「慰安所」 旧日本軍がつくった
「満州事変」当時 防衛省文書で判明
https://www.jcp.or.jp/akahata/aik24/2024-04-11/2024041112_01_0.html
日本軍が「慰安所」制度を「満州事変」当時につくっていたことを示す文書が防衛省内にあったことがわかりました。
この文書は『満洲事変陸軍衛生史』第6巻で、「昭和12年(1937年)11月20日調製(作成) 陸軍省」と表紙にあります。

文書は、「満洲事変」(日本軍による中国東北部侵略)当時の陸軍での花柳病(性感染症、性病)予防の状況などを記載しています。
陸軍の上海派遣軍で性病予防策として慰安所をつくったことをうかがわせる記述もあります。

「上海派遣軍守備区域内において特に軍官憲の許可を得て営業する陸軍娯楽場の取締を規定する」とあるように陸軍が管理し規則も作ったと明記します。
その理由は「脱院患者の支那少女強姦(ごうかん)事件」が起き、類似の事件がひん発する兆しで軍隊に性病が増加したので、予防策で2カ所に「軍娯楽場」を設営したと書いています。

防衛省から「平成5年8月調査後発見分」として内閣官房副長官補室に今年3月8日に届けられたとしています。これは「河野談話」(平成5年〈1993年〉8月4日に政府が発表した談話で、
慰安婦関係調査結果発表に関する河野洋平官房長官=当時=の談話)以降、発見された各省庁の「慰安婦」関係文書を内閣官房に集めるよう、同官房から通達が出ていることにもとづく措置です。
日本共産党の紙智子参院議員に明らかにしました。

これまで各省庁から多くの文書が内閣官房に届けられていましたが、ここ数年はその数が極端に少なくなっています。
紙議員は「今回ようやく補室が文書を受け取ったが、政府は『慰安婦』問題を軽視している。その姿勢を改めて、民間資料も含め収集する体制が重要だ」と言います。

(続きはリンク先で)