豊臣秀吉👈ぶっちゃけこいつ徳川家康のこと支配できてなかったよな [889722664]
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うむ…
天下人ちゃうやろ
ふっちゃけ
しんさん… 秀頼ができてなかっただけで
秀吉は支配下に置けてた 歴史通の間で異様に木下さんの評価低いのはなんでなん?
曲がりなりにも天下人やで? 親ガチャハズレから天下人←三英傑の中でもこいつが一番凄いのでは? >>13
京大閥の歴史学者では評価高い。東大閥では低い いくら秀頼に天下譲りたかったといってもただでさえ少ない親族ばんばん殺しちゃうんだもん 尾張の百性って話だったけど実は普通に武士だったかもしれないのまじ? >>13
秀吉の評価低くしてるようなやつは歴史通じゃない
小牧長久手あたりまでは控えめにいって神 当時の人間としては幕府の権力がめちゃくちゃ強い「幕藩体制」のイメージなんてないから、朝廷の権威を借りた室町幕府の発展形までしか構想できてなかったでしょ
江戸幕府は室町幕府や織豊政権と比べ物にならないくらい強権的だし すべて結果論
秀吉の失敗は長生きできなかったことだけ >>18
野武士だった説はあるな
そもそも当時は百姓と武士の境目が曖昧だったので 竹中直人の大河のイメージでは結構あっけらかんとした印象だったのだが、やってること見ると陰湿で酷すぎだろ
人によって評価の変わりやすい人物ではあると思う >>18
親父が足軽だった気がするわ
盗賊みたいなもんよw >>13
戦前は農民の小倅から天下人になった大人気の立身出世物語
最近つーか戦後はエロ猿とか晩年のボケ老人っぷりばかりクローズアップされる
原因は朝鮮出兵と第二次世界大戦の敗北でマスメディアを特亜に牛耳られたこと >>18
武士か農民かは曖昧だけど
姓を持っていたから小作農民ではなく地元の土豪クラスみたい >>18
たとえ百姓でも尾張の中村郷なら豪農になれる石高なんだろ 人たらしのクズ設定に振りすぎると関西からのクレームくるらしいで
ムロ秀吉がどーだったからはしらん >>13
日本の歴史上で最高の軍略家やろ
両兵衛の評価も含むけど
特に兵站構築と城攻めの能力は世界史上でも稀なレベル 仮に徳川倒してても幕末ぐらいには薩摩に滅ぼされてたのでは 死んでから急に味方減ったよな
人心掌握法が恐怖寄りだったのかなと思っちゃう >>27
言うて戦国時代って好き勝手に名字名乗ってたんじゃないの? 成り上がるまでと大方支配した後の統治と求められるスキルは違うよな。秀吉は前者に優れてた 家康は秀吉存命中は戦国一の律儀者と言われてたんだぞ
だから信頼して秀頼の後継人を任せてしまった >>35
韓信みたいな華々しい功績は一切無いからな
普通に舐めてたんだと思うw >>13
昭和は評価高かった
誰でも頑張れば天下が取れるというヒーローだった
田中角栄のニックネームが今太閤
平成から令和にかけて、「けっきょく家柄とコネじゃん」となり、成り上がり者の秀吉の評価は下がった 小牧・長久手ものぶおが裏切らなかったら家康勝ってたろ >>20
豊臣も関白粛清に信雄改易、上杉徳川転封とかなかなか強権だが 淀君のおまんこに逆らえなかった男
所詮1ジャップオスに過ぎなかった >>34
家康の派閥の力が強すぎて無理だったんだろうね 唐入りが成功してれば徳川なんか関東だけの中規模大名にすぎなかった >>41
普通に北条征伐で先鋒務めて大功たててるよ とにかく最速で天下人になるのを優先したRTAプレイだと思う 独眼竜政宗のときの勝新秀吉
面会するたびにストレス感じるくらいの気迫あるやつが良いな天下人なんだし
ムロ秀吉はちょっと違った グズグズしてたらおじいさんになっちゃうし有力大名と妥協してトップに立った 織田信長の手柄を掠め取っただけで何もかも失敗したバカ猿 生きてるうちに全力で家康潰してたらよかったね
戦争してるしなんとでもなったはずなのに秀吉優しい そういう意味だと秀吉も信長に支配されてなかった
織田家から天下統一事業を簒奪したし
家康も淀君がイキらずに天下を明け渡せば豊臣家残すつもりじやなかったの 直系の子供が多かったらそいつらを要職につけて支配は盤石になったろう
繁殖力も力のうちです
ハプスブルクなんて繁殖力だけで欧州の覇者になった >>44
サルがのぶおの領土削りまくったから泣きついてくるのは当然 三木の干し殺しとか鳥取城の飢え殺しとかあるからあんま好きじゃねえな。 秀頼生まれたら他家に人質全員養子に出したのがまずかったな どうしても信長との繋がりが強過ぎてナンバー2以上のイメージは無いな
信長と家康はどちらも単独でナンバー1張れる器あるが >>42
その今太閤だけど天下取る前の有能ぶりと言い天下取った後の老害ぶりと言い、hontoに秀吉そっくりだったな 徳川家康って岡崎から遠州一円を切り取ったあたりなんかは地味に猛将じゃね? ガチで潰すつもりなら、関白なんだから難癖つけて家康一党の官位を剥奪して朝敵にしちゃえばよかった
そうしなかったのはそうできない理由があったのだろうし、そうしたくない理由もあったのだろう
何かと縁組付けて取り込もうとしているし >>13
実力としては依然評価高い(むしろ上がってるまである)んだけど
いかんせん残酷で気まぐれってとこで人格面での評価が下がってるな >>42
その今太閤だけど天下取る前の有能ぶりと言い天下取った後の老害ぶりと言い、ホントに秀吉そっくりだったな。
今太閤自身は秀吉に例えられたのは不服だったらしいが 家康に手が出せなかったのは仕方ないにしても
子飼いの加藤や福島黒田が家康マンセー三成ニクシーで豊臣にあだなしちゃうのがな
もうちょっと言い含んで死ぬことはできなかったのか 戦争はクソみたいに強かったけど
上級の生まれじゃなかったから正義的人付き合いは下手くそだったんだろうな 毛利だって実はけっこう危険でしょ
ずっと戦ってきた相手だし心から臣従してるとも思えない 秀吉の構想
後陽成天皇を北京にうつす
日本の天皇は良仁親王か智仁親王
豊臣秀次を中国の関白
日本の関白には羽柴秀保か宇喜多秀家を任命
秀吉自身は日明貿易の港であった寧波を居所とする
朝鮮は羽柴秀勝か宇喜多秀家に与える 秀吉は絶対家康に何か弱み握られてただろ
例えば本能寺の変の真相とか >>76
憎しじゃなくて単に長いものに巻かれただけじゃないかなあ
秀吉死後の家康は圧倒的実力者だもん >>67
別所が勝手に裏切りやがったし
主君の山名追放して勝手に吉川経家たてて裏切りやがったし 光秀が本能寺のあと なんで家康倒さなかったんだろ
あんとき家康は家来数人だけだったんだよね >>23
竹中秀吉だって終盤はずっと母親が怒ってた
旧知だったガンマク(石川五右衛門)も釜茹でにされても抗議してた
そして本格的にひどい時期になる前にあの大河は最終回になる >>36
むしろ逆で末期は甘ちゃんだったから徳川にしてやられたんだろ >>39
スキルというか自分ではどうしようもない家柄とか親族の話になるからな後者は
子息を養子に出して家の乗っ取りとかもできないし >>82
朝鮮の地理すらよくわからず突っ込んでるのに夢物語過ぎるな 徳川が江戸に幕府を開いたのは朝廷から物理的に離れたかったからだと思う
京都はあまりにも伏魔殿すぎてやばい
信長も滅んだし豊臣も滅んだ、全てとは言わないが朝廷が裏で絡んでるのでは 戦に強すぎた
人たらしで人心掌握術に長けた小男のイメージなんて全然ない
戦好きの女好き、日の本一の豪傑だよね >>86
養子と実子の家督争いで戦国時代に逆戻り定期 >>84
加藤清正なんて家康に殺されたって言われてるし
福島正則もいちゃもんつけられて領土召し上げ 九州攻めや北条攻めの現地調達(略奪)を伴わない大軍のロジスティクス構築はあの時代では世界中で秀吉以外には出来なかった芸当やで
20万人を飢えさせず行軍させとるからな 秀頼になった途端部下が離れていったのは
血を引いてないとバレてたからじゃないの? 江戸へ転封した理由が意味わからん
北条潰した時点で関東が丸々手に入ったのにわざわざ一番裏切りそうなやつ置くとか そもそも関ヶ原の戦いは五大老末席の毛利輝元による下剋上なので
豊臣政権を支える側がそちらにつくことはあり得ない >>72
ちょくちょく織田の援軍(主に水野)が行ってたみたいだし
あと義元時代から揉めてた土地柄でまだ今川の支配が根付いてなかったのも運が良かった
とはいえ信玄にがっつり減らされた領地をちょくちょく奪っていく手腕はやっぱすごいね >>92
頼朝的な発想だよなあ
家康は頼朝尊敬してたしな >>97
小田原から朝鮮関ヶ原大坂と当時の日本の動員数は凄まじい 藤堂にも福島にも黒田にも細川にも最上にも加藤にも普通に見捨てられてたのはなんでなん?
彼らには主君への忠誠心なかったん? >>99
家康に濃厚な忠誠心持ってる三河人から引き剥がすつもりだったんじゃないの >>76
当時の忠誠心のあり方は個人同士の契約だからね
譜代家臣を除けば主君の息子に仕える義務はまったくない
よく豊臣恩顧の大名が秀頼を裏切ったと言われるが彼らの殆どは秀吉に取り立てられ主従関係を結んだ武士であって豊臣家譜代の家臣ではないから秀吉の死後は自由に主君を決める権利がある >>13
実際、江戸時代でも太閣様って崇められてた
信長とかは無名武将 次の大河もボケ兄貴を主人公の秀長が止める話で
ダメに書かれるのは確定だろうし >>109
裏切り当たり前の戦国大名に忠誠心なんか求めても無駄 >>99
秀吉はさっさと唐入りしたかったから関東はどうでも良いと思ってた。
一応、会津に蒲生、東海道に子飼いを配置して家康が悪さしないように監視はしてたけど、蒲生は早死、子飼いは秀次殺しで家康に付かてることになるけど >>99
もともと伊豆を与えて関東は堀Qに任せるはずが死んじゃったから他に実力者がいなかった ヤクザ組織と同じで
組長の息子に忠義なんて尽くす必要ない
有能なら別だが >>109
自分の命がかかってるのにそんなクソの役にも立たん忠誠とかどうでもいい
幕末の徳川だって裏切られまくりだし >>97
現地調達していないとか世界で秀吉だけとかしっかりしたエビデンスあるの? >>22
家の先祖も尾張の野武士だわ。
苗字帯刀を許されてたらしい。 >>115
無名ってほどじゃないが三英傑の中では一番下扱いだったな
恐怖政治敷いて自滅したおっさんって感じで >>97
はるか後世のナポレオンですらロシア遠征ではロシア領内にたどり着くまで延々同盟国を荒らしながら進軍していたことを考えると驚異的だよな
朝鮮出兵も結局釜山までの兵站は最後まで確保してたしこの時代の人間にしてはかなり現代的な発送持ってそう 仙石秀久が失脚してなきゃ関東もらえてた世界線もあったのかもしれないw >>118
関東のポテンシャルを見誤ってたとしか思えないんだよな、秀吉は >>109
そいつ等全員秀吉には恩あったけど秀頼には何もしてもらってないじゃん
秀頼が彼らの忠誠心を引き継ぎたければ特権を保護し新たな領土を与える力を示さなければならなかった >>128
まあ湿地だらけのド田舎だったからしゃーない >>109
でも同じくらい秀吉のために殉じた武将もたくさんいるんだけどそいつら家が滅んだから伝えられてないんだな >>109
みんな散々朝鮮侵略に駆り出されて領地経営を滅茶苦茶にされたのに何の保障もなかった家じゃん
そりゃ恨まれるよ そもそも秀吉だって信長の息子連中には別に忠義尽くしてないし
なんも問題はない、武家として当然のこと >>109
織田の寵臣でサルの簒奪に歯向かったのも柴田滝川佐々など数人 大昔フジテレビでウッチャンナンチャンがやってた歴史バラエティで
信長は江戸時代は人気なくて日本にナポレオンみたいな偉人が欲しい明治政府が作った人気ってやってて結構攻めてた内容だったわ 三英傑って人から言葉で聞くといいケツしてそうだよな >>109
戦国時代の言葉で7回、主を変えたら1人前だったかな?そういう言葉があるように1人の君主に尽くすという文化は日本にはない
江戸時代中国の朱子学が入って初めて1人に尽くすべきという風潮になった 臣下にしてからは見事なナンバー2振りをしていた家康を排除なんて出来るわけないじゃん
小牧からの一覧の流れで倒さなかった時点で終わり >>97
フロイスの日本史には
豊後は略奪と乱取りで荒廃したとあるね
連れ去りと逃散で人が減りすぎて、秀吉はわざわざ京都から犯罪者や無宿人や陰陽師を強制移住させている 信長だっていつの間にか斯波や足利をこえて天下人になったし
同様に秀吉も織田以上の実力者になって天下人になった
家康も同様に豊臣以上の実力者になったから天下人になった >>1
だからそれだと周囲に示しがつかないから
表向きは従ってるようにしてくれって懇願してたエピソードあるじゃん
しかもそれに従った家康もすごかった でもこいつ裏切ったら終わりやなって奴にそんな何でも任せるか?
そんな仲良くもなかったやろ >>142
御恩と奉公の時代だしな、戦国までの武士は
恩賞が満足できなければ別の主君に仕えるのは恥でも何でもなかった
守護大名に支えてた国人なんかはバンバン鞍替えしていた 大名同士に主従関係は存在しない
各都道府県の知事や市長は岸田の部下ではないだろ?
それと同じ >>130
室町幕府からも事実上独立してた強豪地だったけど 朝鮮出兵無しで国内をまとめる事って出来たと思うか?
それともいずれ破綻してたか? 秀次事件とか秀頼の生殺与奪権を家康に託して
実質秀吉が家康に禅譲したにも等しいからな
秀吉が秀次よりも家康を信用した理由
さっぱり分からない 家康に限らず子供できなかったことで家臣どもに足元見られたんだよな
少し待てば何とでもなる、と まあムカつく奴ならともかく織田信長時代は出世する秀吉と同盟弟分の家康は一目置く同士やったから真に対立するのは良くない気がしたんだろう >>153
徳川の派閥を粛清しないとどのみち長くはなかっただろうね >>155
家康はそれを恐れて是が非でも秀吉より長生きしようと
誰よりも健康に気を遣ってた ジャップ家康が信長や秀吉の家臣か何かだと思ってる節あるな >>17
親族言うても姉の子とか嫁さんの親戚とかそんなのばっかりだから
割とどうでも良いと思ったらどうでも良くなる程度の存在だよね 糞田舎の江戸に追いやったまではいいが、家康が江戸を繁栄させてしまった >>109に出てる面々も半分くらいは徳川に捨てられてるし
秀吉がどうこう言うより徳川が秀吉の死後うまくやったという話やろ 家柄も悪くて跡継ぎもダメなら周りからは相当下に見られてたのでは? >>23
秀吉も光秀も育ちが悪いからね
あまり武人としての美学とか矜持とかなかった。有り体に言えば下品なんだよね 秀吉に明を征服するだけの力はなかったんでしょ
明滅亡の遠縁になったとはいえ 当時の秀吉だって絶対じゃないんだから
大大名の家康には遠慮しなきゃならないのよ
さもなくばまた大きい戦いが始まっちゃうしね >>164
北条の時代でも小田原に次ぐ重要拠点だぞ >>164
マジレスすると当時の江戸は東日本の経済の要衝でかなり繁栄してた >>152
長年の戦乱にトドメは北条征伐で荒れ果てて
家康も領地の整備には苦労したみたいよ >>152
それは単に遠すぎて支配が及ばなかっただけだろ >>140
新政府は旧政府を悪者にしなきゃならないので旧政府(幕府)の前の時代の政府として信長を持ち上げたりとかもあるか 最初に豊臣を裏切ったのは毛利っていう視点がみんな欠けてるよ
死後の秀吉が一番に悔やむのは毛利を潰さなかったことだろう
加藤や黒田が毛利や宇喜多を牽制できるように配置すべきだった 家康が死んだ時秀忠は従一位右大臣兼征夷大将軍
秀吉が死んだ時秀頼は5歳児
権力を引き継ぐには生まれるのが遅すぎたね 秀吉は派手好みだから家康と違っていちゃもんつけてチマチマ改易するのが嫌だったんだよたぶん 信長の野望みたいにコマンド一つで臣下をどうにでもできるわけないのよ実際は
リアル社会でもそうでしょ、自民党トップの岸田さんですらも、自民党の長老とかベテラン議員には色々配慮せないかん >>167
信長の姪や娘を愛人にしちゃうのはちょっとね >>169
明王朝最も暗君とされる万暦帝時代の明に勝てないくらいだしな 東京と埼玉あわせた武蔵国の石高は図抜けていたからな
まずここからだろ 秀吉という強力なトップを前提にした五大老合議制とかいうウンチ
せめてあと10年生きろや 良くも悪くも地方の力が強すぎる時代だった
漢の劉邦なら大名全員ぶっ殺して自分の一族の者を領主に任命するくらいしてる >>168
秀吉が種無しだったのは当時の人々の間でも公然の秘密だったらしいなw
だからこそコンプレックスの塊だった秀吉は晩年には耄碌してまんまと託卵されてしまった訳だけどw
しかし当時の人間ですらそんな認識なのだから
秀次を殺して秀頼を後釜に据えた時点で
実質豊臣の血は断絶されたと考えた人間も少なくなかったのではないか 別に家康を支配できてなかったわけじゃなくて
後継者と反りがあわなかっただけだろ
現に徳川家の力で太平の世を築けたんだから
ほんとお前ら馬鹿だよな 当時十八史略とか金史元史あたりまでしか伝わってなかったら唐入りイケるんじゃね?って思う気がする >>154
信長と同盟を結ぶ
↓
三河の統一や今川武田など格上の大名の圧を受けて大変なのに畿内の戦争に動員されて信長を畿内まで支援に行く
↓
それだけ献身的に信長に協力してるのに武田との抗争で中々助けてくれない
↓
武田についた方がいいんじゃね?と考えた嫡男と正妻を殺してまで信長との同盟を守る
↓
本能寺でもまず三法師を擁して信長の仇を討とうとする。先に秀吉に討たれた後も律儀に織田家に相談してから甲斐信濃を接収する
↓
信長の息子信雄を助けるために動員兵力が桁違いの秀吉に1戦を挑み戦術的勝利をあげる
↓
信雄が秀吉に屈したのを見てやっと秀吉に臣従する
これだけ織田家に対して律儀だった人間だからね。俺にも織田家にやったように尽くしてくれって秀吉が期待するのも無理はないと思う >>179
それなりにやってるけどね
織田信雄とか佐々成政とか蒲生氏とか >>173
領地を整備するのは荒れ果てるところを直すと同じではないが
家康時代から関東の大改造がはじまった むしろ家康がすごい
秀吉が死んだ後の行動の早さが異常 >>192
粛清トップは豊臣秀長家と豊臣秀次家だろ 家康を味方につけて秀次を廃嫡しようって考えがもうあたおか
晩年の秀吉は完全に理性を失ってたよ 秀吉と小一郎と秀次が死んだ(自殺であれ死刑であれ)時点で豊臣は詰みだよ
仮に秀吉が政権転覆覚悟で徳川を潰していたとしても別の誰かが豊臣を潰していたよ 秀次とかいうボンクラ後継者がな
秀忠が有能すぎる二代目として >>18
当時は武士と百姓は明確に分かれてない
下級武士でも農業してたし農民でも身を守るために武装必須だった >>109
その中で秀吉の家臣と言えるのは福島正則と加藤清正くらいとちゃうの >>192
蒲生氏郷「部下に姓を与えて疑似一門構成か…拙者も関白殿下を見習って蒲生一門を作ってお家を安泰にするでござる」
絆で結ばれた蒲生家がなぜ潰されちゃうの…!😭 >>191
言っちゃなんだが嫡男と嫁は元々武田派だったのだろ
家臣団まで武田派が信康派で
信玄の暴れ次第で下手したら家康が粛清されるほうだったまである 秀次のポジションって有能すぎてもボンクラ過ぎても殺される超綱渡りじゃん >>201
晩年の秀吉の奇行の数々は
梅毒説が有力とも言われてるな
当時の大名の多くが南蛮から持ち込まれた梅毒にかかっていた >>131
毛利某さんとか大坂の主将格だったのに名前までコロコロ変えられる >>207
彼がもし有能だったら豊臣の天下だったと思うがな
アホすぎたのかそこそこ優秀だったから プレッシャーで発狂しちゃったのか真相は未だにわからんがどうあれ死んじゃった時点で豊臣は終わり
秀吉の息子はもちろん親類縁者含めても男の子が足りなすぎる 秀次ボンクラ説て秀次殺しを正当化するための作り話なんじゃないの? 小牧・長久手の戦いでもやらかしてるし普通にボンクラでは >>191
単純な律儀さではなく家康なりの損得計算の部分も結構あるけどね
例えば、信長の朝倉浅井攻めとかに参加したのは足利将軍の命があったからで
家康は朝廷や将軍との繋がりを重視していて
三河を統一してすぐにコンタクトを取って官位や三河守を貰ったりしている
武田と争うのは家康の方が主導的に選んだ方針で、むしろ信長の方が家康によって武田との争いに巻き込まれたとすら言える
そのほかのも大体そういう説明もできる >>211
未だに論争してるはず
状況的には秀吉は秀次が天下人には全くふさわしくない現代で言うと年収1000万2000万程度の人間でも殺せない
そして3者の年齢を考えると秀頼可愛さに殺した説もありえない
というわけで謀反を起こそうとしたと考えるしかないという話かな >>109
藤堂「むしろ秀吉が主の仇なんだが」
黒田「俺を助けてくれたのは北政所様なんだわ」
細川「身内の光秀も切ったのがうちだがそれが何か」
最上「娘の仇は取るわ」
福島加藤「三成だけは殺すから」 >>195
参謀の陰湿三河土人が相当入れ知恵したんじゃないかと思ってる >>195
権威だけで人がついてくる時代やないしね >>211
ルイス・フロイスは少なくとも秀次を高く買っていた訳だからな
キリシタンを弾圧していた恨みからルイス・フロイスは秀吉をこき下ろしてたと言われるけど
だったら何で跡継ぎの秀次を持ち上げるのか分からんし 一門のはずの小早川秀秋も大幅減封とかされてた(されそうになった?)よね
秀吉自身の意思なのか、石田三成によるものなのかはともかく
何にせよ秀吉が死ぬ頃の豊臣政権ってガタガタと言えるんじゃないかね 信頼できる人材不足やね
人たらしの名人って言われてるけど本当の友達は前田利家ぐらいしかいなかったんじゃないかな 三成重用した?のがだめだったんじゃね清正とか正則みたいな身内の文官おらんかったんかい まぁなんだかんだで信玄とやりあったり本能寺で殺されそうになったり秀吉とやりあったりしても生き残ってきた歴戦の男だからな
安全圏から喚くだけの三成じゃ相手にもならんわな まあ当時でも秀吉がボケてるとみなせば黙って従うわけでもないだろうし
秀吉排除しようとした秀次が秀吉周りの連中に潰されたとかなんかな お捨てが生まれたときに秀次は身を引く態度を示せないのがな。残念感ある 利害ある人と調整してうまくやる能力と信用できる人作る能力は別だもんな >>26
朝鮮出兵→豊臣政権崩壊
日中戦争→ 大東亜戦争→大日本帝国崩壊
ネトウヨが大好き日本の轢死
日本が失敗して滅びるのが大好きなネトウヨ >>229
ちゃんと成長するかも分からんし、秀吉自体がはっきりさせなかったのも問題だと思うぞ 北条とか領土野心が薄い一門を面子で滅ぼしてしまう ワンナウツ
毛利とか成り上がりの野心まみれの一門を重視、遠縁関係を結ぶ ツーアウト
関東を過小評価し遠方だからと徳川に国替えを命じてしまう スリーアウツ >>234
関東は元々は堀秀政に与える予定だったみたいだから評価低かった訳ではないぞ 秀次殺して連座で東国大名を片っ端から隠居させようとして家康の取次で助けてもらう
そりゃみんな家康支持者になるわ 朝鮮出兵した結果自分の子飼いの武将や従ってた武将たちの力が削がれさらに恩賞を与えられなかったから人心まで離れた
朝鮮出兵しなかった家康は力を温存できた ほんと徳川潰さなかったの謎やな
俺ならとことん追いつめるわ 関ヶ原の戦いの前に小牧長久手の戦いがあるように
文禄・慶長の役の前には東北仕置きがある
小田原征伐じゃなくて
東北での虐殺行為が朝鮮で繰り返されたのである
虐殺者秀吉にNOを
やはり戦国三傑では消去法で家康 >>215
しかし久しぶり登場のどうする家康では名前まで別人に… >>239
潰せないから全力で取り込もうとしたわけで そもそも家康だって地位1位だからこそ
朝鮮から戻ってきて恩賞ないやつらの不満の槍玉にあげられてもおかしくなかったし
言うほど圧倒的かというと綱渡り状態だったろ 一番有能だったの秀吉だぞ
信長があそこまで行けたのは秀吉のおかげだし
家康は秀吉の築き上げたものを全部横取りしただけ 三成にしたがうぐらいなら家康に従ったほうがマシだという結論になった
三成とか関ヶ原の戦い前に殺されそうになってるしな福島とかに >>229
引いたら頼りないボンクラとして再評価されることなく後世に伝わってること間違いなしだろ
引くってことは自分の家臣に栄達を諦めさせるってことやしそんなもん引けるわけないわな 江戸に追いやらなかったら朝鮮にも行かせただろうし違ったのかな 討ち取るチャンスは幾らでもあったが
家康が偶然もあって全て避けられた
本能寺の変も実は信長が家康を討ち取るためにお膳立てをしたら逆にやられたって説が有力 秀吉は織田家臣団に乗っかって政権運営してる以上盟友の徳川に頼らざるを得なかった 秀吉は跡継ぎ微妙で直轄地も少ないしどちらにせよ衰退しただろさ
家康はやることやっただけで別に凄くないと思う どうでもいいけど信長秀吉家康って奇跡レベルで語呂いいよな
アイウで終わる感じとか4文字とか秀吉家康のつなぎ方とか >>223
フロイスは信長の三男やねねも高く評価してたな 家康は自分の力も相手の力もわかってたからな
北条みたいに最後まで抵抗していれば当然滅ぼされただろけど
小牧長久手でなんとか命拾いして力の差わかって下ったろ
それでいいポジション維持できたしな >>249
どうなるか分からない幼児のために腰が定まらず関白の威信を傷つけたらそれこそ豊臣にも公家にもマイナスになるし、正直産まれた時点で詰みだよな
秀秋みたいによその家の子になる訳にはいかんし >>245
何言ってんのか分からんし
実際の歴史はその逆を行ってるし
ちょっと再考した方が良さそうだ >>234
ゴッドファーザーことビトー・コルレオーネの「味方は近くに置け、敵はもっと近くに置け」を思い出すな ・朝鮮の侵攻で部下を疲弊させた失態
・後継者の育成失敗
↑これだけでも致命的で家康がいなくても
遅かれ早かれ滅亡しただろうに >>258
秀秋も毛利に行かせるつもりが毛利家の小早川が無理やり引き取ったようなもんだろ 豊臣政権ってのは徳川氏との連合でできてるので
秀吉が家康潰すぞ!ってなったら
また天下取りのやり直しになるよ >>246
信長のやってきたことを半ば強引に引き継いだのが秀吉で、それを家康が真似したんでない? 秀吉が死んだあとの豊臣家って安倍晋三が死んだあとの安倍派みたいなものだよね 前面には出ないが裏でかなりの工作をして戦略的に有利な状況を作り出していたことを秀吉は気付けなかった
戦う前に勝敗を決してしまう状況にしてしまう
秀吉は戦いが始まってからの策しかできなかった 秀吉は朝鮮支配したら側近全員な朝鮮領土やるつもりだったが
朝鮮出兵が失敗して結果的に側近が全員疲弊するだけの結果になって
家康が兵力温存+最大勢力で残るという最悪の結果になった
要するに秀吉はドがつく間抜けだったの 滅ぼさなかったんじゃなくて滅ぼせなかったんだろ
こいつだけ突出して250万石とかなのに放置してるとか異常すぎる >>266
秀吉は戦略的有利を作らないまま北条やら九州やら攻めたの? 嫌がらせで江戸にしたのに2つ返事で了解したり
朝鮮出兵も江戸の工事が忙しいから断ったり
家臣も家康の考えてることがよく分からなかった
しかしあとになると全て対豊臣家に繋がっていた 秀吉「近くにいるとヤバいから関東に家康飛ばすわ」
家康「田舎に追いやられたけど石高増えた。小田原鎌倉は不便だから大変だけど交通に便利な江戸開発するわ」
もうこの時点で当時の秀吉より家康の方が上手になってるよな >>268
そもそも家康を関東に転封したのは秀吉やん >>268
>>267の通りで直ぐに明や朝鮮支配して
側近に大領渡すつもりだったから、家康に200万石以上渡しても危機感は全く無かったはず。
もはや妄想の域だが 当時の江戸はクソ田舎でもなかったんだろ
ちゃんと下調べせずに飛ばした秀吉の失敗 >>273
マジで明を支配できるつもりでいたんか?
結構なアホなのでは? >>268
信雄に頼まれて戦したってのが建前で
家康自身は従順に従ってたからな
それでも関東に左遷させられた
滅ぼすタイミングがない
家康の立ち回りがよかった 生きてる間は支配できてたろ
死んだら都合よく動き出したのは他の連中も同じだろ >>274
江戸の開発に相当苦労するくらいには田舎だったぞ
石高は増えたから良くも悪くもって感じだけどな >>109
サムライなんてヤー公と変わらんで
たけしが映画撮ってたけどあれは実態に近いと思うね >>248
黒田官兵衛も10万とか20万とか
有能そうなのには反乱を恐れて大して領地を与えない
つまり家康は秀吉によっぽど逆らわない無能だと思われていた可能性 家康のアレなエピソードって秀吉死後までないじゃん
五大老時代の越権専横がほぼ最初じゃん
見抜くなんて無理じゃん 光秀をそそのかして信長を殺させて光秀を倒して権力を握る
まぁ秀吉はかなり腹黒いやつだね >>283
短気でちょくちょくやらかしてるぞ
むしろ老いてからが隙が少ない >>264
秀吉いなけりゃ美濃攻略はまだ数年は時間かかってるし、中国攻略も他にできる人間がいない 小牧長久手が地震でうやむやに決着したのは不運だったな。まだ全国に独立勢力いたから急いだ面はあるんだろうけど。
そのあといちゃもんつけてでも徳川は潰しておくべきだった。
あと豊臣は三成と清正の仲悪かったのが致命的だな。あれじゃ滅びるわ。 >>275
明への勝利と朝鮮支配を見込んでた老害・秀吉と
したたかな家康では1592年の時点で知力の差が明白だったよな
秀吉は千利休を切腹させたあたりから耄碌してた とはいえ死後も豊臣軍団で盤石の構えがまさかの主力武闘派離反だからな
豊臣幕府でいれば譜代の重臣で居られたのにアホすぎやろ脳筋ども >>283
専横にしても誰かが上下の格付けを付けでもしなけりゃ速攻で分解しかねない体制だったし
豊臣を中央集権化させるにはある意味必要な気もする 家康的には成長した秀頼に会ってみたら
全然似てなくて色々察して
じゃあもういいかってなった説 >>90
戦国大名領国と江戸幕府の共通項は、外様に大身は与えても行政には参与させなかったことだと思う。行政は譜代以外は入れない、これは秀吉にはどうしてもできなかった。そもそも譜代の家臣団がいないから。 >>280
元々1国支配していた家系の家康と所詮軍師のかんべーが同じ立場なわけないでしょ
畿内から遠ざけられたという意味では家康だって同じだし関東の田舎に押し込めてる時点で警戒は十分してる
ただ大領を削る口実がなかったというだけの話 >>287
一番かどうかは知らんけど秀吉が有能なのは否定してないんだが 家康とは家臣の差
家康自身は信長秀吉より二枚くらい落ちる >>13
豊臣秀吉の評価はクソ高いぞ
知れば知るほど人生2周目と言われてもおかしくないレベルで正解を引き続ける化け物だよ >>291
てか秀吉に愛想が尽きてたんだろう内心
石田三成ガー!とか口では言ってもほんとは秀吉にムカついてたんよそいつらは >>286
エピソードだけ見ると若家康って
実は無茶苦茶血の気多いんだよな。 >>297
若い時はそうだな
でも歳いってからはそいつらの若い頃と遜色ないぞ バブル的支配と共産主義的支配の対立やぞ
成功者光秀ですら過度な競争に嫌気がさしてるのに 俺たちは歴史を知ってるからそう思うだけで
秀吉視点だと、徳川家康は忠実な部下だしね
むしろ秀吉が死んだ後に、まともな統治システムがなくすぐに瓦解しかねない状況
明などとの外交関係はガタガタでN o.2だった徳川家康は途方に暮れてたまであるかもしれん >>275
そうでもしなければ家臣や大名に与えられる土地がなかったんだろ
謀反を起こされないよう家臣に領地を与えるために戦争ふっかけてたのが戦国大名みたいなもので
秀吉はその延長 >>142
どうも武士階級が発生した平安時代から、家礼と家人、譜代と外様みたいな2種類の主従関係があったみたい。前者は人格的無制限な従属、後者は定量的なギブアンドテイク
今井兼平や平家長みたいに勝ち目も恩賞もなくてもただただ主君のために死ぬことを美学とする主従関係と、畠山重忠の「恩こそ主よ」という言葉に象徴されるビジネスライクな主従関係と、最初から両方あったんじゃないかな >>300
むしろ三河松平はそういのが殆どだからな
清康からして 日本平らげたら次は中国だろ
失敗しただけでそこに不思議は無いだろ >>154
秀次生かしておいたら、秀次派と秀頼派でやっぱり関ヶ原みたいな内紛になってたんじゃないの? >>307
まずサムライとは独立事業者みたいなものだろ
独立事業者の群れが武士団
社長が社員に何しようが勝手みたいなもんだ 家康はバリバリの武闘派だった青年時代
周到な立ち回りをしていき自分に有利な状況を作り出す戦略家の壮年期
そして豊臣家を滅ぼしてからは覆せない統治システムを構築する老練な政治家としての老年期
まるで別人のように変化していってるのが面白い
豊臣家を滅ぼしてからは半生を共にした武将たちを遠ざけて
内政が得意な家臣を中心にしていったってのも常人に出来る行動じゃない
徳川家康暗殺説が根深く信じられたり小説家がネタにするのも分かる >>274
古河公方足利家の血筋を残そうとまでした秀吉が関東に疎いとも思えないんだよな 家康は律儀者扱いだったしどんなに苦しくても信長のこと裏切らなかったからな
秀吉は前田利家と同じくらい信頼してた可能性があるしもし野心を抱いたとしても利家をはじめとした他の五大老が牽制するから大丈夫だと思ったんだろう
実際家康が野心をあらわにしてから天下分け目の関ヶ原になってるわけで秀吉のその目論見は大外れしてたわけじゃない >>314
成長出来る人間だったんだろうな
短気そのものは変わらなかったみたいだけど歳取るにつれマシにはなってたんだろう >>307
だろうね古典を読むと江戸時代以前でも主君に無私の忠義を尽くすことを美としている記述は多くある 結局のところ淀だろ
淀と三成が嫌われてた
北政所も家康を黙認してたから秀吉ゆかりの大名も動かなかった >>249
秀次家臣団なんて太閤からほいよと降してもらったもんじゃねえかなあ。累代の本領があるわけでもない。いわばまさに徳川の御三卿みたいなもんだから慶喜みたいに身を引く姿勢を鮮明にできたら秀次すごかったとも感じる。確かに難しい判断だが 家康は人質生活を経験して、桶狭間の戦い後に自立して改名しているからな。
小牧長久手も近いし、秀吉はその辺りの平民階級出身だし、のちに名乗り出た父親違いの兄弟とか
全員口封じで殺したりしてるし、小牧長久手でも地元民の協力が徳川側だったんだな。
そいで小田原後に家康を江戸に飛ばして駿府を子飼いで統治したが結局うまくいかなかった。
結局関西から西の九州なんかで秀吉が都合よかったのはキリスト教関連の統治なんだわな。 大名は下のもんを食わしていかなきゃならんので
アホ主君に忠義立てするのにもそら限度がある
当たり前のこと 秀次一族と家臣団まで皆殺しにして残ったのは5歳の秀頼だけ
こんなの家康にしてみたらその気がなくても、後はもう俺がやるしかねえじゃんてなっちゃうだろ
頭おかしくなってたんかなあ、秀吉 勝てないからと秀吉が死ぬのをずっと待っていた徳川のチキンさ 豊臣秀吉が日本史史上で最も能力が高かった人間なのはほぼ間違いない
奇跡としか思えない行動を何度も通してて瞬間最大風速で敵う人はいないだろうね
徳川家康は幼少期に人質として今川家にいる時代に
当時日本最高の環境でエリート教育を受けた素地があったのは大きいと思うわ 俺達は家康が天下を取った歴史を知ってるから関ヶ原の戦いで家康が勝つのは必然だと思いがちだけど細かくみてると全然そんなことないからな
毛利がもっと本気だったら豊臣家が家康を謀反者として断罪したら武断派が豊臣家への忠誠を取ったらとかちょっとしたことで勝敗がひっくり返る可能性はいくらでもあった
結局家康が勝って最終的に豊臣家を滅亡させたのは事実ではあるんだけどそこまで秀吉のせいにするのは酷だと思う 家康は常に最前線で生死の掛かった
戦い生き抜いて所領を守ってた武人(軍人)で
戦略と金勘定と根回しの政治力は高くても
自ら戦で所領を勝ち取ったことも
その所領を命がけで守ったこともなく
まともに刀も振れない秀吉にとっては
敵にまわすと厄介だったんだろうね >>332
家康はイングランドと同じ
戦に負けても立ち回りが上手いから最後には笑う まあ普通に考えて三成と家康で三成に天下とらせようと思う武将は多くないと思うんだよね 関ケ原は家康が書状送りまくったのと黒田長政がその相手に強いコネあった事で戦の前に決まってたって言われるな 武家官位でみると、豊臣政権の宿老の中で家康は明らかに別格の扱いを受けてるよね、秀吉の生前から。
上杉宇喜多毛利小早川は従三位権中納言止まり、前田だけ従二位権大納言。ところが家康だけが正二位内大臣左大将という隔絶した官位を与えられている。 秀吉が生きてる間は家康も何もできなかったから長生きしたもんが勝っただけ 秀吉も家康もミイラで残ってるはずなんだが、
実際にはどちらもよく調査されてるんだが公になってないんだよね。 つっても家康が死んだあとは奪われなかったんだから固め方が悪かったんだろうね 秀吉は父方が朝鮮移民のルーツが疑われる。のちの朝鮮征伐との因縁も疑われる。
家康は時宗にルーツがあり、時宗の本拠地が遊行寺で藤沢であって、
江戸が近かった。 秀吉と家康はとても近い親戚だから
お家騒動みたいなもんだな 大坂の陣で牢人が暴走してなければ東西分割統治で江戸大坂時代になったんじゃないの >>340
伊達みたいに墓掘り起こして遺骨の調査して
骨格から人相や声の復元までやらせるのはなかなかいないだろう
謙信も上杉神社の墓の瓶の中にそのまま保管してあるらしい 秀忠なんか秀吉の生前に既に権中納言だから、まだ世子なのに他の5大老家当主並なんだよな
晩年の秀吉は豊臣徳川の一体化を構想していたのかも 織田家臣の中でもピンで毛利滅亡寸前まで追い込むとか有能さの次元が違うよね 頼朝も秀吉も産ませなすぎ
バンバン子作りしなきゃ死後ガタガタになるのは当然 武田の旧領の大半と家臣団取り込んで、
北条と同盟組んで、
信雄後援してと、
秀吉に匹敵する巨大勢力だからな。 こいつ豪華な城とか邸宅作りすぎだろ。
大阪城、聚楽第、京都新城、伏見城一期、伏見城二期、名護屋城ってさ…
聚楽第壊すなら京都新城か伏見のどっちかにしろよ。
そして渡海までの一時的な拠点って位置付けの名護屋は豪壮な
城にしなくていいだろ。 >>326
奴隷とは日本人武士のことだろ
それなら家康時代も海外でバリバリやってたが >>345
家康は秀吉死亡時点だと豊臣一門の重鎮だからね
秀吉の義弟で、秀頼は息子の嫁の姉の子供だし
それに秀吉との約束を守って秀頼のことは一応何とかしようとはしてた >>336
利家が百万でも家康は300万から400万くらいだろ
そら格が違う 秀吉は豊国神社に歯も残ってるし、DNA調査はいつでも可能。
秀頼、淀君なんかのDNA調査も協力さえあればできないことはないだろう。
まあ日本じゃいまだに歴史調査でDNA調査はタブーだわな。 仁徳天皇陵古墳にも本格的な調査入らないくらいだからね >>347
その前に大坂が幸村以下牢人追い出さないとどうにもならなかっただろ >>333
それも戦に強いおかげともいう
長久手で負けなかったことが家康が最後に勝った理由だろ 秀吉は太閤桐を紋所としたがこれが明らかに国連のマークと同じ
オリーブの形なんだわな。実際秀吉にはオリーブのタネなんかは献上されてたんで、
オリーブオイルも食べていたみたいなんだわ。イエズス会に完全に操られてんだわな。
そいで家康は言うまでもなく名前そのものがイエズス会。家康改名時点で江戸幕府と天下人家康は
決定していた。 >>291
盤石って言うけど、5歳ぐらいの幼君っだけでも終わってるのに
その秀頼の後見を一族ではなく家康に頼まざるを得ない時点で全然盤石じゃないし
完全に終わってるだろ。 >>364
イエズス会のモットーは
iesus hominum salvator
hominumはホ=豊、omi=臣で豊臣のこと
sal は猿で、言わずとしれた秀吉のこと
Vは勝利
すなわち
豊臣の猿(秀吉)はイエヤスに勝利する者
という意味だったんだよ!!!!!!
https://i.imgur.com/CNt5gII.jpg >>367
本気にするなよいちおう・・・
近頃の嫌儲ではこういうの本気にとるやつがおるからなw 秀吉は千利休を切腹させたけど弟子が古田織部でいわゆるへうげもので有名だが、
織部はオリーブのダジャレらしいとは漫画でも言われてた。
秀吉自身も京都の教会に足を運んだりしていたらしいが、公家の娘を大坂城に集める趣味がやめられなくて
九州で禁教令を出したらしい。それもあって石田三成がキリシタンの磔をやったりして
関ヶ原の戦いに繋がるみたいな感じになっている。実際家康は配下にはキリシタンは少なかったみたいだけど、
貿易なんかでも好意的ではあったみたいだな。まあ実際イエズス会に入信してるキリシタンからしたら、
イエズス会そのものの名前みたいな有力武将だからな。そらこいつが次の天下人に違いないと思うだろうな。 >>354
城作りは公共事業なんや
戦がなくなったから仕事に溢れたやつのための職業斡旋の意味合いがある。 当時日本全体で2割くらいの人口がキリシタンと目されていたらしい。
まあ大名がキリシタンだとその配下全員キリシタンという数え方らしいが。
貿易なんかで絶大な富を得ていたんで九州始め本州も要所はキリシタン大名だったらしい。
まあそういう状況なんで後に禁教令しこうがイエズス会の名前そのものの
徳川家康が天下とるのは間違いなかったんだわな。歴史を刻んでんだ。 >>371
近年いろいろ分かってきてスペイン牽制の為の朝鮮出兵は理に叶ってる可能性あるんよね >>370
前工業化社会に「公共事業で仕事を増やしたんだよ」説を当てはめるのはどうかと思うけど
公共事業で仕事が増えて景気が良くなるのは、生産力が有効需要を越えて肥大化して生産設備が有休せざるを得なくなった工業化社会にのみ当てはまる話。前工業化社会では、普通に農業生産高が社会の富の総量であると考えるべき。 当時のローマ字表記だと家康はifeiasuあまりiesusとは似てないぞ >>13
天下取りまでは有能さランクSSS
秀次事件から死ぬまでの晩節はランクG
だから 秀吉は権力使って徳川家を潰すことも出来たかもしれんが
それをやってしまうと、完全にパワーバランス崩壊して逆に自分が苦しくなる 朝鮮征伐は千利休の切腹後でイエズス会の天正遣欧少年使節帰還後の
教皇の直接の文書を受けてだから、秀吉自発というよりもイエズス会の強い働きかけで
始まったのが事実だろうな。もちろんキリスト教は一切否定するだろうけど。
その位ザビエルの頓死もあり中国への布教は悲願であり、
事実秀吉の朝鮮出兵で明はイエズス会を受け入れ、しかも
加藤清正なんかが接近したヌルハチ・ホンタイジらがそのまま明を倒して清を建国してる。 秀吉は朝鮮征伐の直前にスペインの船を購入しようとしていたそうだが、
イエズス会側は布教責任者の交代などもあり拒絶して、むしろフィリピンを拠点として
日本征服を検討していたらしい。そういう状況での朝鮮征伐なんで、しかも先方の小西行長は
熱心なキリシタンで宣教師が同行して朝鮮で布教してた。
まあ客観的には完全にイエズス会の駒だったんだな。秀吉も家康も。 もし豊臣が統治し続けてたらその後の歴史が大きく変わってただろうな
俺たちも存在すらしてなかっただろうし 秀吉も天意あったけど死んだ時点で天に選ばれたのは家康だった 「ノブナガ凄い」説は宣教師の報告によるところも大きいけれど、あれもどこまで信用できるかよくわからないんだよな
フロイスは信長の御前で日蓮宗の坊主をコテンパンに論破してやったぜ!みたいなことを書いてるけど、その十年後のヴァリニャーノの報告書では「フロイス師の日本語力はかなり限られたもので、同じクリスチャンの日本人との意思疎通にも支障があり、まして異教徒の日本人に説教など不可能である」と書いてるそうだし >>51
政治力でひっくり返したけど小牧・長久手で完敗しとるからな 現代でもまともな跡取りいなきゃ相手にされんからな
支援者は自分の生活が第一でまともな跡取りいなくて
本人死んだら終わりなんて危なっかしくて応援できない
権力者交代したら確実に敵だから冷や飯食うことになる >>370
当時の城は安土だろうとどこだろうと付近の住民を強制動員して作る代物だろ むしろ今より昔のほうが直系じゃなくても優秀な養子なら認められてたと思う
ただ晩年まで決められなかったの未練あったんだろうな
手ごまになる家臣団は育成してたのに ちょっと前の室町時代中期までは母親の家格が低いと継承候補にはなれないという古代以来の母系制の名残があったけど、ここらへんを境に男系血統最優先になる端境期でもあるんだよな >>384
安倍が死んだから安倍派は瓦解したようなもんだな
死んだらそこで終わりというわけだ >>391
いや古代から皇室も古代豪族も公家も武家も父系主義だろ 奴隷を廃止したのはイギリスだけ
それ以外は身分差別と奴隷で成り立ってた
今の価値観で当時を都合よく脚色するなんてばかばかしいわよ 謙信に子どもがいれば天下を獲れたものを…くやしすぎですぞ そもそも論で言うと中世の土人思想で生きてた人物を現代の価値観で焼き直してるのがアホ過ぎるわな
普通にクソみたいな連中だよ戦国武将とか
それに現代人が憧れるとかマジで頭おかしいんじゃねえのと
戦国大名のそれに近い事を現代でやってるのはイエメンとかソマリアの武装勢力のリーダーだけど
じゃあコイツらを尊敬しろって話だよ >>393
父系は必要性条件、母系は十分条件じゃないの?
光源氏だって「いとやんごとなききはにはあらねど」と言われてるのは、母親の血統のことだろう イエメンとかソマリアの武装勢力のリーダーって戦国武将に似てるの?
詳しく 家康も別に豊臣政権下で家が栄えるならそれはそれでよかったかも知れないけど
体制を固めきれないまま朝鮮出兵で各大名に不満が溜まった状態で秀吉が死んで
乱世に戻りかねなかったから自分で天下取るしかなかったな 結局立地ガチャに成功しただけだろ
もし信玄公が東海表にいたら天下どころか世界統一しとるわ >>383
信忠はマシだったろうけど信長と同じ時に死んじゃったからなあ >>399
朝鮮出兵以後の文治派と武断派が闘争し始めて両者を抑えてた前田利家が死んだのがね・・・ 尾張義直なんかは母の出自がコンプレックスだったらしい 秀吉の大陸への野望ってどういう経緯なんだろう
手下に領土与えるためってだけじゃないよな
へうげものだと信長の遺志みたいな扱いだったけど実際どうなんだろ
あの時代に中国(明)に喧嘩売ってやろって思う感覚がわからん
周りも無謀って認識が多かったろうしやっぱボケて過小評価してたり老いによる焦りだったんかな >>407
井沢元彦史観だと偃武目的だな
武士の頭数を減らす。元が南宋の兵力をジャに放り込んだのと同じ >>407
領土野心ってより戦国終わってもそれで食ってたヤツらが大勢いる中で安定させるには外征しかなかったってことやないか
軍需扱ってた商人達の交易拡大のニーズもあれば武将や兵士達を食わせなきゃならないし
朝鮮の役で大半が処分できたり没落してくれたのは好都合って側面もあったり >>407
太閤検地でもうわける土地がないのが確定したのも影響してるよ
信長の代ならむしろ日本は世界三大国的な頭が残ってたろうし >>407
ヒトラーのソ連侵攻と同じようなもんじゃないか
戦争を続けなければ経済が破綻する状態だった
> …このためドイツ経済は過熱し、生存圏の拡大か軍備の制限かという二つの選択に迫られた。ヒトラーは前者を選び、反対したシャハトは閑職に追いやられた。 ナチス・ドイツ - Wikipedia 家康討伐の大義名分がなかったって言うけど
家康は「国家安康」に難癖をつけるという無茶苦茶な大義名分で豊臣討伐してるからなあ 秀吉ってぶっちゃけ天下統一できてないよな
同盟みたいな感じ >>407
センゴクでは寧波を開港させて交易路を獲得すんのが目的だったんじゃないかとか書かれてたな
明に対する要求で凡そ通りそうにない内容の中で一つだけ交易についてのななんとか飲める要求が入ってるあたり説得力はある 家康がいなくても遅かれ早かれ豊臣政権は瓦解したろうし
晩年の秀吉から見れば家康は豊臣政権の大黒柱なんだから粛清なんてはのはありえないよ 秀吉は小牧長久手の後に再び家康を討とうと準備していた
石川数正の出奔なんかもこの時期
ところが大地震が起きて秀吉側の前線に位置する地域が壊滅的な被害を受け(家康のとこはそれほどでもなく)戦どころではなくなってしまった
その後は九州方面の制圧に力を入れるようになる >>8
秀次生きてても結果は変わらなかっただろう
家康に太刀打ちできるものなんてあの時代には一人もいない 家康を朝鮮へ送り込まなかったから力を蓄えさせてしまった 秀吉が生きてる間は「徳川」家康じゃなく「豊臣」家康だからな
便宜上今は全部徳川だけど秀吉が生きてる間は妹の夫で立派な豊臣一門衆 関ヶ原はあくまでどちらも豊臣家のための戦いだからな
だから秀吉に恩のある者も東軍についた
関ヶ原で徳川の天下へ移るのが決定的になったというのは後世の見方
三成が嫌われすぎてたのがな >>423
せやろかな?
みんな本音ではわかってた 秀次を殺さなくても唐入りの失敗を諸大名に詰められて
豊臣政権は瓦解しただろうな 結局秀次のおかんが
大砲ごときにビビって和睦しちゃうから
アレがなければ豊臣家はまだ続いてた >>431
秀頼の母な
茶々は側室だし織田信長の一族であり浅井長政の娘だから豊臣家への思い入れがイマイチだった
豊臣家を裏で支えてたねね(信長が手紙を送るくらいの器量持ち)は大坂の陣では蚊帳の外 そもそも東の方の大名には豊臣家そのものに恨み持たれてたから
駒姫の一件が致命傷だけど
そんな中、関東に追いやられた徳川とか完全に神輿にしてくれって言ってるようなもん 秀次はノリノリで秀「次」って名前に解明して秀吉の後継者になる気満々でウキウキだったのに秀頼が産まれて全て終わったな
秀吉は血の繋がった秀頼に豊臣家を継がせるため、秀次にイチャモンつけて切腹させたもんな
豹変と決断と実行が速すぎるメンヘラ、秀吉 >>407
戦争やめたら食っていけない殺し方しか知らない戦闘狂の傭兵が多かったんだよ
秀吉は外に向けたけど家康はオランダに渡した >>435
継がせてくれないのがわかって
秀次が暴れまわったのが悪いだけちゃうの
しゃあなしに切腹 秀吉が人たらしだと言われるが
その秀吉に律儀者だと言わせて完全に信頼されてた家康が一番の人たらしだと思う
つか、千姫と秀頼に子供ができないように淀殿が邪魔してたって説があるが
千姫と秀頼に子供ができてたら、豊臣が結局は潰されてもおそらく秀吉の血筋は残ったんだよなあ
名字は松平になってたかもしれないけど つか家康がいないと政権運営できてなかったんだから殺せるわけないだろ >>98
昔は養子を迎えて家を継がせるなんてのは当たり前だったし
今と違って実子かどうかってのはあまり関係なかったと思うぜ
秀吉も秀頼の行く末こそ心配だったろうが
政権に関しては秀頼さえ無事なら徳川が取っても仕方がないくらいに思ってたんじゃないかなあ 豊臣関白政権をぶっ壊したのは徳川家康じゃなくて
秀吉自身
関白秀次政権をクーデターでぶっ壊したからズタボロに
朝鮮出兵も伏見城築城も全部、関白秀次の命令で行われていた 豊臣関白政権で朝廷と一体となった行政機構がどんどん整備され
関白秀次の名で朝廷から全ての行政命令が全国の大名に下されてた
秀吉がこうしようと思ったことも
全部、関白秀次名義の命令だった
クーデターで関白豊臣秀次政権をぶっ壊して豊臣政権システムをぐちゃぐちゃにしたのは秀吉自身 >>438
家康が人たらしたのもあるだろうけど
東側の大名が神輿にしたのも有るぞ
そのぐらい晩年の凶行で豊臣家嫌われてた
秀吉生きてた頃は怖くて反抗できなかっただけで >>210
秀頼が生まれちゃった以上は
優秀なら優秀で結局は排除対象だわな
あと、後継候補が多ければ多いで跡目争いになる可能性もあるから
多ければ良いってわけでもない
実際、信長は後継も複数いたが家臣で内部分裂が起きて
結局は秀吉による簒奪を許す事になったしな
>>431
大砲ごときって
それで淀殿の侍女が8人くらい即死したんやで
当時の砲弾は炸裂しないから人的被害が大きかったのは偶然なんだけど
淀殿からすれば、自分や秀頼がこんな被害を受けたら…って考えちゃうのは当然だしな >>261
家康を危険視してたなら家康を西国に飛ばして唐入りの総大将にすればよかっただけなんだが、そうせずに東国の押さえにしてるんだから危険視どころか信用してたんだろうね >>447
九州なんかに飛ばしたら独自勢力になる可能性があるからね
足利尊氏が何度負けても、九州で力を取り戻して東に攻め込む故事もあるわけだし 信長と家康は分家や守護代レベルといえ親ガチャ当たりで
スタート地点が圧倒的に違う。
秀吉はせいぜい人足何人か集められるかの侍大将レベルだから
個人の有能さでは秀吉が圧倒適に上だな 正直山崎から賤ヶ岳辺りまでの戦績というか時代の流れというか、
その辺が全て秀吉に味方したというか、余程の幸運に恵まれたとしか思えん
柴田家滅ぼした時点でもう天下に敵はいないから、小牧長久手で局地戦負けた所で
畿内と朝廷抑えてる時点で家康に打てる手なんて無い
豊臣政権が滅んだのはロクな後継者や側近がいなかった事と、外征の失敗とか
家康に領地割き過ぎたとか色々あるだろうが >>431
というか挑発に乗って開戦しなきゃよかった
家康よりは秀頼が長生きするのは当然だし、家康が死ぬの待っても良かった
淀君が色々と我慢できなかったのが敗因 秀吉があと10年長生きしてたら、劉邦や朱元璋のように粛清モードになってたよ 秀次って姉の子供だっけ
だから秀吉と大して変わらないんだよな成り上がり感では
秀頼は信長の妹の娘の子供で織田と浅井の血を引いてる武士の子供だから
実子かどうかも大きいだろうがそういうバックボーンの差もデカかったんだろうと思う >>178
権利の源泉に摂関を選んでしまったのが結果的に敗因になってしまったな
この職は性質上幼少だとなれないから無理矢理就任することができない
秀次のままなら問題は無かったのだが >>456
そもそも戦国大名という「武士」は建前上、朝廷直下の関白より武家の棟梁を心情的に選ぶから武家を纏めるなら征夷大将軍のほうが都合が良いんだわ まあ永続的な体制という点では確かに家康の方が一步上だったが、
個人ではなく徳川一門の力でもあるよな。
鎖国は家光だし >>453
はやばや後継ぎ決めて家康と秀忠でガチガチに
体制構築してたから時間は味方しないぞ。
なんなら戦ってる最中に家康が亡くなるのが唯一の
勝機だったのかもしれん 本当に農民だったの?それとも貧しいなりに武士の子? >>462
戦国時代だとその区別じたいあまり意味なさそう 没後に関ヶ原や大阪の陣を起こしたことを見れば生きてるうちに滅ぼすべきだったよな 兵農分離以前何だから意味ないよな
戦の時は家から1人足軽働きをさせられる
たぶん自分の土地を持っていた自作農で名主や庄屋レベルかもしれん
実の父親の遺産が少しあったくらいだし >>422
名字と氏が混ざってるぞ
徳川に対応するのは羽柴
源に対応するのは豊臣
なお家康はどちらとももらってる まあ天下取りするのはわかってたんじゃないの?
正室と子供殺してまで耐える男だし 秀吉没後に少しかき回したら利家出てきて引いて死んだらすぐに浅野前田を切り剥がしたしね 秀次粛清が意味わからんよね
秀頼後継にしてくれよな!ってくらいでそのまま秀次でいけなかったんかね
淀君もいるんだしさあ
仮に後継にされなくてもそこまで悪いことにもならんだろ
秀次がよっぽどボンクラで態度悪かったとか? >>446
織田の場合は嫡男の信忠が本能寺の時に早まって自害してしまったから
織田家や豊臣家の行末を見てきた家康は自分が健在なのに秀忠を二代将軍にして反対する者はどれだけ恩義があっても粛清した >>470
いや一旦権力を渡してしまったらもう戻って来ないよ
それが世の常
秀次個人に変な気はなくても周りが手放さない 金ヶ崎の退き口で秀吉を救援したのが織田家の家臣でなく家康だよ🤔
家康をかなり信用してたと思う😊 >>473
家康こそが人たらしでまんまと狸に騙されたってことだろうな 関ヶ原の前に家康と三成が諸大名に送った手紙の比較をNHKで昔やってたな
簡潔でありながら人の心を掴むような家康の手紙と
無駄に長くて理屈っぽくて何が言いたいんだかよくわからない三成の手紙
どこまで史実かわからんけど
死の床についてからの家康と諸大名のやり取りも面白い >>473
あわよくば死んでくれねーかなってとこじゃね? >>64
結局現代でも安倍家が滅んだのと同じだよな >>474
狸っても、家康も状況によっては豊臣のナンバー2のまま一生を終えた可能性もあるからねえ
少なくとも三成が挙兵しなかったら幕府なんかは開けなかったし
その三成の挙兵なんかは、豊臣とは無関係の三成自身の復権って自分の都合も大きいわけだし
豊臣を潰す事になった戦犯の第一は三成と言ってもいい 遅くとも利家の死後に福島たちが三成を襲撃した事件の時には家康は「三成の一挙手一投足が使える」と気付いただろうけどな 安倍ちゃん亡き今の安倍派を見てみろよ
秀吉亡き後の豊臣家もそんなもんよ
三成は塩谷や世耕みたいなもん
なんであんな奴に従わなきゃいけないの?って話よ 小牧・長久手の経緯を見ていると秀吉の戦下手が目に付く
打つ手のすべてが悪手、家康に裏読みされて兵力で優位に立ちながら
森長可や池田恒興を討ち取られて大敗、反面家康は奇襲と側面攻撃で
秀吉軍を悉く打ち破り、その采配が光る
この結果家康の武名が天下に示され、豊臣への臣従後も確固たる地位を維持する
こととなったわけよ
このせいで秀吉は家康を完全に臣下におさめられなかったのは確かだろう 晩年のあれこれは徳川に安定した時代を作らせる為に振る舞った説とかはないの? 毛利は貴族階級で処刑できないから三成が全体責任者の扱いになったらしい >>482
池田や森は勝手に自滅ムーブしてやられたが、秀吉麾下の主力本体は大して痛手受けてないしなぁ
むしろ家康が局地戦で勝てても諸大名はほぼ秀吉支持に流れた
そこがポイントであった
まともに戦っても持久戦になろうと絶対勝てない事を家康が一番判ってる展開で、
その上で信雄を籠絡された
信雄の領地はほぼ秀吉が抑えてしまっていて、続けてもジリ貧以外の展開が見えなかった >>478
正信が言っていたらしいな
佐吉は幕府の裏功労者だとか
秀康も左吉からもらった正宗を大切にしていた もし関ヶ原なしに家康が大阪城に居座り続けたら、豊臣政権の機能を少しずつ接収していって、結局同じようなことになったんじゃないの? もう豊臣政権内には正攻法で家康を掣肘できる人間はいなかったんだから
水戸光圀の時代に既に「三成は徳川のためには謀反人だが、豊臣家のためには忠義者であった」と言われてるくらいで、三成の挙兵の目的が家康による簒奪の防止だったという考えはみな持っていたんだろうな。 >>482
森、池田は元同僚だからやられるならやられるで構わないくらいには考えてたと思うけど >>140
戦前の楠木正成と山中鹿之介上げは現代では考えられんな >>488
いやー豊臣家の存続が差し迫っていたなら秀吉に恩義がある面々は東軍につかないでしょ
家康の大義名分は淀殿から送られた手紙を利用した豊臣家のための戦いなわけで >>491
官位から見てみると、家康はこのとき既に内大臣左大将という一人だけ隔絶した地位。これって歴代室町殿や後の徳川将軍にも劣らない、そのままで武家の棟梁に十分なりうる官位なんだよね。他の五大老なんか秀忠と同じ権中納言。
秀吉が死んだ時点でもう天下は家康のものだとみんな思ってたんじゃないかなあ 秀吉の世話になった世代も1620年代くらいにはどんどん減るわけだし徐々に衰えるよね
織田、足利、上杉、多くの守護大名らと同じ末路 >>482
秀吉は極端な進軍の速さとか、城攻めの工夫とかは凄いけど
真っ当に向かい合っての野戦で強いイメージはないな >>491
当時の武士の倫理としては、自分の身分を保証してくれる側につく
朝鮮で渡海組は三成ら奉行衆に対して「こいつら俺たち潰すつもりじゃね?」って疑念があり
そんな連中の主力、黒田長政や福島正則、加藤清正あたりは家康の養女を娶っていたから当然家康側につく ヤクザの工藤会と似たような状況やな
抗争相手と合併してひとつになったもののトップの溝下としては相手の実質トップだった野村には最大限の配慮をせにゃいかんし自分の寿命が見えたら野村に跡を任せるしか無かったという >>494
賤ヶ岳も玄蕃のポンからの進軍速度が異常やしなそら前田も負け確判定して逃げるわな 鎌倉足利幕府の揉めっぷりを見ると三傑の権力移動劇もまああるあるかなと思う。ただ動く兵数が桁違いにはなったが。歴史の進歩やね >>488
ただ、関ヶ原後のような電撃的な行動はできないし
そうなると、家康にも寿命(関ヶ原の16年後に死ぬ)があるから
関ヶ原がない場合にどうなったのかは微妙な所だと思う
関ヶ原後に豊臣の力を削る事ができたのも征夷大将軍って権力のおかげだしね
秀忠には天下取りはおそらくできないから
家康が生きてる間に二代継承までやらないと、徳川が天下を取ってもどうなるかわからんし 秀吉も三河じゃなくて別の場所に領地替えすりゃよかったのに開墾したら石高が三河超えましたは笑う >>436
これな
大坂の陣の時は浪人が強すぎて和睦後に浪人たちを追い出したくても追い出せず結果豊臣完全消滅しちゃったし >>500
伊達もそうだけど、関東以北を
あの辺クソ田舎で何もないやろ、みたいにタカ括ってたのは
関西人ならではの発想だろうな
単に開墾が進んで無かったってだけなのに 家康を関東に封じ込めるなら、誰か信頼できる対抗者を上野に置くべきだった
それは景勝だろう。会津なんて山ん中で冬に動きが取れない場所に追いやるべきでなかった
賤ヶ岳の勝家で分かってたはずだろうに 秀吉は朝鮮との関係が改善されるにつれて過小評価される様になった
信長も大悪人だったし家康は薩長閥が強い間は長生きしただけのラッキーマンで基本的にその時代の空気によって評価が変わるだけ >>504
上杉景勝如きに家康をどうこうできるわけないじゃん
それに秀吉から見れば家康の方が身近で信頼できる人間だよ
あと会津はそこまで雪深くないし東北の要衝
ただの片田舎になったのは明治になってから >>504
一瞬悪くないなと思ったけど、とすると景勝は越後-上野にまたがる領国を持つことになり
結局それって北条に戦略で負けて領土奪われていった謙信の二の舞になるだけだよな >>506-507
上杉景勝1人ではもちろん対抗できないけど常陸に佐竹がいる
それでも勝ちはしないが、重要なのは徳川本隊を西上させないで関東に張り付けにする
ことだと思ってる >>414
徳川宗家現当主で徳川記念財団理事長の徳川家広さんが
「天下統一したのは間違いなく秀吉です
大体全国どこ行っても太閤様に臣従したって足跡が残ってます」
とか言ってたよ >>508
現実に会津に貼り付けることはできなかったし、伊達政宗の日和見や兵力差がありながら最上すら滅ぼすことができない有様だからなあ
佐竹にしたって家康が小山まで出張ってきたんだから、側面・背後をつくチャンスだけど何もしない(というか佐竹家中は大半が家康派)
そもそも直江状は捏造で、上杉は前田の次に家康のターゲットにされて一方的にイチャモン付けられて右往左往してただけって見方もあるわけで
家康の近所に配されてれば、東海道の秀吉子飼いの武将達のように家康のワンコになってただけかもしらん
上杉も佐竹も大坂の陣じゃ豊臣方と激戦を演じてるわけで、つまるところ御家第一なのよ >>509
秀吉が島津とか北条みたいな朝廷の意向を無視する地方大名を抑えたから
家康は労せず天下を禅譲できたわけだしな
9部9厘秀吉の段階で日本は統一されていた 家康を倒す準備してて確実に倒せてたけど大地震が起きて無理になった
家康は強いから
秀吉の寿命が尽きる頃に天下統一しても意味ないから妥協して同盟した >>447
北条を臣従させる試みも小田原征伐後の関東の統治も
家康頼みだったんだよな
家康の家臣を北関東のどこに配置するかも
いちいち口出ししたみたいだし
関東移封は普通に頼りにしての判断のように見える >>45
それこそ朝廷ありきで大名をどうのこうのするしか出来なかったってことでしょ
全国津々浦々まで支配する国家構想は無かった >>208
現代ジャップでも似たようなことが起きてるな 一代で統一しようとせずにさっさと秀次後継で固めて
統一は秀次以降に任せたら良かったのに 家康だって幕府開いた当初は大名の顔色伺ってゆるい統治しか出来なかったしな
締め上げてったのは完全に敵がいなくなった秀忠、家光の代になってから >>517
島津、毛利、上杉は許されたのに長宗我部は酷くね? >>518
家康は名門好きだからね島津は表向きは頼朝庶子で毛利は大江の後胤だし >>511
全国的な統一的な太閤検地から基本的な枠組みは秀吉が作ったわな。
信長の遺産の部分もあるけど。 >>503
日本の中心になるのをわかってるから家康に任せたんだろ
だから土木工事に忙しすぎて朝鮮出兵いけません><なんて言い訳許してんじゃん 日本史は詳しくないけどいざ参戦
途中でご飯食べるかもしれないけど 以前のスレだと家康に鎌倉と江戸を任せたのがよくなかったっていう話しじゃなかった?
秀吉から遠く離れた、交通の要でもあり、立地のいい場所でコツコツ準備できたみたいな >>208
梅毒ってキレやすい馬鹿になるのか
いるよね、そういう人 北条が謎すぎるよな
誰が考えても秀吉に負けるのに戦ってやんの
まじで意味不明だわ 後から見りゃそうなんだけどリアルタイムで当たり前だったとも限らない
中世武士は武威を示さないと子分に見限られる可能性があるからね
それはそれとして秀吉が実は滅ぼしたがってて誘いに乗ってしまったという可能性もある >>526
別に北条だって積極的に戦いたかったわけじゃない
北条氏政が上洛して頭を下げることも予定されてたが
うだうだやってるうちに言いがかりをつけられて一方的に攻め込まれたようなもん
それから秀吉もそこまで楽勝モードってわけでもなく
小田原のしぶとさに苛ついてて前田利家に癇癪を起こしたりしてる
ちなみに家康の関東移封は北条を臣従させられず小田原攻めに至ってしまったことへの「懲罰」という見方もある >>518
家康は毛利を潰す考えもあったようだけどね
家康に内通した吉川に毛利領を全部渡そうとしたけど流石に頑強に固辞されて諦めた的な >>518
長宗我部盛親は、徳川との交渉(謝罪)に当たってた兄を殺したり、その他内紛やら一揆やらがあったからね
国替えで済ますという話もあったようだがそんなこんなで全て取り消し 数百年後から見たら今の政治も
なんで清和会は1人居なくなっただけでボロボロになるの
なんで二階は処分されず息子が継げるの
とか思われているだろう 小牧・長久手で殺せなかったのが痛い
家康もよく秀吉に逆らおうと思ったな
秀吉がゴリ推してたら家康の負けだろ? >>513
戦国時代は坂東から始まったようなもんだから、家康くらいの人物でないと坂東は治められないって判断だよね
高位にしたのも統治を円滑にするため
そしてさらに会津に蒲生を配置して東北を収めようとした >>532
ごり押しできないから
妹を家康の嫁に出して母親まで家康の元に送ったわけでな >>532
主家の織田家を滅ぼすのは世間体が悪すぎるから
最初から信雄を降伏させる為の戦やった >>532
家康負けたら死んでたけど雑賀の方が大反乱起こしてたから秀吉もそっちに戦力回してたわ
秀吉包囲網みたいのがあった 家康って信長が健在な時からあくまで同盟関係だろ?
信長も家臣にしなかったんだな いっても、家康以外関東収める適任いないんじゃないかな。北条氏直が若くて死んだの誤算だったんじゃないの、相模、西武蔵あたり
を収めさせる心づもりたったきもする。結局北条いなくなって、徳川に頼らなくては行けないって感じになって。 家康が好き勝手書き換えたから家康の話は話半分で聞いとけ >>538
駿河を与えたことでも分かるように
信長晩年は完全に主従関係になってる >>538
今では完全な主従関係だったのでは?って感じになってるな
確かに同盟者が討たれたとはいえ、主従関係もないのに明智への仇討ちをしようとするかな?って疑問があるし
清洲会議には直接出てはいないが、その決定は尊重する的な誓詞は出してるようだし
織田家の後継問題に口を出さなかったのは
国力としては織田家内では抜けてるが、主従関係的に新参者だからって事なのかも
>>540
維新の時も大阪遷都は検討された >>538
形式上は部下だったけど信長は信頼できる仲間扱いしてた感じ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています