大城勇一さん
結局、自分たちの身を守るために、兵隊にとって沖縄の住民は邪魔者だった。兵隊はわれわれは沖縄を守るために来たんだから、お前らは軍の言うことを聞けと命令的でした。

日本兵への不信感が募る中、家族は戦場を2週間以上、飲まず食わずで避難しました。その時の様子について体験記では次の様に描写されています。

「死体が累々と横たわりこの世のものとは思われない地獄さながらの光景であった」(体験記からの抜粋)

避難の途中、当時17歳だった大城さんの姉が突然倒れて亡くなります。銃弾が飛び交う中、家族はどうすることもできず亡くなった姉をその場に残しました。

失意の中、何とか沖縄本島南部の海岸沿いまで避難した大城さん一家。アメリカ軍の攻撃目標にされにくい人影が少ない岩穴に身を隠しました。すでに食料も尽きていたことから、家族はアメリカ軍に投降することを話し合います。

しかし、そこに立ちはだかったのも日本兵でした。何かを察した日本兵は近づいてきて家族に向けて叫びました。



「沖縄人は皆スパイだ。捕虜に出て行くときは撃ち殺してやるから覚えておれ!!」(体験記からの抜粋)

戦場で住民をまるで敵のように扱う日本兵たち。

https://www.nhk.or.jp/okinawa/lreport/article/000/74/