本 ・御家人およびその子弟たちを対象に,寛 政4(1792)年 に創始された筆答試験であり,幕 命をうけて昌平坂聖堂(学 問所)の 儒者たちがこれを担当した3)。学問吟味の成績優秀者を優先的に役職に任用する慣行のあったことは,『8本 教育史資料』第7冊 の昌平坂学問所関係の記録からうかがい知ることができる,学 問吟味実施の業務とはまた別に,学 問所では優秀な成績をおさめた者のうち,旗 本惣領たちについては,新 規の任官の機会があるたびに幕府人事当局宛てに彼らを優先的に任用するようにとの請願書を出していた
吉田松陰は 『講孟余話』の中で,武 士の功利的学問観をきびしく批判したが,そ のことは当時すでにその種の学問観がかなり普及していたことを物語っている. 一応百姓でも算盤極めれば
刀差してお城に教えに行けたらしい
うちの先祖にそういう人がいたとか 江戸時代の日本というひとくくりで論じること自体が難しいよ。
この国内に300近い独立国があったようなものだから。
藩によるとしか言えない。
階級がガチガチすぎて出世の余地など全くなかった藩もあれば、庶民が武士に登用されて出世するケースがあった藩もあれば。
バイト代のために売国行為するおまえとは違うんだよ。 藩お抱え武芸者になろうと仲間使って
お孫さんのいる様なお年の佐々木小次郎を撲殺する宮本武蔵
え〜それ酷いじゃんと小倉細川藩は巌流島の撲殺事件の後、宮本士官させるの取り止めてる
食い扶持の為に人を殺す男だっておりました ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています