https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240401/k10014408791000.html

ロシア軍による軍事侵攻で多くの市民が犠牲になった、ウクライナの首都キーウ近郊のブチャが解放されてから2年となったのに合わせて
市内では31日、新たに整備された公園で犠牲者を追悼するための植樹などが行われました。

ブチャは侵攻当初にロシア軍に一時占拠され、地元の当局は、12人の子どもを含む509人の市民の命が奪われたとしています。

ブチャが解放されてから2年にあたる31日、現地ではさまざまな追悼の行事が開かれ、このうち多くの遺体が見つかった聖アンドリー教会では犠牲になった人々をしのぶコンサートが開かれました。

教会の敷地には犠牲者一人一人の名前を記したモニュメントが設置されていて、訪れた人たちが花をたむけていました。

34歳だった兄を亡くした女性は「兄はその日水を買いに行き、そのまま39日間、行方不明になりました。
幼い子ども2人を残して亡くなったんです。まだ兄の死を乗り越えることが出来ていません」と話していました。

また、78人の遺体が見つかり「死の通り」とも呼ばれた、ヤブロンスカ通りにはあらたに公園が整備され、
ブチャの復旧に協力してきた日本のJICA=国際協力機構など、各国や支援機関の代表らも招かれ犠牲者を追悼するための植樹が行われました。

公園には犠牲者の人数と同じ数の木が植えられることになっていて、この日は、家族などが犠牲者の名前を記した銀色のプレートを木に取り付けて祈りをささげていました。

息子がロシア軍による拷問の末に亡くなったという男性は、ロシア軍は疫病のようだと話し「もし世界がウクライナを助けなければ、この疫病は世界中に広がるだろう」と訴えていました。

男性の孫で、父親を亡くした6歳の女の子は「お父さんに会いたいです。まだ生きていたらと思います」と話していました。