染井吉野とか見て「桜ナリー」言ってるニワカ日本人みると「うわぁ…」なるよニャ 伝統日本人にとって「ヤマザクラ」こそが桜だから [集会所] [511393199]
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昨日代々木公園まで犬の散歩行ってきたけどひどい人出だったわ >>1
>染井吉野とか見て「桜ナリー」言ってるニワカ日本人みると
>「うわぁ…」なるよニャ 伝統日本人にとって
>「ヤマザクラ」こそが桜だから
......という考え自体が近代以降の新しい考え方という
昔の人からしたら今のヤマザクラも
オオシマザクラもヒガンザクラも山に生えてれば山桜 上野公園にはエドヒガンやソメイヨシノの近縁種があるが
一般人には区別つかんやろと
街路樹公園に多いからとりあえずバカにしとけと言う風潮だが
今後はソメイヨシノの植樹は廃止されるから
100年後には>>1みたいな意見は廃れる 吉野の桜を見たことのないトンキンって
正直
浅いわ 藤原定家は御所の八重桜を折って
持ち帰った枝を接ぎ木してたらしい ちなみに、桜が日本の国花扱いになったのは大正時代からだから
薩長政府が捏造した国家神道より歴史が浅い 花といえば大昔は梅で後に桜となったという
怡顔齋櫻品の桜花之辞に
「いにしへは梅をさして花といひし」とある
古今集・八雲御抄の頃には花は桜となったとある
同書の山崎闇斎の桜弁は古典から桜に関する故事を紹介している
江戸時代に木版で書物が行き渡るようになる
貴族だけでなく庶民階級にまで、フリガナ付きの優しい文章で
有識者が日本と桜が不可分の存在であると広めたのだ
お上が江戸各所に桜の名所を作り維持管理し、植木屋が
吉野から取り寄せたと言う桜を増やして供給したものである。
そして、幕末明治初期に妙に花付きの良い吉野桜が生まれ
いつの間にやら植えられるようになった
明治初期にはこれが吉野山の桜だと信じて疑わない人が多かった
八重桜のほうは、大名や金持ちが庭園に植え、その品種は現代よりも多かった。
松平定信は庭園に100種以上の桜を植えていた。
今に残る園芸品種の八重桜の多くは幕末維新のなかで
絶えるのを惜しんだ植木屋や好事家が人生をかけて残したものである。 俺は緑葉もいっしょに出てくる賑やかなオオシマザクラが好き ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています