3000年前の中国人「国家とは~善悪とは~」3000年前の日本人「土器に縄で模様付けたらオシャレになったンゴwwwwwww」 [769931615]
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あまりに劣等 だから兄さんの国から統治者が来たんだよ
天皇は朝鮮人 その中国が今もさえない独裁者のおっさんのせいで傾きつつあるというチャイニーズジョーク
3000年進歩がない https://i.imgur.com/Eg0Zkvv.png
古墳時代に人口の大量流入があったからね
流入してきた人たちは中華文明の継承者でしょ(稲作、漢字を使う等) 狩猟生活は共同作業が多いし
憎しみ合うこともなく
財産の多さでマウント取ることもないから平和だったんだろ >>6
広大な大陸から命掛けで来ると思うバカがいなくならないのはなぜだろうな >>1
縄文時代は占有が起こらなかったからな
だから国家なんてのも必要なかった
組織といえば狩りをするための小規模なコミュニティがあった程度
やっぱ温暖化って素晴らしいわ 文字があれば美味しいどんぐり料理レシピとか残っていかもしれないのに 今でも赤道付近の人々が原始時代みたいな生活してるけど(最近見つかった部族もいる)
やっぱ暖かいと人々も優しくなるんだよな 海に入ったら貝や魚がどっさり
山に入ったら栗やドングリがどっさり
暇だから土器を前衛的な形にして遊んでたんでしょ
弥生時代にお父さんの文化が来てから生活に遊びがなくなったよね >>1
中国が3000年前から進歩していない、むしろ退化しているとかいう悪口はそこまでだ 現代中国「国家主席マンセ〜造反有理アル〜小日本潰すニダ〜」
日本「民主主義とは〜日米同盟とは〜金利政策とは〜」 「中国」という国は三千年前には存在すらしていません むしろ遥かに高い知性の人がこういうどんぐり文化に生まれて誰にも理解されずに死んでいったケースは多くあるんだろうな
人間の長い歴史見ればそっちのが多いくらいだろう >>7
日本人が見たこともない材質(金属)の未来道具や未来兵器があるんだから
王にも神にもなれるんだよなあ 3000年前からタイムスリップしてきたようなネトウヨ湧いてきた 中国のピークってその辺だよな
その後、文化、文明の進歩はほぼ止まった 最近またドングリいじってるからなケンモメン
もうこれ逃れられぬ呪いだよ 日本もヨーロッパもアラブも
時代によって文化や風俗が変わって
建物や衣服が全然違うのに
中国って孔子あたりから近代までずーっと同じだよな
あれなに? >>28
なんとなくだけどペルシャが衰退したのがデカいんじゃねーの 3000年前のイッポンは100年で完全に自然に還る素材で作ったコンピュータにすべての情報を詰めていたからな
消え去ってしまって残念だ
それもこれも環境に配慮した素晴らしい文明の賜物である
自然破壊しまくる現人類文明とはわけが違っていた どっかの数奇者土人が模様入り土器作ったせいで縄文とか変な名前付けられた不遇の時代 >>3
文字も無い口伝だけじゃ文明は築けないでしょ?
縄の結び目で数を数える程度じゃ詳細な記録も残せないから社会の発展に無理があるんだよ まあ我々日本人もほとんど父さん系の遺伝子だよね
日本在来のオセアニア系の血は
離島や東北の奥地を除いて濃度低い >>7
いつまで自虐史観でいるんだよ。最新の歴史学では稲作は日本から朝鮮半島に渡ったっていうのが学者の間では定説だし、漢字も日本から中国に渡ったって言うのが最近の歴史学者の間での定説 >>21
中華史の話題で便宜上中国って使ってるだけなのに中華人民共和国のこと持ち出すバカ絶対一人はいるよな >縄文時代 前14000年頃‐前3~5世紀
長すぎワロタ 結縄文字使ってたんでねえの?
単なる模様じゃなくて何らかの記録の可能性はねえのか? >>12
というのも最近では疑問視されていて、漆器が組織的に製作されていたらしい痕跡が多数発見されていることから、
農業から分離した技術集団の存在や、指導者と従事者という階層化が既に起きていた可能性が高いと考えられているのよ あの歴史漫画でも日本の年表は縄文親子のイラストだけだったな 文字は無かったけど
言葉はあったわけで
どうせなら
完全に中国語に移行しておけば
漢文をそのまま日本語として読むとか
変態技巧で苦しむことも無かったのに 古代中国人「金!暴力!焚書坑儒!」
縄文人「まあいいじゃんそういうの」 >>6
清朝末期でも産業レベルは中国の方が少し上だよ
現在の進歩速度わ大差負け 古代中国華北ではアワとキビが主食だったらしい 日本でもヒエは縄文時代から栽培されていた 差がついちゃってるね 池田次郎『日本人のきた道』より
大陸からの渡来の波は、古墳時代を通じて断続的に押し寄せたが、それは中央政権の支配が拡大するにつれて、農耕が全国的に普及したためである。
このように渡来形質をもつ農民集団が本土の広い範囲に進出したからといって、古墳人の地域差が縮まったわけではない。
大陸要素の濃度という点からみれば、古墳人の地域差はむしろ拡大している。したがって、古墳人の特徴も、地域を無視して一概には論じられないが、
大ざっぱにいうと、大半の古墳人は現代日本人に類似する特徴を多かれ少なかれもっている。
たとえば、古墳人の頭蓋・四肢骨の計測値は、ほとんどすべて縄文人と現代人の中間に入るが、鼻根湾曲示数・歯槽側面角・大腿骨の中央横断示数・身長などでは現代人に類似する。
百々幸雄らは、頭蓋小変異の出現頻度によって、縄文人・渡来系弥生人・古墳人・歴史時代日本人に分割され、現代人の特徴は古墳時代まで遡れると結論している。これらの特徴はすべて大陸に由来するものである。 第一群の畿内古墳人は、高顔と鼻根部の平坦性が古墳人のなかでもっともいちじるしく、身長ももっとも高いなど、渡来系古墳人のなかでも渡来形質がとくにきわだっている集団である。
また、短頭性がもっとも強いが、この頭形は現在までうけ継がれている畿内人の地域的特性である。
古墳時代・奈良時代の人口密度がもっとも高く、大和王権の拠点であった畿内は、古墳時代になっても朝鮮半島からの移住者を大量にうけ入れた地域だった。
畿内古墳人が、韓国・朝鮮現代人に類似する畿内現代人と同じグループに属し、縄文人からもっとも離れているのもそのためである。
資料の約半数が筑前・筑後・豊前から出ている北東九州・西中国古墳人の中心は福岡の平野部にあり、そこから南へむかっては南九州古墳人の、西へむかっては西九州古墳人の縄文人的特徴への傾斜を示すが、
豊後の山間部だけは特別で、そこには古い体質を保持しつづけた古墳人が居住していたのである。
資料の約八割が関東地方から出ている関東・南東北古墳人は、顔面平坦度や頭蓋小変異の出現頻度で縄文人と大きく異なる。
身長は畿内古墳人とともに古墳人のなかでも高身長の部類に入り、頭蓋・四肢骨のすべての特徴に大陸的・農耕民的要素が認められる。
頭蓋計測値で第二群に入る北陸古墳人は、鼻根部の平坦度がやや弱く、低身長で、四肢骨の特徴にも縄文人的要素がみられる。
しかし、縄文人との距離は畿内現代人と同じくらい遠く、むしろ第三群の関東・東北南部古墳人に近いので、同じ在来系古墳人でも南九州・西九州の古墳人と同列に扱うことはできない。
各地の古墳時代男性頭骨の弥生・縄文判別関数値
(池田次郎・京都大学名誉教授による)
+2.12…畿内
+1.47…南近畿
+1.08…四国
+0.76…東中国・西近畿
+0.70…西中国・北東九州
+0.51…関東・南東北
+0.40…北陸
-0.87…南九州・西九州
※+は弥生(朝鮮)側、-は縄文(アイヌ)側 地下式横穴墓は、宮崎県南部から大隅半島北部を中心に広がっている。それに対して地下式板石積石室の分布域は鹿児島県北部・熊本県南部・宮崎県内陸部におよんでいる。
地下式横穴墓がさかんに造営されたのは五世紀〜八世紀である。地下式板石積石室墓が造られた時期は四世紀〜六世紀後半である。
このように地域色豊かな墓には、隼人とよばれていた人たちが葬られたといわれている。隼人はその居住地域によって日向隼人・大隅隼人・阿多隼人・薩摩隼人・甑隼人とよびわけられている。
宮崎県の地下式横穴墓から出土した在来系古墳人は 、鼻根部の隆起が強く、大腿骨の柱状性が強いなど、縄文人的特長がいちじるしく強い。
この九州南部は、長く畿内の中央政府に反抗し続けた「隼人」、あるいは「熊襲」の分布域として知られる。
前にも触れたように、その地理的な条件もあっておそらく更新世に遡る時代から南島経由で南アジアの人的文化的影響がおよんでいた可能性がある。
民俗学者の大林太良も、隼人の言語はオーストロネシア語族の流れをうけたものと想定されると述べている。
この地域の人々が中央政府からの圧力に頑強に抵抗し続け、体質面でも現代に至るかなり強い地方色を遺したのは、
彼らが長年に渡って育んできたそうした独自性の強い文化が、流入する他文化と激しい摩擦を起こして容易には同化し得ない土壌を形成していたことが一役かったのであろう。 縄文人って今の沖縄人に近い存在だからね
そりゃどんぐり食ってウホウホしてるわ 反日乙
1000年後は卑弥呼とかいうアイドルの追っかけやるくらい進化したから ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています