私は会津出身で色々地元の史記をを漁っているものだが私は会津が幕府を純粋にお守りして薩長土肥により滅ぼされたというストーリーに疑いを持っている
いや、確かに真面目に守りはしていた者もいただろう、だがその中に間者がいたのではないかと思っている
会津、薩摩、長州(萩)その3点は幕末の因縁だけではなくそれ以外でも繋がりがある、キリシタンの存在だ
会津は確かに徳川の親藩であったが保科が治めるまではキリシタン大名蒲生氏郷が治めていた、そして会津で禁教令が施行されるまでは隠れキリシタンのメッカだったのだ
戦争で打ち滅ぼされた会津藩だが戦後不自然に明治政府下で出世した者たちがいる、それらの出自を洗ってみると蒲生氏郷時代からの土着の士族がほとんどだった
まだまだ調査段階だが…アイツら欧米ユダ金は必ず両建てだ、その両建てに選ばれたのが会津だとしてもおかしくないのではないだろうか
調べていくと恐ろしくなる…しかも会津藩士の家系には笹川良一や吉田茂と家族ぐるみで懇意な黒い者もいるのだ、そいつは今でも影響力があるようだ

ある程度調べたらこんな話を聞いてくれるかわからないけど副島隆彦氏に情報を提供するつもりだ