ユリウス正式婚姻法(ユリウスせいしきこんいんほう)とは、紀元前18年に古代ローマ帝国で成立した法律である。当時のローマ帝国で進みつつあった少子化に対応するために当時の皇帝・アウグストゥスによって定められた[1]


紀元前1世紀、古代ローマ帝国では内乱が終結し、それによりローマの市民は平和と繁栄を享受するようになっていた。
ところが市民は大半の仕事や家事を奴隷に任せて働かなくなり、それと同時に独身のまま過ごしても何ら不自由は無いという状況になりつつあった。豊かな生活を背景に、上層の市民の間には独身の自由を謳歌する風潮が拡大し、子供を持たないライフスタイルが成立してゆく。
仮に結婚して子供を成しても多くて産み育てるのは3人くらいまでという状態だった[1]。

このような流れは21世紀の現代に酷似しているが、ただ一つだけ大きく異なることがある。現代は平均寿命が大きく延びているが、当時の平均寿命の短さにも問題があった。
ローマ帝国における当時の平均寿命は20歳から25歳と推定され、また古代ローマ社会は男性・女性を問わずに20歳代の若者で構成されている社会であった[1]。つまり平均寿命の短さが現代と違って余計に人口減少に拍車をかけていたのである。

この少子化問題を解決するには、ローマ市民の1組の夫婦が5人以上の子供を産まないといけないという統計が出ていたという。当時の皇帝・アウグストゥスは帝国の少子化に危機感を抱いていた。
当時はろくな技術も産業も無く、人口がそのまま労働力に繋がる時代であるから、当然、人口減少は帝国の衰退に繋がる。このため、アウグストゥスは紀元前18年に元老院に対してユリウス正式婚姻法という法律を提出し、これを制定させた[1]。

法律の内容

この法律の中身は一言で言うと「独身者であるなら男女を問わずに帝国内で不利益を受けることを享受しなければならない」である[2]。詳細に中身を述べる。

「男は25歳から60歳、女は20歳から50歳の圏内にある限り、結婚していなければ独身であることの不利を耐えねばならない」[2]
不利益とは以上の物を指す。ローマ市民と言っても大半は特権階級で、元老院階級や騎士階級を指していた[1]。そして、男性なら成人したら元老院議員か国家の要職に就任するのが当たり前だったが、この法律では既婚者が独身者より議員の立候補などにおいて優先されると定められていた。
女性である場合は、50歳になるまでに子供が出来ない場合(ただし独身者の場合で既婚者は例外)、遺産の相続権を失ったり、5万セステルティウス(約600万円)以上の財産を所持することの不許可と残りの財産は誰かに譲ること、そして未亡人の場合は子供がいないならば、1年以内に再婚しないならば独身と同じに扱うと定められていた。
また、2万セステルティウス(約240万円)以上の資産を持つ独身の女性は、年齢に関係無く、結婚するまで毎年収入の1パーセントを「独身税」として国家に納めることも定められていた[3]。
「規定圏外の年齢の者の間での結婚、いかがわしい職業の者との結婚は奨励されない」[3]
法律の抜け道として、男性の中には売春婦と偽装結婚して不利益を逃れようとする者もいたという[3]。このような場合は正式の婚姻とは認められなかった。
また、規定圏外の年齢の者の間の結婚が奨励されなかったのは、子供を産んで育てることが可能な年齢に制限したためである[3]。ただし、これはあくまで「奨励されない」という点に注意してほしい。
法律においてはあくまで「奨励されていない」だけで「禁止はされていない」。つまり、独身者として扱われるのと、税制面など権利の面で不利益は被るが、結婚自体は可能なのである[4]。

このように独身者に不利益が多い法律であるが、実は既婚者となり、子供を多く生むと利益も享受できるようになると定められている[3]。

「既婚者同士の場合は、子供の数の多いほうが出世や税制で優遇される」[3]
「子供を3人以上生んだ母親は、実家の父親からの監督(当時のローマ帝国は家父長権が著しく強い社会であった)権力から解放することを許され、税金を免除され、男性と同じように自分の財産を自由にすることができる」[3]

離婚する場合は公表を義務付けられ、そして自由に離婚はできず、元老院の委員会での採決を必要とすると定められている[3]。


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